編集長はすぐ俺の眼鏡を外したがる。そのくせ自分のフレームには触れられることすら厭う。なぜですと聞いても返事はない。そして寝たふりが下手だ。起きているだろうに俺に剥き出しの背を向けて黙ったままである。そのくせ安ホテルの雑な空調が産毛をなぞるのがくすぐったいのか時折り肩を震わせている。 床に落ちた上着のポケットから彼の大好きな銘柄を一本拝借して火をつけた。腹いせだ。編集長は自分の煙草が吸われているのを知りながら、しかし「眠って」いるのだから俺に抗議できない。せいぜい朝起きて俺に疑惑をつきつけるくらいしか手段は残されていなかった。俺は酔っていたんじゃないですかととぼければそれでいい。狸寝入りなどしているのがわるいのだ。セブンスターは滅多に吸わないが嫌いではない。 本当は理由などとうに知っていた。照れるから。それだけだ。至近距離ではっきりと見つめられるのがどうやら嫌らしい、いい年こいたおっさんが。燃えるじゃないか、そんな単純な動機で俺の眼鏡を奪い、そしてそんな簡単な理由を口にできないところが。 くつくつと腹の底から笑いが込み上げる。横では恋人がもぞりと動く気配があった。どうも煙草の窃盗犯を現行犯逮捕するための準備を始めるつもりらしい。可愛らしいことだ。煙草を吸うペースは早めない。俺の方が一歩先に吸い終えて相手が歯噛みするのも一興、それとも口付けたところを見咎められもう一度ねだられるのも一興。どっちだってよかった。わざとらしい呻き声がきこえ始めている。 俺が遠視だという事実を彼は知らない。 +++ お読みいただきありがとうございました。 (2011.0301) |