寝起きのわるい福田くんを起こして、朝はパンがいいとかぼやく口にご飯とみそ汁つっこんで着替えさせ、わたわたとふたり家を出て、飛び乗ったマンションのエレベータで、一階を押して一息つく。するとようやく目の覚めたらしい福田くんが、雄二郎さん、と呼んだ。

「うん? どうかした?」
「USB、パソコンにささったままでしたけど、大丈夫なんすか」
「……あっ!」

忘れていた、完璧に! 慌てて、一度開いた扉を閉め四階を連打した。気がついてくれて本当に助かった。昨日の仕事が全部入っている。

「うわ…助かったよ、福田くん」

しょうがないっすね雄二郎さんは、呆れた口調でいわれたのに不思議と腹は立たなかった。たまに来る客人も、そう、わるくない。

わるくない、わるくないとは、思ったけど、そうそれはつまり、毎日来ていいとかそういう意味では、ない。
仕事も終わり帰ってきて、ピンとひらいたエレベータの前、僕んちの玄関先で待っていた彼が呑気に手を振ったのを見たときには、やっぱりまた、一階にもどろうかなんて思ってしまった。
すごくイヤそうな顔をしているんだろうなと自分で思いながら、エレベータ降り、さっきより重い気がする手提げ鞄を持ち直す。

「…ねえ福田くんあんまり聞きたくないけどそこで、…なにしてるの?」
「なにって、雄二郎さん待ってたんすけど」
「え、その、なんで?」

エアコンの修理業者、今いそがしーらしくて今週末まで来られないらしいんすよ、言い放った福田くんの足元には着替えやらなんやらが詰まっていると思われる、昨日よりはずっと大きな、荷物があった。(僕んちは、朝食付きのホテルじゃないんだぞ! 福田くん!)すごくイヤそうな顔をしながらも、のろのろと鍵を開けてしまう自分の右手の善良さが、ああ、かなしい。(きっと昨日の時点でこうなるって、わかっていたんだね、福田くん…)

そうして、むさくるしい同居は始まった。
いつも通り会社に行き、あおりや柱の編集、コミックスのスケジュール調整、担当作家の原稿を取りに行き、家に帰って寝る。その生活にひとり増え、ごみ出しがすこし楽になり、料理の量がふたり分になり、たまにどっちが先風呂に入るかとかで小さな喧嘩をして、結局僕が折れてちょっと反省した福田くんが洗濯物をやたら丁寧にたたむ、そんな毎日。

福田くんはバイトをしながらうちに持ってきた画材で漫画を描いていた。食卓の半分と、百八十度食卓側に回転させられた革のソファは、すっかり福田くんの定位置になった。
たまに、しょうじき男の二人暮らしってきついよね、なんて冗談言いながら、けっこう、楽しかった。

最初は一週間と思っていた二人暮らしは業者がまだ都合がつかないとかいう理由でもう一週間増えたが、僕はあまり、気にならなかった。

そして次の週、水曜日、家に帰って玄関を開け、奥の居間に明かりのないのにすこしおどろいた。それから、ああ今日は新妻くんとこだったっけ、思い出してうなずく。おそらく明日まで帰って来ないだろう、もしかしたら新妻くんとこに行く僕とすれちがいになるかも、と思いながら靴を脱ぎ捨てる。廊下の電気をつけるのはひどく久々な気がした。いつもは一人暮らしで慣れているはずなのに、このところ居候がいたからなんだか新鮮だ。
突き当たりのドアを開けて右手の電気をつけると、やはり居候の姿はなかったがいくらかキレイに片付いた机の上に、ラップのかけられた食事が並んでいる。あれ、と思って見れば、ごはんと炒め物と乱雑に切った野菜。

