雄二郎は酔っ払うと俺の家に来る。こんやとめてよふきゅだきゅん、呂律の回らない喋り方にむしろ俺がきゅんなのでいいよと言う。頻繁で片付けるのが面倒になって結局いつも居間に広げてある布団に雄二郎はふらりと倒れ込み、掛け布団を抱き枕みたく抱きしめて満足げな赤い顔、フーと息を吐く。それから億劫そうにもぞもぞと膝を動かして片足ずつ靴下をずるずるり脱ぎ始める。

俺はそれを横目に作業部屋に向かい、流していた音楽を止めインクに蓋をする。CDはもう三周目で、筆の速さも落ちてきたしそろそろ寝ようと思っていたところだった。電気を消して寝室の前を通り過ぎ、居間に戻ると雄二郎はまだ右足の半分だけ脱げた靴下と闘っている。膝をつき、足首を持ち上げて脱がしてやると雄二郎はくすぐったそうにくくと笑った。うつ伏せで小刻みに震える身体に覆い被さって腹の下に腕を回せば重いよと振り返った雄二郎に怒られる。これっぽっちも怒っていない目の蓋にキスをして右手は薄いシャツの下に伸ばした。酒くさい息がんっと短く詰まるのが聞こえてからはただ没頭した。



ブラインドの隙間差し込む夜闇に朝色混じるころ、ようやく汗ばんだ身体を離してやるとぐったりと雄二郎はシーツに身を沈ませる。男二人に一組は狭く、俺はとなりに横になると身体半分フローリングに飛び出したがひやりと気持ちよかったのでたいして気にはならなかった。たがいに荒い息はすこしずつ平静をとりもどしやがて眠りにちかづいてゆく。膝のあたりに引っかかっていた布団を持ち上げて肩まで覆うと雄二郎は暑そうにうううとうなったが風邪を引かれてもこまるのでぽんぽんと頭を軽く撫でて我慢させた。

純粋な眠気と行為の疲れと相まって目蓋がひどく重い。今日はよく寝るつもりだったがどうやら仮眠でおわりそうだ。初夏、朝のはじまる時間はすこしずつ早くなっていた。あ、と思い出して脱ぎ捨てたジーンズから携帯を取り出してアラーム、いつも使うのをオンにする。雄二郎の起きる三十分前の時間。決定ボタンを押すと気が抜けて、設定画面をひらいたまま俺は眠ってしまった。



目玉焼きにハムを添えてパンを焼き、インスタントのコーヒーを入れると雄二郎がもぞもぞと起き出してくる。おはようの声はひどく低くすこし掠れている。無理させたなと思いながら答えると、てきとうに服を着た雄二郎は首をほぐしながら食卓に着いた。しょうゆとバターと苺のジャム、それから砂糖を箱ごと置いて向かいに座る。目玉焼きといえば塩だったが雄二郎にだんだん影響されてしょうゆで食うことも最近は増えた。いただきます。カリッと焼き立てにかじりついた雄二郎がようやく頬を緩ませる。バターを乱暴に塗りジャムを伸ばしもせずぜいたくに使って食べるのが雄二郎は好きだ。ジャムももう色々試したが苺が一番よろこぶ。といって長いこと苺だけでもつまらなそうにするのでたまにちがう味を買うようになった。朝の雄二郎はより機嫌がわかりやすい。それを知ったのはいつだっけ、もう結構前だったような気がするな、思いながらじぶんもひとくちかじる。雄二郎のパンを後に焼くせいで焼きたてとは言いがたくなった俺の食パンはそれでもうまかった。

脳が糖分を得てようやっと機能し始めたのか雄二郎はガツガツと朝食を食べる。そうして終えると砂糖小さじ入れてコーヒーを流し込みぷはあとカフェインの息を吐き出す。ごちそうさまといい腹を重そうにさすって立ち上がるとお風呂借りるねとももう言わず、ぽてぽてと浴室に向かって歩き出している。と、未だ食事中の俺を廊下に出る前に一度振り向いた。

「…福田くん、ごめんね」

振り返りはしない。答えもしない。謝られるいわれはない。コーヒーをすする。雄二郎は黙って廊下に出てゆく。砂糖を入れ忘れたコーヒーは苦い。浴室のドアを閉める音がする。やがてザアアとシャワーの音も。立ち上がりカップだけのこして皿を片付けた。雄二郎が水をつかっているのでまだ洗わない。シーツを丸めて洗面所に持っていくとバスタオル取ってと頼まれた。ドア越しに手渡して居間にもどる。かすかにただよったシャンプーの匂いは俺とおなじのを使っているくせにちがうもののように思えた。

風呂を上がってからの雄二郎の身支度はいつもおどろくほど早い。ギリギリの時間に行動するのに慣れているんだと思う。(起き抜けの機嫌のわるさと動きの鈍さったらないから)さっさと髪を乾かし俺のタンスから靴下と下着を奪い鞄の中身を確認して家を出て行く。罪悪感から逃れるようにそそくさと。俺はいつも新聞を広げその背を黙って送っていたがふと、今日はなんだか気が向いて今度こそ出かけようとするところを呼び止めた。雄二郎さんさあ。うん? やはり廊下に踏み出す手前、雄二郎は振り返る。紙面から顔を上げた。

「そろそろ俺と付き合っちゃえば? そしたらいちいちごめんとか言わなくて済むぜ?」

今日雨が降るらしいから折りたたみでも持って行けばと言うのと同じくらいの気軽さでぽんと言葉は口をついて出た。たぶんいつもそう考えてたせいだと思う。雄二郎は顔色を失ってぽかんと口を開ける。普段の三倍まぬけな顔。俺の前だからいいけどこいつよそでこんな表情してないだろうかと心配になった。やっと頭に言葉の届いたと見える雄二郎は今さらおどろいたようにはっとする。

「あ、そ、そっか。そだね、うん。…そうしよっか、うん、じゃあ、えっと、いってきます」
「いってらっしゃい」

雄二郎が左手左足、右手右足同時に出してカタコト去ってゆく。玄関に出る前にこける音と、うわっと慌てた声が聞こえた。鍵をガチャガチャとやってうまく開けられずにいる音も。ややあってドアの閉まる音がしたが、あいつは生きて会社にたどりつくのだろうかとすこし心配になった。

冷たくなったコーヒーの最後のひとくちを乾いた喉に流し込む。今度はそれほど、苦くは感じなかった。今の気持ちを言葉にするなら、たぶん、死ぬほど嬉しい、だと思う。活字はさっきからこれっぽっちも追っちゃいない。ひょっとして俺は緊張していたのだろうか。もしかして指先の震えは新聞を通して伝わっていなかっただろうか。次に来たときおかえりと言ったらあいつはどんな顔を、するのだろうか。



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お読みいただきありがとうございました。
ttt→淡々と

(2011.0303)