新妻くんが修学旅行で2泊3日、家を空けた。つまり、新妻組にしては久しぶりの、ぎりぎりの締め切りである。そういうわけで雄二郎が急遽、真城くんを呼んだ。ラスト二日、忙しいところを押して真城くんは来てくれた。

おつかれさまです、昨日と同じように俺達に挨拶したあとはオーディオの世界の新妻先生へ。いつも通りの歓迎が真城くんをむかえる。初めてその歓待を見たときにはぴょんとはねた癖毛をちょきんと切ってやりたいくらいには苛立ちを覚えた俺だがあれから数ヶ月、今ではまあ見慣れたせいか、それほど腸の煮えるような思いをすることはなくなった。

今日も亜城木先生来たですー! とかバサバサ羽根揺らしながら満面の笑みを浮かべようが、真城くんが前よりいくらか穏やかな顔つきでそれに応えていようがむかつきはしない。ちょっとしか。

世間話も終わったのか、しゃがんでいた姿勢から立ち上がった真城くんがあ、という。

「新妻さん髪、トーンついてますよ」
「え?」

何気なく伸ばした手、新妻くんはするりと避けた。真城くんは首を傾げ俺は唇を噛み締めた。

「い、いいです自分で取れますノープロブレムです!」

あわあわと大げさに、慌てた両手、インク壷を倒す。机上の大惨事、真城くんが片付けようとすると大丈夫ですからと暴れる新妻くんの手がますます黒の海を広げてゆく。困り果てた顔の真城くんに俺は立ち上がった。

「いいよ、俺片しとくから真城くんはあっちでトーン頼むわ」

ティッシュ一箱取って、零れた床に目をやりながら真城くんと交代する。あたふたと椅子の上で膝抱えたまま混乱している新妻くんの頭をぽんと撫でた。

「新妻くんなにか言うことは?」
「う・・・・ごめんなさい、です」
「はいよくできました。これ以上動かれても困るから、じっとしてろよ」
「・・・はい」

素直に体育座り、身を丸め新妻くんは大人しく黙り込んだ。ゆっとりと流れ落ちていく黒を俺は数枚重ねた白で押しとどめた。


多少のハプニングはあったが床の原稿を汚すこともなく、なんとか無事に今週も仕上がった。あとは雄二郎の来るのを待つだけだ。中井さんはぱたりとアシ用の布団に倒れ、疲れに自分の肩を揉みほぐす真城くんはまだ終電があるから今日は帰るという。玄関まで送って、パタン、ドアの閉まると新妻くんはくるりと振り向き俺の袖をつかんだ。

「?なんだよ、」
「福田さん今日は僕の部屋で寝るです」
「・・・・中井さんいるだろ、さすがに」
「やです僕が一緒に寝たいです」

頑固にひっぱって、新妻くんは廊下の奥、自分の部屋のドアを開けた。俺はさして抵抗もしなかったからかんたんに連れ込まれた。

ごちゃごちゃした部屋、散らばったなにかを蹴飛ばした新妻くんは俺を部屋に入れドアを閉めるとぐいと見上げた。

「福田さん、・・・福田さん怒ったです?」
「? なにがだよ?」
「僕亜城木先生と話してたから」
「・・・・べつに、喋ってるくらいで怒ったりしねえよ(そりゃまあ、ほんのちっとは妬いたけど、)」
「そうですか、ご機嫌ななめな気がしたので心配したです」

よかったです、言いながらぎゅーと、細い腕が抱きついて頬を寄せてくる。鎖骨がくすぐったかった。サラサラと揺れる髪を撫ぜてやりながら俺は言った。

「喋ってんのはむかつかねえけど、真城くん相手のときだけ照れてんのはむかつく。すげー、むかつく」

きょとんとした顔をした。ぱちくりとまばたいて、それからへにゃりと新妻くんは笑う。

「だってしょうがないです、福田さんですし」
「はァ? どーゆー意味だよ、」
「亜城木先生は僕の憧れですケド、福田さんは憧れじゃないです」
「・・んだよそれ、俺なんか尊敬にも値しねえってか、」
「いえ尊敬ですが、それよりもっと前に、福田さんは僕の好きな人です。そばにいると安心します。枕ならいつも使ってる枕です。亜城木先生はホテルの枕です。ぜんぜんちがいます」

まくらまくらぎゅー、言いながらまたぎゅうぎゅうと、抱きついてくる。(・・・・くそ、かわいいな、)真城くんにしか見せない照れた表情も捨てがたいが、このしあわせを描いたような笑顔とは比べようもなかった。そしてその表情は俺にしか見せられないものだった。

ふつふつと、好きだとかかわいいとかそういう気持ちが湧いてきて俺はぴたりとくっついた、細い腰をひょいと持ち上げる。わあわあと耳元で混乱が喚いているが気にしない。そうして奥のベッドにぽんと投げた。ひゃふう、おどろいた声に笑いながらその上にのしかかってぐしゃぐしゃわしわしと撫でてやった。(あーもう、この、むかつくぐらい可愛い、生き物が!)くすぐったいですよと怒っていたが新妻くんと俺の笑い声に消されて俺の耳には届かなかった。



(2009.0711)