めずらしいこともあるもんだと感慨に浸っていると、足元、小さいごみ箱から飛び出た紙くずに気がつく。拾ってみるとくしゃくしゃに皺の寄ったメモ用紙には、「味の保障はないっす」ごみ箱に残ったもう一枚を広げてみると、「うまくできたかわかんないすけど、よかっ」もう一枚、「仕事おつかれした、夕飯つくっといたんでよければ、」最後の一枚、ひときわぐしゃぐしゃの紙玉、「食え」(これはないなとじぶんで思ったんだろうな…福田くんらしいけど)
笑ってしまった。自分のために何度もメモ書きを書き直す福田くんの姿は想像するとおかしくて、たぶん恥ずかしさから、結局一枚も残せないあたりがかわいくて、乱暴に切られたきゅうりがおもしろくて、なかなか、とまらなかった。(ストパーでも、イケメンでも、ちょっとくらい、だめなところがあるんだな)

あっため直していただいた夕飯はおいしかった。ご飯は久しぶりに、二回、おかわりした。自分じゃないだれかのつくった食事というのは、寒い日々にはかくも、あたたかい。
夕飯おいしかったですごちそうさま、メールを送った時刻はもう遅く、送信ボタンを押すと僕は居間のソファでそのまま寝てしまった。自分の家具なのに、福田くんの匂いがするような気がした。


そうして起きるとなぜか身体が重い。金縛りかと思いながらうんうん目を開ければドアップで福田くんの長いまつ毛、うるわしい、ご尊顔。(これは、もちろん、最大級の嫌味!)おどろいて飛びずさろうとしたけれど背後はせもたれで、逃げ場がなかった。起きて起きてと、意外とやわらかな頬を引っ張ると福田くんは目を覚まし、目線でひとひとり殺せそうな顔をして、ねむい、とだけ言って僕の腰を抱き寄せまたぐうと寝た。
今度は耳を引っ張り持ち上げてむりやり起こして、福田くんなんでいるの新妻くんのとこじゃなかったの! 腹から言うともにゃもにゃと呂律の回らない口で、「ゆうじろうさんがさびしがるとおもって」…さいあくだ。(怒るに怒れないじゃないか!)

時間をかけてなんとか両腕の束縛を解いて、この狭いソファに男二人で寝ていたなんてと恐怖しながら立ち上がり、のそのそと朝食に取り掛かる。福田くんの要望で、すっかり我が家は朝食パン派である。
ようやく食卓に顔を上げた福田くんにパンとレトルトのスープを出してやりながら、明日あたり、そろそろ帰るんだよねと聞いた。福田くんはしばらくきょとんとしてから、ああ、とうなずいた。寝ぼけているのかな、と思いながら僕はコーンポタージュを流し込んだ。(レトルトってほんと、バカにできない)

夜、印刷所に寄ってから帰宅すると、福田くんは数分後に帰ってきた。夕勤だったらしい。ぢかれた、腰をさすりながらソファに座り込む福田くんに、そろそろ荷物まとめておきなよと、食卓の半分、指さして言う。明日帰るんだから、付け足すと福田くんは頭をかきながらすこしばつのわるい顔で、ぼそぼそと話す。

「わりいんすけど、実は明日も、来られないらしくて、」
「えっ? またなの? うーん、あんまり空けるわけにもいかないし、他の業者、当たった方がいいんじゃないか?」
「そう、っすね、んー…」
「なんだったら僕が探しておこうか?」
「え! い、いいっすそんな、雄二郎さんに迷惑、かけらんない、し、」

妙だ。僕はそのときようやく気づく。おかしい。普段なら僕の迷惑なんてちっとも顧みない問題児なのだから。今日の福田くんはなにか、ようすが、ヘンだ。
食卓に手を置いて上から福田くんの顔をのぞきこむ。生意気な目はいつになく気弱に揺らいだ。

「福田くん、僕に嘘をつこうなんて百年早いんだよ」

鎌をかけたつもりだった。確信もあったわけじゃないが根は純朴な福田くん、う、と困った表情浮かべ、それから素直にすみませんと、あやまった。なんで嘘ついたの、問い詰めるとうつむき、福田くんは唇を噛み締める。

