急ぎ足で向かっていた。打ち合わせが長引いて、アシスタントの時間にはもうすでにいくらか遅れていた。遅刻に厳しい職場ではないが、新妻くんが拗ねるのだ。ひどく遅れた日なんてわざわざ俺の机の横にやってきて座り込み、じとっとした目で無言で見つめるのだからたちがわるい。しかもそこまでいくと、俺が廊下に連れ出してしばらくぎゅーっとしていてやらないと機嫌が直らない、困った可愛い恋人だ。

さあはやく、次の角を曲がってマンションへと、思ったそのとき足が止まる。角のコンビニ、白いため息をつきながら出てきた学生服と、目があった。

「――あ、」

頭の中を占拠していた少年、突然現実にまで出てきて俺は狼狽した。

「に、新妻、くん」

キラリ、瞳、星が燦然と。首を傾げるとひどく嬉しそうな顔で、数千万の財産を持つ少年は俺に言った。

「福田さんお金かしてください」


並んでコンビニから出てきて、俺はつぶやいた。

「ったく、肉まんも買えねえってどういうことだよ・・・」

ほかほかを頬張りながらとなりを歩く新妻くんは言う。

「駅前の本屋さんでマンガ買ったらお金なくなっちゃったです」
「もうすこし考えて使え、つうか、ATMで下ろせばいいだろうが」
「僕が大きなお金もつと危ないから、銀行とかは雄二郎さんに行ってもらいなさいって、お母さんが」
「(・・・・うーんまあ、たしかに危ねえかも)」

大金ウィズ、新妻くん。よみがえる普段の買い物の光景、どさどさと、カゴにお菓子を山のように積んは俺が売り場にもどしていた。家電量販店に置き換えてみると恐ろしすぎて想像するのもはばかられる。(新妻くんのお母さんあなたは正しかった、いつも送ってくれる林檎もありがとうございます)
あいまいにうなずくと、新妻くんはマフラーを揺らしながら俺を見上げた。

「・・ん、あれ福田さん食べないです?」
「・・・・・猫舌」
「おーそうでした!」

おおげさにそう言ってぱくぱくと、湯気を帯びた肉まんにかぶりつく。口元は楽しそうにゆるんでいた。左手右手、熱い肉まんを片手ずつ持ち替えながら俺は言った。

「新妻くん、」
「はい?」
「わざと聞いただろ」
「・・・・ばれました。・・って、え? 福田さ、っ! わああ!」

熱いのも忘れ左手でがしがしと、乱暴に頭のてっぺんつかんで揺する。ごめんなさいごめんなさい! マンションの下、反省を叫んだからようやく解放してやって、ふと気がついた。

「あ、」
「ひゃい・・?」
「口、ついてる」

集合ポストの前立ち止まって、自分の唇の端を差しながら言えば、福田さんが頭わしわしするからですよと怒りながら新妻くんは指で薄皮の破片を探した。なかなか見つけられないから俺がひょいと手を伸ばしてすくって食べた。

「!」
「新妻くん?」
「・・か、間接ちゅう、です」
「? だってもうキスだってしてるだろ?」
「ちがうです、間接ちゅうは、なんか、えっちです、はれんちです・・・・」

手持ち無沙汰に、食べ終えた袋をつぶしたりしてうつむいて、しゅんと、林檎のように赤い顔、耳まで染まった。大したことない動作なのに、そんな、そんな風に照れられたらこっちまで恥ずかしくなってしまう。どうしようと、立ち尽くしていると不意に新妻くんは顔を上げた。俺の触れた唇の端を指でさす。

「ここ、」
「?」
「・・・福田さんのせいでやけどしちゃいました、キスしてください」
「っな! な、にいってんだよ新妻くん・・!」
「・・・・・福田さんがしてくれたら治ります、から」

そう言ったってここは集合ポストで、エレベーターはすぐそこで、マンションの入り口だってすぐそこで、人通りはたしかに少ないけどいつだれが来るかわからなくて、それで、つまり、

「む、無理だって・・!」
「・・・だめ、です?」

(上目遣いは、ああ、ずりい、です!)

理性とかそういうものを一撃で打ち崩すその視線俺が耐えられるわけもない、ただ新妻くんの身長を俺より頭一つ低いところで止めた神を恨めしくおもいながらわずか膝をかがめ、触れる、キスをした。やわらかさを掠めて一瞬で、ばっと離れて左右を見る。よかった人はいなかった! と思った瞬間正面の、監視カメラと目が合った。合掌。灰のように風に吹かれ消えてしまいたいと思う俺の服の裾を新妻くんの手がそっとつかんで止めた。普段の新妻くんらしくない、小さな小さな声、「治りました」今度は俺が全身火傷をしたにちがいなかった。



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このバカップルが!!
(2009.0806)