昆布、ほうれん草、玉ねぎ、豆腐、そして豚肉。鍋につっこんで菜ばしを置いて、それから顔を上げる。小さいため息はしろい湯気に紛れて消えた。鍋を挟んで向こう、健全な青少年は空腹に待ちきれないようにそわそわと箸を揺らしていた。 「…ねえホントに今日、泊まってくの?」 「んー? …ああ、うん」 だいじょぶっす、シャンプーとリンスは持ってきたし! それだけはキッパリと言い切った福田くん、いただきますとせわしなく言って、やわやわと脂をおどらせ泳ぐ豚肉をざっと持ち上げた。(ねえそれはどういう意味なのかな、僕と同じシャンプーはつかえないってこと? 天パとは同じシャンプーはつかえないってこと?)ねえ福田くんそこんとこはっきりしてよ、文句を言おうとしたけれどうれしそうにはふはふと、ご飯を頬張っているのをみてしまってはもう邪魔はできなかった。しかたなく僕も、ぐつぐついう鍋をのぞきこんだ。(……アレ? お肉、こんな、すくなかった?) 起きてまずストーブのスイッチを入れることから一日の始まる、一月も末、福田くんちの暖房が壊れた。唯一暖をとる手段だった年代もののエアコン、昨日とつぜん調子がわるくなったらしい。で、一日、寝て、昼過ぎ起きて、顔を洗って荷物をまとめて福田くんまっすぐに僕の家をたずねて来てこう言った。「雄二郎さん俺家に殺される今夜泊めて」これが三十分ほど前のこと。 それからぐぐうと福田くんの腹がわがままをいって、とにかく冷蔵庫をひっかきまわして鍋につっこんで待っているあいだいくらか事情を聞いて、そうして今にいたる。この短いあいだでとりあえず二人分食事を用意した僕はたぶん、なかなかどうしてよく出来た、編集者だと思う。(あ、ポン酢とって福田くん。…ありがと) 日の沈みかけた窓の外では児童はかえりましょう″夕焼けチャイムがながれている、穏やかな休日、夕飯どき。普段ならひとりでごろごろしてそろそろ、てきとうに食事でもつくろうかと重い腰をあげる時間帯、だれかと家で鍋をつつくなんて本当にめずらしいことである。鍋につっこんだだけの料理、うまいうまいと言われながら食べるのはそんなに、わるくない。横暴に差し出されたポン酢だけが揺れる深皿に、僕は黙ってよそってやった。うまいうまいは、途切れない。 細い身体のどこにそんなに入るのか、と思うほど福田くんはよく食べた。十九歳の胃袋は伊達じゃなかった。大皿によそってあった具材はおろか、冷蔵庫まで齧り尽くす勢いで食べた。そして箸を置くとよたよた下腹さすりながら歩き、ざばんと居間のソファに飛び込み我が物顔でクッションを横抱きにする。そこで寝ると風邪引くぞ、といえば、あったけー鍋食ったから平気っす、やけに可愛らしいことをいって僕の二の句を封じ込める。 満腹のためいきをつく土鍋を持ち上げてあちっと一度下ろし、そそくさと鍋つかみを持ってきてコンロにもどした。明日の朝は、おじやにしよう。ご飯はふたり分もないだろうから炊いておかなければ、そこまで考えて、もう泊める気でいる自分にかなしくなる。(布団、あとで天袋から出しておかないとな…) 洗い物を終えると福田くんはのろりと立ち上がり財布を取って、歯ブラシ忘れたんで買ってきますと言った。水を切ってゴム手袋をシンクの縁にかけて、振り返る。 「コンビニ、場所わかるよね?」 「ん、たぶん。マンション出て左すよね? なんか他にいるもんあります?」 「えーと…じゃあてきとうにお茶買ってきて」 「りょーかいっす」 軽そうなジャンパー羽織り、福田くんは出て行った。途端、静寂がもどってきて気がつけば外も暗く、さっきまでいた福田くんの痕跡をわずかにのこした革のソファがなんだか寂しく見えた。テレビでもつけよう。あとそうだ、洗濯物、取り込んだままだった。 床に座り込んで笑点の座布団合戦をとおく聞きながら、窓辺、少ない洗濯物を折りたたむ。手先はそれほど器用じゃなくて、僕の洗濯はいつもしわくちゃになる。 いつだったか福田くんちで見た、几帳面な洗濯物を思い出した。近頃のイケメンは家事まで器用にこなすらしい。やっぱり今夜は布団は出さず、毛布だけくれてやろうかなんて意地悪いことを考えながら、僕はわらった。 ちょうど帰ってきた福田くんに、雄二郎さん、ちょっと、じじくさいっす、神妙な面持ちで言われた。(……座布団どころか毛布も没収されたいのかい、福田くん)笑点は老若男女に支持される日本の文化です。(ていうか別に大喜利のおやじギャグで笑ったわけじゃないんだからね! ホントだよ!) 布団持ってくるからソファどかしてと僕が言うと、ソファでいいっすと福田くんは首を振った。 「でも、寝づらくない?」 「いいっす、明日またどかすのめんどいし」 「(…ん?)」 「毛布だけ借りていいっすか」 「あ、あーうん、じゃあ持ってくるね」 小さく違和感を覚えながら、まあいいかととなりの、自分の寝室の天袋あけ、ごそごそと来客用の毛布を下ろしてビニール袋から出した。居間に持っていくと福田くんはまたソファに寝そべり、毛布にくるまってコンビニで買ってきたらしいコミックスを読み始める。 「僕明日八時起きだけど、福田くんは?」 「ん、っと、九時からバイトなんで、俺もそんくらい、」 「じゃ、寝てたら起こすね」 うなずいたのを見て部屋の隅、パソコンデスクの前に座った。急ぎではないがすこしばかり仕事がのこっていた。 ← (2009.1118) |