あっ。声には出さずとも右手が伸びていた。ゆっくりと三角巾揺らし振り向いたお姉さんがにっこりとほほえみ小首をかしげる。僕がもうひとこと付け足すと、かしこまりました、うなずいて、奥の厨房に歩いて行った。残された僕はガラスのショーケースの中、整然と並ぶとりどりのケーキにそわそわと視線さまよわせ、店員さんのもどるのを待っていた。緑と赤のおかざり、レジ横にサンタさんがちょこんと腰かけ、左手一面の窓にはトナカイやらソリやらのペイントが施されている。クリスマスイヴ。閉店間際に飛び込んだから、もうお客は僕の他にいなかった。

ぱたぱたと歩く音がきこえる。そろそろお姉さんがもどってくるだろうか、鞄から革の財布をとりだして待つ。かえってきた彼女の差し出す白い平らなビニール袋、受け取って千円札を二枚かわりに渡す。笑顔のありがとうございましたとお釣りを受け取り、僕は駅前で唯一のケーキ屋をあとにした。カランカラン、ベルの鳴って、ドアの脇にしゃがみこんでいた彼が顔を上げる。(…ヤンキー座り、似合いすぎるからやめた方がいいよ)寒さにいくらか赤くなった鼻をこすってぽそり、おそいっす。ごめんね、へらりと笑いながら言えばパッパとお尻払って福田くんは立ち上がった。スカジャンがスッと伸びて僕の袋を取る。

「あれ、いいの?」
「俺、手ぶらだし」
「そっか」

片手の鞄を見てうなずくと、福田くんはちらりとビニル袋の中を見てから、声をひそめて言った。

「ケーキ屋とかって、なんか…恥ずかしくねえ?」
「え?」
「…なんか、男が入っていい空間ってかんじがしねえ」

ははん君もまだまだ十九歳だねえ、思ったことが表情にでていたのかげんこで頭をぐりぐりされる。(ちょ、て、天パだからって痛くないと思ったら大間違いなんだからね!)やっとのことで抜け出すと、ふと、ガラスの向こうに気がついた。さっき僕にケーキを手渡してくれたお姉さん、目が合うと、いくらか決まりわるげにそらされる。その口元がゆるんでいる。(やばい、笑われてた…)なんだか途端に恥ずかしくなり、僕は行くよ福田くんに一方的に言って、歩き出した。え、どうかしたんすか雄二郎さん、なにも知らず聞いてくる十九歳は、ちょっと、たちがわるくてそしてけっこう、かわいい。


終電もそろそろ終わり、人気のない家路をゆく。吹く風は刺すようにつめたくて、スニーカーを履いた足の先まで凍るようだった。マフラーを巻きなおしてずび、鼻をすする。ちらりと横目に背の高い福田くんを見上げると、気づいた彼はすこしだけ、申し訳なさそうな顔をしてみせる。僕は、スニーカーあたらしく買ってうれしかったから、いいんだよ、と言ってやった。すぐにニカとわらう単純な僕の恋人。

福田くんは僕をバイクに乗せない。一度なぜと聞いてみたら、男乗っけても楽しくねえから、と言っていた。そうしてそのあとすずめのような声、雄二郎さんにしがみつかれたらまともに運転できる自信、ねえから。(僕の恋人はツンデレさんだ)僕はといえば、一回くらい後ろに乗ってみたい気もするのだけれど、時間を短縮してしまう機械に頼るよりのんびりと並んで背の高い福田くんを見上げながら歩く方がいいやと思っていた。そういうわけで、たまにふたりで出かけたりするときはたいてい電車、徒歩だった。


十分ほど歩いて僕のマンションに着く。

マフラーほどきながら居間のガスストーブをつけ、それから電気を点す。パチ、…ボッ、フウウウウウ、足元から流れ出すあたたかな風につま先突き付けながらよっこらせ、荷物を下ろしながらふと気がついて僕は聞く。

「泊まりの荷物、持ってきたよね?」
「ああ、そこに」

指差したソファの上、たしかに黒いスポーツバッグが置かれている。僕は帰りがおそくなるから、先に家にくるよう言ってあったのだ。だとしたらと、違和感に首をかしげる。

「福田くん、ストーブもつけずに待ってたの?」
「! えっ、うあ、い、いや…その…」

数十分前まで人がいたにしては、冷え切っているなと思ったのだ。福田くんはあからさまに慌てたようすで、食卓にケーキを下ろしたままの指がしどろもどろに曲げられてはひらき、めずらしく素直に戸惑っている。どうかしたのかと返事を待っていると観念したようで、硬い口調で福田くんは言った。

「……合鍵もらったの、うれしかったから、それどころじゃなかったっす」

なんと、かわいい、十九歳、だろう、か。わざわざ単語で区切ったわけじゃない。あんまり、かわいかったから、頭の中でさえすらすらと、ことばが出てこなかったのだ。それってつまり、ソファに座って合鍵みつめて、照明にきらきらさせてみたりしながら、じっとしてたってこと? いまどきの十九歳ってこんなにかわいいの? キレる世代じゃなかったの? いい大人はそんなこと考えながら口元を必死で押さえる。うれしさとか、笑いとか、あとちょっと感動めいたものとか、入り混じって、唇が震えている。(この前渡したときは、よろこぶ素振りなんて見せて、なかったのにね)

