ぽつぽつと降り出してはらはらと続き、そうしてしとしとと。

昼過ぎに降り出した雨、駅前で足止めを食らっていた。売店で傘をとも思ったが所持金二十五円。大金は持ち歩かないようにとお母さんに言われていたからだ。(うう、お昼はパン一個にしておけばよかったです。・・・あでも結局それでも足りないです。じゃ食べてよかったです)

以前ならきっと雨脚も気にせず駆け出していたけれど、一度それで風邪を引き福田さんにこっぴどく叱られてからはしないようになった。だから今日も走るわけにはいかない。

(・・あ、福田さん)

雨がひどいが無事にマンションに着いただろうか、鉛色の空見上げながらそんなことを考えていた。冬の始まりを告げる風はつめたく、僕は券売機の横、雨止みを待ち二の腕を抱きながら立っていた。


すると十数分後とうとつに、福田さんはやって来た。あまりにふつうの顔で来るからおどろいてしまった。飛び上がるのを手で止められて、差していた大振りなビニール傘に連れ込まれる。マンションにいなかったから来たと福田さんは言った。言葉にはなかったけれどきっと心配してくれたのだとおもうとうれしかった。

駅を出て、商店街を通り抜けて、住宅街を行く。辺りを見回してぽそりと、福田さんはつぶやいた。

「人、いねえな」
「雨ですし」
「・・・その、手、つなぐか?」
「手? はい、いいですよ」
「ん」

差し出す手、にぎるとそっと、長い指はにぎり返した。数ヶ月前、付き合い始めたころは加減がわからなかった福田さん、僕の手に跡ができてしまってからはやわらかく包むように手をつないでくれるようになった。一回り大きいその手が好きだ。僕よりすこし低い、体温が好きだ。人目はさすがに気にするからふたりのときしかつなげないけど、その分よけいに、つないでいるあいだは胸がぽかぽかした。

つい笑ってしまう顔を、となりあるく福田さんに見咎められた。はっとして口元をきゅっとするのに、すこしするとまたゆるんでしまう。福田さんは笑った。なんだか悔しくてつないだ手、ぎゅううと力を込めた。あんまり効かなかった。お返しに福田さんが力をこめてくる。痛い痛いです! あっという間に降参すれば、大声上げて笑った。(・・・月夜ばかりとおもうなよ、です・・・!)悔しかったのに結局、つられて僕も笑ってしまった。

ひとしきり笑ってからふと、見上げるとぱちりと目が合った。切れ長の目が揺れる。

(――あ、)

福田さんは時折、こんな顔をした。困ったような、ちょっと泣きそうな、そんな顔。(もしかして僕のせいです?)いつも強気な福田さんだから、そういう表情は目に付いた。僕は首を傾げた。

「福田さん、どうかしたです? 困った顔、してます」
「別に、なんでもねえ」
「僕に言えないことです?」
「そんなんじゃねえ、つーかホント、なんでもねえって、」
「・・・福田さん」

歩道、立ち止まる。傘を持った福田さんも止まった。まっすぐ見上げていると福田さんは眉をゆがませて、はああと大きくため息をついた。

「あーもーじめじめすんのはガラじゃねえ、」

そう言って、ちらりと僕を見てからまた、目をそらす。そして一息に言った。

「キスがしたいですキス以上のことがしたいです! 新妻くんといちゃいちゃしたいです! 以上、俺の本音!」

早口で一瞬なにを言われたのかわからなかった。しばらく考えてようやく意味がわかる。その頃にはもう福田さんは口をとがらせて拗ねていた。

「・・・・なんだよなんか言えよ、笑いたきゃ笑えこんちくしょー」
「笑わないです」
「・・・笑われた方が楽なときだってあんだよ、これじゃ俺ますますみっともね「福田さん」え?」

傘に隠れてそっと、背伸びをした。初めてだからやっぱり上手にはできなかった。歯が上唇にぶつかってすこし痛かった。触れたやわらかさはあたたかく、微か、震えていた。そっと重ねてからすこし、そのままでいると遠くから、タイヤの水弾くバシャバシャという音が聞こえたから身を離した。
福田さんは呆然と立ち尽くしていた。

「福田さん? ・・・いやだったです?」

ぶんぶんぶん、効果音でもつきそうな勢いで福田さんは首を横に振った。その顔は真っ赤で、なんだか可愛かった。
もっかいします? 聞けばたじろいで、外だからだめだともごもご言った。僕たちはまた歩き出した。マンションはもうすぐだった。


「ちょっと残念です」
「え?」
「レモンの味しませんでした」
「っ! そこかよ! つうか、え、・・・・・やっぱ、初めて?」
「はい」
「! そ、そっか・・・(うーん、嬉しい、ような、わるい、ような・・・いやでもやっぱ嬉しいな、そうか新妻くん、俺が初めてか、)」
「レモンの味しませんでしたけど、相手が福田さんでよかったです」
「(っ! またさらっとそういう、殺し文句を・・・! )そ、そーかよ、」
「・・・福田さんキス以上のこともしたいですか?」
「っ! い、いい! いいですけっこーです!(んなことしたら俺の心臓が持たねえ・・・!)」


家に帰って手を放したときふと見ると、つないでいた手は汗ばんでいた。しばらく見つめて、ああ僕はどきどきしていたんだとようやく気づいた。

(ああそっかだからあんなに、心臓の音がうるさかったです)


(2009.0624)