じゃあ俺ももう帰るから、声をかけると新妻くんはめずらしく音楽を切って机から顔を上げ、くるりとふりむいた。おどろいて廊下に向けた足を止める。なにか言いたげなようすにすこし待っていると、新妻くんはゆっくりと口を開いた。

「福田さん、今日、彼女さんとデートです?」

予想外の質問に、俺は怯んだ。たしかにそのとおりだったが新妻くんの口から『彼女』という単語の出たのは初めてで、それがどうも、思いのほか、効いたのだ。唇を結んで、気まずい思いで俺はうなずいた。

何人めかわからない彼女のできたのは、夏の最中のことだ。バイト先で知り合った女は強気な性格だったが忙しい俺に気を遣って、むりにスケジュールを空けるよう要求したりはしなかった。だから俺も気軽に付き合ったが、彼女を愛しているだとか、そういう気持ちは本当は、あまりなかった。それなりに好きだとは思っていたが、たぶん恋だとかそういう感情ではなかった。だって俺の愛だとか恋だとかそういうものは全部、目の前の少年に向かっていたからだ。俺は俺なりに新妻くんの将来ってもんを考えて、(罪悪感めいたものはあったが、)その矢印を捨てるために付き合った彼女だったからだ。

そんな彼女のこと、新妻くんに話題に出されて俺はひどく狼狽していた。なんだか見透かされてしまいそうな気が、したからだ。握りしめた拳が汗をかいているのがわかる。沈黙がいたたまれなくて約束の時間があるんでと言おうとしたとき、見計らったように新妻くんが言った。

「行かないでください」
「え、な、なにいってんだ、待たせてんだからはやく、」

言い終えるよりも新妻くんのまっすぐな声が俺の声を覆う方が、早かった。

「僕福田さん好きです」
「っ!」

耳が故障したのかと思った、まじで。けれど部屋に反響してすぐに消えてしまった言葉を今さら確かめることもできず、俺はただ立ち尽くす。(だってそんな、俺の妄想を具現化したような、そんな、どこのエロゲだ、いや、いやいやいやそんなまさか!)するとご丁寧に新妻くんは何度も、好きです大好きです、くりかえす。おそろしき愛のビンタの破壊力、鼓膜を打ち破り心臓を直にたたいて壊そうとする。俺はあわてて胸の前で両手を振って、頼むからもうやめてくれと懇願した。新妻くんは不満そうに唇を曲げた。

「なんなんだよ突然、冗談にしちゃ笑えねえぞ、」
「冗談じゃないです僕真剣です。だから彼女の話とかいやです、もう聞きたくないです」

(なんだ急にそんな真面目な顔をして! 四月一日はもう四ヶ月も前だぞ!)
混乱の渦の中、使ったことのないくらい早い速度で頭回して回して回している俺に、両膝抱え上目遣い、新妻くんはぼそぼそ言う。

「・・・この前、彼女いるって聞いたとき、初めて丸ペン震えたです。・・・デートって聞いたとき、久々にインクこぼしたです。だから、」

(っやめろ、その先を言うな!)止めようとしたが制止は到底、間に合わなかった。

「僕もう聞きたくないです、福田さんが好きです、いやです聞きたくないです、・・・・聞きたくないです」
泣いている、視覚が、とらえたときには駆け出していた。床に散らばった原稿も知らない、大股で一歩二歩、腕を伸ばして抱き寄せる。力を、すこしでも入れれば細い身体は折れてしまいそうで、指先が勝手に震える。間近のあたたかさからはほんやりと石鹸の匂いがして胸が詰まった。掠れる声を、なんとかその耳に流し込む。

「新妻くん、新妻くんよく聞け、わかった認めようそうだ、俺だって新妻くんが好きだすごくね、だけどそれはきっと新妻くんの好きとおなじじゃない。そばにいられればいいとかそういうおやさしい感情じゃないんだ、新妻くんが好きだ、キスがしたいセックスがしたいって、俺はふつうに考える、どうだ、気持ちわるいだろう」
「・・・べつに気持ちわるくないです。僕、僕はそんなこと考えたことないですけど、でも福田さんがそばにいてくれるなら好きにしていいです」
「っ!? な、お、おまっ、今自分が何言ったかわかってんのか!? どっからでも襲ってくださいさあどーぞってことだろうが! 相手が俺だからよかったものの、そうじゃなかったら絶対、」
「はいだから福田さん以外には言いません」
「っ・・」

(どーしろっつうんだよいったい・・・!)
腕は背に回したままだしいつの間にか俺の首に細い手がしがみついているし髪はやたらさらさらしてて気持ちいいしもう、どうしていいか、わからない。(嘘だ本当は、どうすればいいかなんてわかっているに決まっている)

(・・・・・ちくしょう、好きだ)

理性と本能の戦い、抱き締めてしまった時点で勝敗などとうに決していた。きっと彼女にはあとで殴られなければならないだろう。けれどそれすら気にならなかった。(・・・だって好きなんだ、しかたがない)あきらめた俺はすべての抵抗をやめた。回した腕にはぎゅうと力をこめた。くすぐったそうに新妻くんの毛先が跳ねて首をくすぐった。

「・・・新妻、くん、」
「はい?」
「なんつーかその、・・っ・・・」
「はい、」
「・・・・もうちっと、こうっして、ても、・・いい、です、か・・・!」
「! っはい!」



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福田たんは好きな子には純情なツンデレ男ですよ(*´ω`*)
(2009.0615)