「あれ、瓶子さんは今日の飲み会、行かないんすか」

きょとんとした声、雄二郎に答える前に、その横に立っていた相田がいいんだよと首を横に振った。

「瓶子さんは先約がいるからな」

ほらさっさと行くぞ、そう言って、先に出て行った飲み会の面子の後を追う。疑問符を浮かべた雄二郎もはあ、とつづいた。苦笑。

「・・・いつか、ばれると思うんですが(というかもうばれてる気もするんだが)」
「そうだな。時に、お前、職権濫用という言葉を知っているか」
「(・・・・・サラリーマン社会って、儚いよな)」

あいまいにうなずいて、椅子にかけてあったコートを羽織る。ボタンにかけた手にもうひとつ、重なった。骨張ったゴツゴツとした、長い。ふわりと鼻腔、慣れた匂いが掠める。すっかり人も帰り薄暗いとはいえ、

「職場でやめてくださいよ、こういうの」
「・・・・今週はいつにも増して忙しかったから、疲れてるんだ」

すこしくらい甘えさせろ、傲慢な、大きな子どもがうなじにもたれる。髪のあいだをくすぐる吐息はくすぐったかった。


週末の俺は編集長に予約されている。

彼が編集長になる前、そして俺が副編集長になる前、ずっとずっと前、出会った頃は控えめに、飲みに行かないかと聞いてきたのに、いつしか毎週の習慣になって彼は当然のように俺の週末を要求する。(ああ昔の可愛げがあった彼はどこへ、・・・・いや昔も可愛げはなかったな)そうして編集部内でももはやそれは暗黙の了解だった。

集英社の近くの屋台、六本木のバー、新宿の居酒屋、いくつか気に入りの店を転々と、気分によって回っている。編集長は行き先を言わなかったが、今日は地下鉄の方向から察するに、新宿だろう。ガタンゴトン、カップルや疲れた会社員たちの座り、ぽつぽつと空いた席の見える車両、立ち並んで窓際で揺られながらぼんやりと、いつのまにか年を取った横顔を眺めていた。しかし窓に映る俺の顔も、同じくらい年齢を重ねていた。


長い付き合いで扱いにも慣れていた。

たとえば愚痴にはうなずいてやり、酔って唇の端に日本酒があふれればおしぼりで拭ってやり、だいたい飲み切れない量までやってくるとオーダーをストップさせる。そして鞄からカードを取り出して一括でと頼み、彼の名前を書いて財布にしまい、その腕を背負ってホテルまで歩かせる。そうすれば編集長は勝手にベッドに飛び込んで、はやく来いと赤い目でねだる。俺はその上に圧し掛かって好きに抱く。世話を焼くかわりに、俺は彼を好きにしてよかった。特に口に出したわけではないが、それが俺と彼との取り決めだった。

セックスの最中は年々会話が減った。今じゃほとんどなにも、話さなくなった。最初のうちは律儀に好きですだとか囁いていたが、なんだか途中から恥ずかしくなったのだ。好きだなんて今さら俺も彼も、わかりきっていた。

行為を終えるとせっせと俺は後始末をする。編集長はぐたりとシーツに寝転んだまま動かず、黙って俺に脚を持ち上げられていた。もう眠ってしまったのかもしれない。

が、起きていた。処理を終えた俺がとなりに寝るとまたうしろから、抱きついてきた。

「起きてたんですか」
「・・・ああ」
「明日ちゃんと、起きてくださいよ。毎回寝起き悪くて苦労するの、俺なんですから」
「まあ、覚えていたらな」
「そう言って、覚えていたためしがない」
「年上は大事にするものだぞ」
「いつもお姫さまのように大事にされてるのにこれ以上どうしろと」
「は、それもそうだな」

うなずいたきり、編集長はもう喋らなかった。たまに身じろぎすると、男二人をのせたベッドがぎしりと軋む。腰には編集長の腕が巻きついているが、痛くないだろうか、痺れたりしないだろうかと心配になった。我ながら、傲慢な上司に対して優しすぎるサラリーマンだった。

そんなことを考えていると背後の男はぽつりと言った。

「明日は、私が起きるまで、ベッドを離れるなよ」
「・・・なんですか突然」
「この前、起きたら一人でシャツを着ていた。・・腹が立った」
「そうですかはいはい」

・・・・ああもうまったく、ひどい上司だ。


(何年経っても可愛いんだから)



++++
フリーダム万歳
亜豆香耶と副編書いたらもう怖いものなんてなにもないよ☆


(2009.0803)