報われない話なのでご注意くださいね



ごめん、言葉はするりと喉を抜けるように、いとも自然に、滑り落ちた。突然の告白に僕の返事はひどく早く、確りとしていた。それこそ酷薄と言えるほど。

僕の上の福田くんは半ば呆然として、開いたままの、形のいい唇をいくらか震わせ、眼には絶望がゆらめいている。たぶん、半分以上、僕がうなずくことを予想していたのだろう、気の毒に。そんな人事みたいに考えながら、胸中はじつは、とても、動揺していた。

だって、いつものようにじゃれていただけなんだ、軽い口ゲンカからはじまってそれから手が出ていつのまにかフローリングでくすぐりに発展して、気がついたら福田くんは好きだと、言っていた。そして僕はごめんとことわっていた。

(うわ福田くん、へこんでるな・・・。――でも、しかたない、よな、)

のそりと、のしかかっていた身体が離れるのを、僕はぼんやりと、見つめていた。


なんで、言葉は重りのように喉に沈み、結局尋ねることは、できなかった。速攻の拒絶に俺はだいぶ、参っていたし、理由の聞くのも正直、怖かった。

すぐそばで雄二郎はおどろくほどけろりとしていて、(今思えば本当はおどろきすぎて、思考に表情が追いついていなかっただけかもしれない、)それ以上引っ張って話題をこじらせるのも、できなかったのだ。

だって、ほとんどうなずいてくれるものだとばかり、思っていた。断られることなんて一ミリも考えてなくて、いやべつに自分に自信があるとかそういうわけじゃないが、雄二郎ならきっとって、どこかで思っていた。

(・・・・理由、やっぱ聞けば、よかったかも)

ぐらりと、また後悔が背を駆け上り追い詰めた。そういえばあれから雄二郎には会っていない。


ただ鉛筆で原稿用紙にネームめいたものを描いてはぐしゃりと丸めて捨てる、そんな日々がつづいている。ギャグマンガは一定のテンションがなければ描けないもんだとわかったのが唯一の収穫といえるのだろうか。

誰もいない部屋で一人、寝ることも覚束なくて缶コーヒーの空き缶をいくつも机に並べたまま、紙に向かっている。時間の感覚はとうになくなっていた。バイトはたまたま、新しい後輩が入ったところでしばらく、休みがもらえたし、新妻くんが原稿に喘ぐことはまず、なかった。

とりあえず死ぬのはまずい、親に迷惑がかかるという思いで転がっていたカロリーメイトだけは食べたが胃はまだまだ乾いているように思えた。だがそれもほとんど、どうでもいい。


頭の中は雄二郎で、いっぱいだった。

書類でやりとりをしていたときは気にもならなかった俺の担当、電話で初めて声を聞いたときにはもしかしてもう惚れていたんじゃないかとさえ思う。そうあのとき雄二郎は噛んだのだ。福田真太、ふきゅだしんた。いやおまえそれはねえだろう、俺の名前はすげー言いやすい、読みやすいことに定評のある名前だぞ。思わず噴きだしたのを覚えている。後で聞いたらそのとき、目が合った相田さんが変顔でからかったらしい。(相田さんの変顔ってすげー・・すごそう、だ)そうそのときから服部雄二郎は年上のくせになんだか抜けていて、こういう言い方をするのはどうも腹が立つが可愛い、男だった。

会う前日、上京前夜は東京への期待、というより雄二郎に会うという期待が大きく、あまり眠れなかったのを覚えている。そうだたしかそれで、会って話をしているうちに半分俺は寝て、雄二郎に怒られたのだ。思えば最初からそんな調子だった。

そうしてそのまま喧嘩しながらしかし仲直りしてまあ穏便に、時間が流れていっていつのまにか、一年と数ヶ月、俺はべたべたに雄二郎に惚れていた。否定する気も失せるくらい。

あいつだって同じだと思っていた、電車なくなった泊まらせろと家に押しかけてみればしょうがないなと言いながら上げるし手料理、かたちは悪いが味はうまいオムレツだって頼めば作ってくれたし電話、俺がへこんでるとき絶対切るなと言ったら二時間も、つないだままにしていてくれた。理由もいわずに拒否られるなんて、そんな、考えたこともなかった。(今思えばなんて自信だ、我ながら)