「業者、来ないって言ったら……さんと…」
「え?」
「っ雄二郎さんとこ、置いてくれるとおもったんだよ!」

ほとんどヤケ起こして、顔を上げた福田くんは投げつけるように僕に言った。
え、なに、それ、どういうこと。思考が止まる。感情的な赤い目は僕を睨んでいる。意味がわからない。もっとわかりやすい言葉にしてくれないか、言いたいけど、言える雰囲気でもない。僕が黙り込んでいると福田くんはふいと目をそらし、ふてくされたように、話す。

「くそ、嘘だよ、三日目から、全部。先週ホントはもう修理屋、来てたんだ。でも雄二郎さん一日泊まっても怒らねえし、次の日も泊めてくれるし、だから、俺、すっかり居心地、よくなっちまって、それで………わりい」

やっとすこしは、状況が呑み込めてくる。おどろきながら、どうしてそんなことしたの、聞けば、あーもうにぶい人だな! 福田くんが怒る。(いや、怒られてもにぶい僕にはわからないんだってば、)
そうして僕の上着の袖を、引いた。長い腕、つよい力、なによりあんまり突然で、僕はあっさりその腕につかまってしまった。福田くん離してよ、言おうとひらいた唇はふさがれた。今度こそ、思考が、止まった。
押し付けられた唇の、離されたときにはほとんど、放心状態だった。今になって福田くんの気持ちに気づいたじぶんの鈍さが歯がゆかった。なんといえばいいのかわからなかった。福田くんは気まずそうに、僕を離す。

「…ごめん、俺、帰るな」

立ち上がろうとする福田くんの裾、反射的につかんでいた。目に見えて、狼狽したのがわかった。

「っなにしてんだよ雄二郎さん、バカじゃねえの! 俺、雄二郎さんが好きなんだぞ! このバカ! 天パ! 鈍感!」
「た、たしかに、僕はバカで天パで鈍感だけど…でも、でも、その、…好きだよ、福田くんが」
「洗濯たたむのへたくそなくせに! 靴下脱ぎっぱなしにするく……え?」

いまなんつった、聞き返す福田くんだって立派に、鈍感だと思う。(何度も言わせないでくれ僕だって、恥ずかしいんだからさ!)もう言わないよと前置きして、もう一度だけ、小声で伝えると、福田くんはぽかんとした。(ストパーでもイケメンでも、口が半開きだと、まぬけになるらしい。発見だ)
じぶんでも、どうかしてるってわかっていた。でもすっかりなれてしまった福田くんと一緒にいる時間、気がついたらもう、手放せなく、なっていた。絆された、というのがたぶん、ただしい。けどまあそういうわけだから、しかたがない。

ふたり、黙り込んでいると、焼き芋屋の気の抜けた売り文句が窓の外からきこえた。寒いのに、ごくろうなことだ。そういえば、もう、ずいぶん暗い。

「あ、その、今日は、…泊まってくの?」

たずねると福田くんはすこし考えてから、ダメ、むり、と言った。なんでと聞くと、このままいたら、襲っちゃうかもしれないすから。そっぽ向いて、福田くんはつぶやいた。
カア、と、頬が熱くなった。女の子とそういうことをしたことがないわけではなかったけれど、いざ福田くんの口から言われるとなんだか生々しくて、恥ずかしかった。駅まで送るよ、僕が言うと福田くんはすこしうれしそうに、こくこくと、うなずいた。
送る道はふたりとも無言で、吹き付ける風もつよかったけれどふしぎと、寒くはなかった。
改札の向こう、切符を振りながら福田くんは、こんど、なんか食いにいきましょうと言ってわらった。連載決まって、福田くんが奢ってくれるならね、僕もわらった。人混みにまぎれて僕の恋人は階段のむこうに消えた。

ところで僕が、下なの? とは、おそろしくて、聞けない。


身内本より再録
(2009.1118)