ものごころついたとき、となりには大きな犬がいた。猫ならタマ犬ならポチ、子どもながらにも安易なと思ったネーミングセンスを持つ母はやはりその犬をポチと呼んだ。幼かった私は自分より大きな動物が怖くてよりつかなかったけれど、ときどき居間で眠るあたたかな毛むくじゃらにそっと触れた感触は今でもよく覚えている。


平丸さんを拾ったのは、母へのたぶん罪ほろぼしのつもりだっただろう。幼い頃、母が私にご飯を食べさせているあいだにいなくなってしまったポチのことは、心のどこかで罪悪感となって残っていた。

公園で私より年下の子どもたちにさえ相手にされないようすはかつて私が怯えた犬とはとてもちがったけれど、しゃんと立てば私より背は高いし、たしかこんな白黒の柄の犬(ポチの一件以来犬に対してあまり関心持たないようにしていたのでよくは知らない。ポメラニアンだかダルメシアンだか、そんな名前だった気がする)もいたはずだから、連れて帰れば母が喜ぶかもしれないと思ったのだ。

しかし母は平丸さんを見るなり顔しかめ、「元あったところに捨てていらっしゃい」あんまりではないか、中学生の娘が母のためにと連れてきた気持ちをこんな風に一蹴するだなんて。反抗期などとは縁がなかったが頑固な性格を自認している私はそこで燃えてしまったのだ。飼ってくれないのなら山久さんのお宅にお世話になります、最大級の駄々をこねるととうとう母は私に屈した。平丸さんとハイタッチをしながら、これでよかったのかしら、頭を抱える母の姿にそんなことを思っていた。


飼育許可を得た私は数日ようすを観察した。

初日は中学から帰ると平丸さんが床で倒れていた。母曰わく、すこしばかり手伝いを頼んだところ足腰が立たなくなってしまったそうだ。洗面所のカゴにはめずらしく雑巾が山盛りになっていた。

二日目、母と平丸さんが買い物しているのを帰り道見かけた。犬一匹増えただけにしては、ビニール袋の食材は多いように見えた。地面すれすれ低空飛行するスーパーの袋と反対に天国すれすれの顔をして平丸さんは歩いていた。

三日目、食事中に見下ろした横顔は多少骨ばってきたように見える。目が合うとにへらと笑っていたが眼球に光がなかった。サラダボウルからトマトをひとつ差し出すと甘やかすんじゃありません、母に叱られたので結局自分の口に運んだ。

一週間、平丸さんの毛皮がずいぶん汚れてきた。土仕事なども手伝わされているらしい。すこし仕事を減らしてやるよう母に言うと、家賃プラス光熱費分と返され言葉に詰まってしまった。扶養されている立場の私にはなかなか口を挟みづらい話題。平丸さんは目の下によりくっきりとクマを描いていたが私にはつらそうな顔を見せなかった。

十数日、帰宅すると平丸さんの毛皮がピカピカになっていた。なにかあったのか母に尋ねたが知らぬ存ぜぬの一点張りだった。しかし妙に機嫌はよかった。

さらに数日経った今日、そういえば母が平丸さんをポチと呼ばないことに気がついた。家に拾った日から一貫してポチで通していたので、母は犬にポチ以外の名前をつけることを法律違反とでも思っているのではないか、そんな疑いを持っていたがそうではないようだった。

平丸くんなに寝てるの寝るなら自分の小屋に帰りなよ、テレビの前の絨毯で寝そべっているのを母が足でぎゅむと踏む。数日前は大丈夫だろうかと見ていたが、よくよく観察するとそう強くは体重をかけていないのがわかる。まどろみかけていた平丸さんは足をどかしながらのろのろと起き上がり自分の小屋にもどっていった。両手を腰に当て仁王立ちした母はため息をひとつついてソファの私を振り返る。

「風呂入ってはやく寝るんだぞ、最近涼しくなってきたから」
「はい」

返事をして言われたとおりに入浴し、出た頃には一階の物置部屋で母がなにやら探し物をしていた。ドアの隙間からのぞけば、古い毛布を手にした母とパチリ目が合う。ぎょっとした表情で母は手にしたパンダ柄の毛布をそそくさと後ろ手に隠した。兄のおさがりで、私が小学生の頃つかっていたものだ。首をかしげると、気まずげに母は視線をそらす。

「あー、いやその…たまには日干ししないといけないかと思ってだな、」
「…今、夜ですけど」
「! あ、あしたの話だよ、あしたの!」
「…そう、」

風呂上りにはすこし暑い長袖をめくって二階の私室に上がる。庭に面した私の部屋からは下のようすがよく見えた。

案の定母は人目を気にしながら十月の夜庭に下りてきた。手には先ほどの毛布を抱えている。足取りが平丸さんの小屋に向かったのをみてカーテンをしめた。口元にはゆるやかに笑みが浮かぶのを隠し切れない。

私の母は、厳しいところもあるけれどじょうずに嘘のつけない可愛い人だ。

(やっぱり私の拾い物はまちがっていなかった!)



(2012.0628)