せめてひとつうなずいてくれるだけでも、よかったのに。

(・・・・俺の気持ちを受け取れよ、捨てても、いいから)

机に散らばった消しゴムのかすを手で払う。床にバラバラと落ちて薄暗い部屋では見えなくなった。ついでにこの気持ちも捨ててしまえたらいいのにと、思った。ひどく、切実に。




携帯に伸ばした手を、止める。わるい癖だ、また連絡がないか、確かめようとした。(この数日着信はおろかメールさえ、彼から届いていないのに)自分から拒んだくせに連絡ばかり気にしている、そんな日々がつづいている。

失恋したわけでなし、仕事に支障きたしてはまずいと思うのに身が入らず、今日は危うく新妻くんの原稿を自分のせいで落としかけた。失態だ。

いつまでも引きずっているわけにもいかない、というか今日は、福田くんと次の原稿の打ち合わせをする、予定が入っていた。顔が見たいような気まずいような、複雑な気分だったがのろのろと編集部を、出た。


頭の中は福田くんで、いっぱいだった。

最初はただの生意気な新人漫画家、実際に担当についてからもたいへん生意気な、年下の作家。機械ごしに通話していたときにはいくらか緊張していたのかまだ可愛げがあったが初めて会った日自分よりずっと背の低い僕を見下ろし小さく笑ったのは今でも覚えている、腹立たしい、記憶。でもって初対面で目の前で、寝た。寝顔まで整ってとむかついたが上京して右も左もわからない状態で、疲れがたまっているのだろうと思うとすこしばかり起こせなかった。(まあ結局、叩き起こしたけど)

しかしそれで終わることなくそれからも、その新人は問題児ぶりを遺憾なく発揮し、ことあるごとに僕に面倒をかけた。「服部さん乗り換えわかんねっすちょっとググッてください」(パソコン手元にないから自分の携帯で調べてよ、え、めんどくさい? きみねえ!)「雄二郎さんメシ作れるんすか、じゃ今日俺寿司食いたいっす」(・・・・握れと? いやいや寿司職人甘く見ちゃいけないよシャリで、八年!)「最近俺の部屋幽霊っぽいの出るような出ないような気がするんで泊まってってくださいよ」(出るのか出ないのか!)

そうしてそのまま世話をしてやり喧嘩もしつつ、けれどまあ穏便に、時間が流れていっていつのまにか、一年と数ヶ月、僕はたしかに福田くんに惚れていた。否定するのもはばかられるくらい。

だからずっと、このままでいられたらと思っていた、おだやかに平坦に、同じ時をすこしでも多く過ごせればそれでいいと、思っていた。(本当にそれだけで、よかったのに)

新人漫画家、有望な若手の、未来を潰すわけにはいかない。相手が福田くんだから、なおさら。

編集と、それも男同士、下手に噂なんて立った日には目も当てられない。福田くんにそんな茨道はあるかせたくなかった。だから、ことわった。

きっと福田くんは相当にへこんでいるだろう、めったに落ち込まない性格だからめずらしく落ち込んでいるときは眠れない性質で、きっと隈がひどいにちがいない、会ったらまずよく寝るように言わなくては、それからコーヒーを飲もうとしたら僕が、止めてやらなくては、待ち合わせ場所目指す電車に揺られながらそこまで考えて、落ち込む原因をつくったのは自分のくせにとふと気づく。(もういやだ、今でもこんなに好きだなんて、)


打ち合わせはいつものファミレス、駅を出ればすぐ右手蛍光の夜に映える看板が見える。顔を上げれば一階の窓側、僕らの指定席にその銀髪はうっすらと見えたが、普段とちがってこちらを見ては、いなかった。鞄を持つ手に力をこめる。(・・・・ごめんね、福田くん)

(・・・・僕の気持ちを受け取って、それで、捨てて欲しい)

しかし年若い彼にそれはあまりにも酷な、ひどい、望みだ。深く、息を吸って、腹に力を込めガラスのドアを開ける。カランカラン、鈴の音は狭い店内に響き彼は顔を上げた。そうして僕は業務用の笑顔を、貼り付けるのだ。

「待たせてごめん、福田くん」

一瞬ちくりと歪んだ眉間には気づかないふりをして、僕は、笑った。



(2009.0907)