いらいら、ちらちら。
腹が立って気になって、なかなか作業がすすまない。目の前では楽しげに弾む会話、延々と。時おり小さな爆発でも起きたように笑い声が破裂しては、部屋に反響して俺を苛立たせる。握りしめたペンは今にも折ってしまいそうだった。(くそ、こんだけテレパシー送ってんだ、ちょっとはこっちを向け・・!)

真城君がアシスタントに来るようになってから目に見えて、新妻くんに笑顔が増えた。おもしろくないし認めたくもないが事実だ。聞けば東京に出てきて初めての同年代の友だちらしい。(母さんなんで俺をあと三年遅く産んでくれなかった、ちっとばかり嘆いた)

おまけに好きな漫画を描いた亜城木先生を、新妻くんはひどく尊敬していた。インターフォンの音量をわざわざ上げて、鳴ればいそいそ玄関へ。俺なら無言で部屋にもどり、『亜城木先生』なら飛びついて全身で歓迎の意をあらわす。たまたま同じ時間に来たとき自分の目で見たから確かである。一瞬まじで帰りたくなった。(天然ってほんと、たちわりいよな)

付き合う前だったらたぶん、ここまでむしゃくしゃすることもなかったのだろうが、色々あって数日前から、いわゆるお付き合いを始めた間柄である。恋人が他の男と仲良さげに喋っていたら健全な十九歳、気になってしかたない。アシスタントが三人に増えてからこっち、俺の機嫌はわるくなる一方だった。

さすがに職場であからさまな不機嫌は見せなかったが、新妻くんがたまに俺を見ているのに気づいてもなにも言わないことは何度かあった。なんにも気づかない中井さんはある意味大物のように見えた。

数日後ぶじに原稿は終わり、自分の部屋で泥のように眠ったあと、目を覚ますと新着メールが一件届いていた。知らないアドレス、寝ぼけまなこで見てみればひとこと、「きてくださう」

(なんだ、これ・・・・)

いたずらかと思って削除しようとした指が止まる。(えい・・・じ?)名前とおそらく生年月日のならんだアドレス、そしてまぬけなひとこと、心当たりがありすぎた。覚醒した頭、帽子をかぶっててきとうにシャツを羽織って家を出た。自転車に飛び乗るころにぐうと腹が鳴る。食費は新妻くん経由雄二郎持ちだなと思った。足はがしがしペダルをこいで急ぐ。普段は電話しかよこさない新妻くんがメールを送ってきたのは初めてでどうも、心配になったのだ。じりじりと、うなじを刺す夏の日差しが痛かった。

行ってみると新妻くんは昼飯の弁当を食べ終えたところだった。俺を見るとのんびりと、あー福田さーん、おはようございます。気が抜けてしまった。どうやら急ぎの用事じゃなかった。

「なんだよ、めずらしくメールなんかよこすからなんかあったのかと思ったぜ」
「あ、メールみたです? 亜城木先生に教わったのでさっそく送ってみたです!」
「!」

また、『亜城木先生』だ。慌てて来た自分に腹が立つ。(メールくらい、俺が教えてやるっつーのに!)どすんと乱暴に自分の席に座った。ちらりと床に目をやってから、ごみ箱に空き箱を捨てる新妻くんに声をかける。

「で、新妻先生今日の原稿は?」
「原稿? は、まだないですケド?」
「ない?」

思いがけない返事に声が裏返った。口元をごしごししながら新妻くんはふりかえる。

「そうですけど、呼んじゃだめだったです?」
「いやべつに構わねえが、・・なら、なんで呼んだ?」

一瞬、新妻くんはぴくりと肩を震わせた。それからまた俺に背を向け、自分の椅子に座る。新妻くん、呼ぶと、小さな声が返ってきた。

「・・・・ただ呼んでみたです。それだけです」

いつものはっきりした声でなかったからよけいに、なにを言ったのかしばらく理解が回らなかった。ようやく言葉を呑み込んだとき、新妻くんはペンを手にとった。

「じゃあ僕マンガ描きます」
「え、ちょっ、待てよおい」
「福田さんはそこにいるだけでいいです。お金のことならアシ代雄二郎さんに言って出してもらいます」
「そういう話じゃねえよ、なんだよ、ただ呼んだだけって、」
「っだって福田さん最近つめたいです! あんまり喋ってくれないしすぐに帰っちゃうし、僕、僕さびしかったです・・」

