本誌16号準拠です。ネタバレも含むかも
読んでないといまいちわからない可能性あり




喉が掠れている。呼吸をするたびヒューヒューと嫌な音がした。いつからかは、忘れてしまった。もうずっとそうだったような気さえする。

眠いのかどうかさえわからない目を見開いてキーボードをせわしなく打ち込みつづけている。暗い部屋、二十人弱まで減ったアドバイザーとの最終調整中だった。来週号は亜城木にぶつける同じネタ、どうしたって僕が負けるわけにはいかない。磨耗した頭でただただストーリーを練りつづけた。

そうして明け方近くまでかかってようやく意見をまとめ終える。「お疲れさまでした」インカムを置いてイスから立ち上がり、久々に大きく伸びをすると身体中が軋むように感じた。首を何度か回し、僕は数日ぶりに眠いということを実感する。ベッドになだれ込んだ。無自覚だった疲れがどっと押し寄せる。ぐしゃぐしゃと掛け布をたぐりよせながら、鳥がどこかでチュンチュン言うのがうるさかった。目の前はゆるやかな闇に落ちていく。

意識の落ちる途中ふとよみがえったのはなぜか、数時間前に出て行った担当の姿だった。

(…小杉、さん、か…)

大卒の新人、マンガのことなんてまるでわかってない僕のハズレ担当小杉さん。今日亜城木のところに交渉に行かせて初めて役に立った、冴えない編集者だ。

でも、と思う。口には出さないが心のどこかで小杉さんは、ただのハズレではないような気がしていた。そうたぶん、あいつはヘンなハズレなのだと思う。(まあ、ハズレの上にヘンってどうなんだよって感じだけど、)

だってどう考えたっておかしいじゃないか。小杉さんは僕がどんなに嫌悪し軽んじてみたって、鏡のように僕に憎しみを返してきたことは一度だってない。あの真っ黒な、いかにも純真ですとでもいいたげな目が嫌悪に歪んだら僕はきっと最高の征服感を得られるだろうに彼はそうしてくれない。

どころかテレビでよく見る陳腐な熱血教師よろしく七峰くんアレはだめコレはだめ、諦めず口出ししてくる始末。(――あ、そうか)諦めの悪さだけは評価してやってもいいかもしれない。ぼんやり思った。それかもしれない。

小杉さんはなにがあっても、僕を、諦めようとはしないのだ。

担当のくせに作家を見捨てる気か!今日問いかけたときだってけして首を縦には振らなかった。ただ廊下の蛍光を横顔に受け、静かに僕の願いを引き受けただけだ。


その後小杉さんがどうやって亜城木に約束をとりつけたか僕は知らない。想像に過ぎないが頭は下げたにちがいない、とは、思う。あの律儀な性格ならきっとそうするだろう。

不思議だった。罵られても嘲られても、僕のせいでプライドを捨て誰かに懇願するはめになっても、なぜあの人は僕を捨てないのか、わからなかった。さらには(僕が亜城木に負けるわけがないけれど、)来週負けたら「僕と2人で作品をつくっていこう」などとのたまってみせる。どうやら僕が惨めな敗北者になったとしてもまだ捨てずにいるつもりらしい。

ヘンな男だ。もしかして、マゾなのかもしれない。あいつの性癖なんかに興味はないけれど。

でも、すこし、本当にすこしだけ、嬉しいかもしれない、と、思った。僕が信頼し意見を求めたネット上のアドバイザーたちは一人また一人、まるで真珠のネックレスのほどけるようバラバラと僕を裏切ったが小杉さんだけはそうではなかったからだ。僕はようやく、暑苦しいくらいまっすぐに自分を見つめてくる深黒の瞳に心地よさを見いだし始めているのかもしれなかった。(…まあ簡単に信じたりなんか、してやりませんけど、ね)


近くで、バイクが行き過ぎる音がする。新聞屋も動き始めたらしい。なにげなくベッドサイドの時計を見れば最後にウィンドウズの右下に見た時刻から一時間も経過していて驚愕した。早く寝て起きて、マンガを描かなくては。頭まで布団をかぶると外音が膜を帯びて遠ざかる。今度こそ深い眠りに落ちていけそうだった。

ああ、ちくしょう。
悔しいけれど、目覚めたときには忘れているだろうから今だけ認めてやる。

(せいぜい一時間分くらいは彼を信用し始めているのだ、と)




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お友だちと話していてようやく小七開眼できて嬉しくて書いた。 でも書いたあとで彼女まだ16号読めてないと気づいたという…orz
彼女の手元に16号が売り切れず届きますよーに…!

(2011.0326)