朝、ゴミ出しに行ったらとなりの奥さんに会った。通勤中の人目を気にしながら奥さんは僕に聞いた。

「おはよう、あー静河くんだったか? 答えられる範囲で教えてもらいたいんだがおたくの山久さんは一体何の仕事を?」

僕は言葉に詰まった。引越しの手続きの過程で山久さん以外ともすこしなら会話ができるようになっていたから、萎縮して奥さんと話ができなかったわけでなく、単純に、答えがみつからなかったのだ。

山久さんの仕事って、なんだろう。日中は家で掃除したりご飯をつくったり、たまにふらっと出かけたりしている。夜は、その…まあ、僕の目のとどくところには、いつもいる。外出しても、とくべつ疲れて帰ってくるようすはない。主夫、が近いのだろうか。おずおずと答えてみると奥さんは眉をひそめて僕に言った。

「主夫? じゃ生計はどちらが?」
「え…あ…ぼ、ぼく、」
「…そうか、君も苦労してるんだな、」

あいつ…ヒモか…、ぽつりとつぶやき奥さんは宅にもどった。僕はといえば、今しがた直面した事実におののいて燃えるゴミの前でしばらく立ち尽くしていた。

(山久さんは、ヒモだったのか…!)

家にもどると山久さんが起き出したところだった。僕の姿を見ると、あ、ゴミ出しありがと、にへと笑って近づいてくる。そうして廊下、僕の前に立つとニコニコと見上げた。なんですか? 聞けば、朝一番に恋人の顔見たいでしょう、山久さんは楽しそうに言う。そうなのか。僕は陰気だといわれ続けてきた自分の顔なんてべつに好きじゃなかったが山久さんがそういうなら、そうなのか。じいとひとしきり眺めて満足したのか山久さんは洗面所に行ってしまった。そうかきっとあれがヒモのコツにちがいない、僕はなんだか納得してしまった。

それから一日、山久さんを観察してみた。午前、寝起きはあんまり元気がなくて、居間のソファでだらだらしている。昼、ようやくシャッキリしてきたのか、僕に昼食をつくり洗濯物を干した。午後、あいかわらずソファでごろごろ。見ていたら膝枕してよと手を伸ばされたので座って観察。茶髪の中に一、二本金髪が混ざっているのを発見。(ちょっと嬉しかった)夕方、静河くん今日は出前にしようよと言い出す。棚からチラシを持ち出して物色している間に自室にもどりパソコンを開けた。

グーグル検索 ヒモ クリック。ヒモの条件、ヒモ男との別れ方、ヒモになるには、色々出てきたがその中で俗語辞書なるページを開いた。

【ひもとは女性に働かせ、金銭を貢がせたり、女性に養われている情夫をいう。男女の年齢の上下や年齢差は関係ない。また、女性がそうする理由も特に関係ない。以前は女性が精神的・肉体的に離れたくないといったものが貢ぐ理由として多かったが、女性の経済的自立とともに家事をしてくれて便利な男だから養っているといったものも増えている。これらはどちらもひもにあたるが、婚姻関係にある場合は女性の稼ぎで生活していてもひもと呼ばない。また、ひもに貢いだり、ひもを養っている女性をひも付きという。】

(僕は、ヒモつきだったのか…!)

その日二度目の衝撃に固まっていると、ノックもせず山久さんがドアを開けて僕の部屋に入ってくる。ねえねえ静河くん、僕今日は寿司がいいんだけど、背にかかる声に慌ててページを仕事用の画面に切り替えた。あ、と山久さんが後ろからデスクに手をつきのぞきこんでくる。僕はそそくさとイスを回して首筋にかかる吐息を離れた。画面を見ても株の状況なんてわからない山久さんは僕をくるりと振り返る。

「お疲れさま、今日ははかどった?」
「あ…い、いや、その、」
「調子よくなかったの? そっか、じゃ明日頑張ろう!」

片手をぐっと握って笑いかける山久さんに僕は不安になる。おろおろしていると察した山久さんが首をかしげて僕の話すのを待ってくれる。呼吸をととのえて、すこしずつ、僕は喋った。

「あ、あの、」
「うん?」
「…僕が、お金、なくなったら、その、」
「え? なにどうかしたの?」
「い、いや、たとえばで、…お金がなくなったら、僕、のこと…」

嫌いになるでしょうか、とは、聞けない。はっきりと答えをいわれるのが怖いから。でも他になんていえばいいんだろう、困りあぐねて見上げると、山久さんはなんだかきょとんとしていた。

「お金がなくなったら? 仕事、したくないの?」
「! そ、そうじゃなくて、」
「うーん、事業に失敗したらとか、そういうこと? そしたらさすがに僕も働くしかないかなあ」

静河くんに不自由してほしくないしね、僕のせいで親元まで離れさせちゃったし、ハハ。笑って、それから手にしていたチラシに目をそっと落とし、山久さんは言う。

「でも、ずっと一緒にこの家で暮らしていたいから、仕事、頑張って欲しいよ」

もちろん無理はしないでほしいけどね、あはは。

この人は、いったいどこから僕の欲しいことばを引き出してくるんだろう。もしかして僕の脳内情報がどこかから漏れているのかもしれないと時々不安になる。

寿司どれにするか迷ってるんだけど、チラシを広げて見せる山久さんの手を僕からそっと握った。静河くん? 怪訝な顔をする山久さんの顔を、たしかに僕はいつも見ていたいなと思うから朝言われたことがようやくわかった気がした。山久さんの好きなのでいいです、僕が言うと僕より年上の山久さんは目をきらきらとさせてチラシを見直している。困ったなあとつぶやくのでそんなに迷っているのかと聞くと、静河くんといちゃいちゃしてる間に出前の人来ちゃったらどうしようと思って! 真剣な顔でいうのでなんだか笑ってしまった。

けっきょく二人で食べるには多すぎる出前を頼んで、インターフォンが鳴るまで、つないだ手は、離さずにいた。




(2012.0628)