投げつけるような言葉、はっとした。真城くんに苛立つばかりで俺は、くだらない嫉妬に新妻くんを巻き込んで、ないがしろにしていた。(新妻くんは、わるくねえのに、)細い背中は小刻みに震えている。白紙の原稿用紙に水滴の落ちるのがとおく見えた。

「新妻くんわりい、俺、その、」
「ぼくっ、僕別れないです!」
「え?」
「福田さんが僕のこときらいになっても、僕ずっと、福田さん好きです、だめなとこあるなら直します、だから、だから、」
「新妻くん!(勘違い、するな、)」

ドンと机をたたいて立ち上がる。びくりとして新妻くんは振り返った。涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃの、情けない顔。だが俺はきっと新妻くん以上に情けない顔をしているにちがいなかった。

歩み寄って涙に濡れた頬に手を添え、持ち上げると堪えきれないように新妻くんはわんわん泣いて、俺の腰にしがみついて腹に頭を押し付けてくる。じわり、シャツに染み込んでいく感覚に申し訳なさが増した。

「っえぐ・・、ふく、ふくださあん、」
「・・・わりい、わるかった。その、俺、」

なんと言えばいいだろう、一瞬迷った。だが下手にごまかすのも嘘をつくのも、新妻くんにわるくてできなかった。かっこわるい俺、頭をかいて正直に白状する。

「――嫉妬したんだ、真城くんと、楽しそうに話してたから」
「・・・・しっと?」

うるんだ目が見上げた。指を伸ばして濡れた目元をぬぐってやると新妻くんは首をかしげ、唇をひらく。

「僕のこと、嫌いになったわけじゃないです?」
「! ばかやろう、・・・当たり前だ(頼まれたって手放してやるか、いまさら)」

おそらく頭の中の導線がつながるまで新妻くんは固まっていたが、泣いたカラスがなんとやら、やがてパッと顔をかがやかせてぎゅううと、また抱きついてきた。細い腕、脇腹に骨が当たって地味に痛い。いたいいたいやめろと言ったのに新妻くんは聞かなかった。


もがいているといつのまにか二人、床に転がってくすぐり戦争に発展していた。俺はひさびさに、腹がよじれそうなほど笑った。新妻くんはこんなに笑い疲れたのは初めてだと言っていた。腹筋が痛いです福田さんー、無造作に寝転がった俺に、無造作に新妻くんがもたれこむ。その手が椅子の下に伸び、落ちていたリモコンをてきとうに押すのが見えた。冷房のピッという音が聞こえる。流れ出す冷風、汗をかいた身体に心地いい。気だるさにぼんやり身を任せようとしていたとき、ふたたび聞こえたピ、ピという音に目を開ける。反射的にリモコンをもぎとった。

「ふあ! 福田さん?」
「冷房の温度は必要以上に下げんなって、いっつも言ってるだろうが! 風邪を引いたらどうする、おまえこの前も寝てるあいだクーラーつけっぱなしで夏風邪引いただろう!」
「む、ちょっとくらいなら大丈夫ですって」
「だめだ、ほらさっさと汗ふけ、」
「えー、めんどくさいです・・」
「えーじゃない、タオル持ってきてやるからほら、どけ」

乱暴に頭をどけると、新妻くんはしぶとく俺の胸にしがみついて、それから笑った。

「…なんだよ、」
「福田さんに怒られるの、うれしいです」
「はあ? マゾか」
「ちーがーいーまーす! 福田さんだからうれしんです。・・・へへ、」

だいすきだいすき福田さん、犬みたいに鼻押し付けて、新妻くんは笑う。うれしそうにうれしそうに笑う。いいかげん離れろと言ったのに、へらへら笑うばかりで一向に手を放す気はないようだった。俺はなんだかひどくほっとした。

(なんだ、なんだふつうに、新妻くんも俺が好きじゃないか。嫉妬なんてしてたのが馬鹿みたいだ。次真城くんに会ったらジュースの一本でもおごってやろう)

* * *
「あ。そうだ、新妻くんメールのやり方くらい俺に聞けよな」
「えー、亜城木先生の方がいいです。わかんなくっても怒らないですしー、」
「・・・帰る」
「! 福田さああん!」

(・・・ほんとは福田さんと話したかったから亜城木先生に相談して、メールの使い方教えてもらったことは、ないしょです)

(2009.0618)