「…っなんすか! 笑うなら、ひとおもいに笑ってくださいよ!」
「え、ああいや、ごめん、ごめんね? その、…はは、かわいかったから、うんあの、好きだなあって」

きもいっす! 目をとがらせて怒る福田くんの青さ、いとおしい。普段はささいな喧嘩することが多くて僕だってこんなこと言わないのだが、たまに年下のかわいさを目の当たりにすると胸が締め付けられるようで、たまらなくなる。笑いながら腕まくりをして、僕はキッチンに立った。


せっかくのクリスマスだからといくらかその日は奮発した。若鶏とごまだれのサラダ、ごった煮スープ、それから福田くんの買ってきたケンタッキー。年に一度、おいしいチキンをつくりだしてくれたカーネルサンダースに敬意を示す記念日。(「カーネル」は名前ではないと、仕事の調べものをしながら知ったとき、それはけっこうな衝撃だった。彼に贈られた称号なのだそうだ)

バクバクと飲み込んでいく若さにつられて食べすぎてしまった。未成年マストノット、ひとりだけ飲んだシャンパンもけっこう、響いているような気がする。お皿だけ水にひたして、ぽっこり出た下腹おさえながらソファによろよろと、もたれこむ。福田くんはあれだけ食べたのに僕より数段軽い足取りで、となりにすっと座った。(うう、おなかがいたい…)

「福田くん、肩、かりる…」
「ん? あーはい。…吐いたら絶交っすよ?」
「吐かないし!」

反発しながら頭はぽすり、細身のくせにしっかりした肩に乗せる。福田くんちのシャンプーはなんだか女の人みたいな匂いで、僕はこれを嗅ぐといつも、ちょっとどきっとするのだ。なんだか悔しいから、言わないけど。

そうしてしばらくじっとしていると、なんだかすこしは胃袋に余裕が出てきたような気がする。そろそろケーキに挑もうかと、横を向いた瞬間腰に手が回された。

「あ、」
「え?」

なに? 回された骨ばった手、おどろいた福田くん、きょろきょろと視線行きかわせてようやく、鈍い僕は気づくのだ。(…っごめん! 福田くん!)

「もしかして今だいぶタイミング、わるかった…?」
「っ、んなことっ、ない、…っす!」

苛立ちを噛み締めるような顔でわなわなと。触れた指先が震えている。同じ男としてたいへんに、申し訳ないかぎりである。これまでその、そういうことをしたことはあったけれど、大体年上の僕が指を伸ばすかたちだったからそれなりに、勇気を出して彼は、手を出しただろうに、まぬけな僕のせいでムードとかそういうもの、ぶち壊しだ。(なんか、ごめん、福田くん)

いたたまれなくて、ケーキ食べようかと立ち上がる。うぐ。もたれ気味の腹を手でおさえると福田くんがため息ついて、手で制し、俺が持ってきますからと、涼しい廊下に出て行った。ほとんど天然の冷蔵庫で、向こうに置いておこうということになったのだ。(…ていうか、ほんと、すみません)

もどってきた福田くんがまな板の前に立ち、ビニール袋から取り出す。僕はうしろからそれをぼんやり見ていた。と、箱を開けた福田くんがぶっ、と噴き出す。あれ、と思っていれば振り返ってくつくつと、笑いながら福田くんがいう。

「わざわざ頼んだんスか…これ、」

そこでようやく思い出す。Merry Christmasだけ書かれるはずだったケーキ、お姉さんに付け足してくださいと頼んだ「しんたくん」僕だって迷ったし恥ずかしかったけれど、ケーキに書くのって、下の名前じゃないと変な気がしたのだ。福田くんはいまや大口開けてわらっている。

「頼んだのかようわ…はずかし…雄二郎さんちょー、恥ずかしい…」

もう、なんとでも、いってくれ。太ももにひじついて顎のせ、ふてくされたポーズをとってみせる。福田くんの笑いはとまらない。(くそー…ケーキの上のサンタさんは僕が奪うからな…)

さんざん笑いつくしたあと、涙ぬぐってふわり、軽い軽いあしどりでやってきた福田くん、なにをするかと思ったら僕の頭にぽんと手を置いた。ぐしゃぐしゃぐしゃ、もしゃもしゃもしゃ。犬にするみたい、撫でられる。犬ではありません、アフロでもありません、天然パーマです。目で言い張ると、わらった、福田くんの腕が伸びてきた。シャツとジーンズのあいだを指先がうろうろとしている。ケーキだめになっちゃうよ。俺が全部食うからだいじょぶっす。…サンタさんは僕がもらうんだ。あの砂糖菓子あんまおいしくなくないすか? …うん。そんなこと話しながら、僕らはキスをした。ムードとかそういうのより、僕らにはたぶん、こっちの方が、合っていた。


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なんかむだに長くなっちゃったごめんなさいね
めりーくりすまーす

(2009.1224)