次の朝目覚めた兄は、顔を洗って病室の、鏡に映ったじぶんをみて、それからベッドの横にだまって座る弟をみて、詰ることもしなければ、涙することもありませんでした。ただ疲れ果てたようにやつれた面持ちで、沈黙をつづけていました。

コージィには、兄の絶望がじぶんのことのようによくわかります。なぜなら兄弟の中身は、まったく同じだったからです。気まずい静寂を破ろうと、コージィはいろんな話題をふりました。けれど兄の耳にはひとつも、届きません。ひとりで話しつかれたコージィは、最後にひとつだけ、聞きました。

兄さんどうして、僕をたすけたの ″

兄はちらりと弟のうつくしい顔をみて、ひとことだけ、答えました。

きみのベッドは、僕が好きだと言った香水の匂いがしたからだよ ″

コージィはハッと、気がつきました。なつかしい匂い、大好きな香水の匂い、ずっと前から好きだったその香りは、幼いころ兄が纏っていた、香りだったのです。弟に興味のなかった兄は、おそらくその匂いで弟に、なにかを感じたのでしょう。コージィはなにか、つよいひかりに目を焼かれたような、そんな衝撃を受けて、そして、うつむく兄の横顔に走る傷をみて、スッと立ち上がりました。

突然姿を消した弟の背中を、兄の無表情はしずかに、みつめていました。ご飯だよちゃんと食べてと吉田氏の持ってきた朝食に、兄が口をつけることはありませんでした。

昼前、病室にもどってきたコージィに、兄は目を見張りました。あの生きる芸術のようだったうつくしい顔、その左の頬は血にまみれ、醜く抉られていたのです。赤と黒のコントラストに飾られた手にはガラスの破片が握られていました。よろよろと、しかし力強い足取りで兄のそばにもどってきた弟は、床にひざつき見上げて微笑みました。

兄さんこれで、鏡になった ″

兄は戦慄きながら、その首をそっと、抱き締めました。きみは僕の自慢の弟だよ、はじめて言われたことばに、コージィはそっと瞳をとじます。頬を伝ったのははたして、血だったのか涙だったのか、コージィにはわかりません。


なるべく傷をのこすようにしてくれというコージィの頼みに、すこしむずかしい顔をしながらも平丸はうなずきました。そうしてそのとおりに直しました。数日後、夕方、兄弟はそろって医院をでていきました。背中だけではどちらがどちらなのか、平丸と吉田氏には判別がつきませんでした。

見送って、医者は唇を噛み締めました。

「吉田氏、僕は、まだまだ未熟です。…顔の傷はなんとか消してやりたかった」
「しかたのないことだよ、平丸くん。まだ医者になって、一ヶ月じゃないか。きみにはまだ先がある、気に病むな。あのふたりだってあれで、納得していただろう?」
「そうでしょうか、」
「ああ、そうだよ」

うなずく吉田氏の横顔をしばらく眺め、それから平丸は白衣のポケットに手をつっこみ、なにか取り出しました。吉田氏が動作につられて見ると、それはコージィの首に巻かれていたはずの、首輪です。

「平丸くん、それ、」
「御代にもらいました。本人もべつにいいと言っていたので。前から吉田氏に、首輪は似合うなとおもっていたんです」
「! ひ、平丸くん、なにを、」
「吉田氏僕はもう我慢ができません」

言うなり平丸は、数日前コージィにしたように玄関口で、ナースの身体を押し倒しました。乱暴に唇をふさぎながらその首に、髪を巻きつけないよう気をつけて黒い首輪をはめます。白衣の天使に黒ってなんか退廃的でもえますね、いやらしい声が白衣の天使の耳を汚しました。吉田氏はいやだと首を横に振り、平丸の髪をつかんでひっぱります。

「くっ、この、変態め!」
「変態でけっこう! いただきます!」

背中を地面に押し倒された白衣のナースは、それでも、あまり抵抗は、しませんでした。医者がしばらく患者につききりだったのが仕事とはいえほんのすこし、気にいらなかったのです。スカートの中に顔をつっこんでくる変態の頭は、太腿で思い切り挟んでやりました。そうしてもつれ合うふたりの影は、夜闇にとけて、いつか、みえなくなりました。

   * * *

鏡の城にもどり、兄はぽつりと、掃除をしないと、といいました。石造りの床にはコージィの血が滲んでいます。美意識の高い兄弟には、汚れが耐えられません。コージィはうなずきました。終わったら久々に、一緒に風呂に入ろうか、そういった兄に、コージィはすこしうれしそうにまた、うなずきました。

それから、兄弟は前とかわらずそれぞれ一人でじぶんを愛して暮らしましたが、時おり廊下で会ったときには、久しぶり、と挨拶をして、互いの頬にキスをして、別れるようになりました。

こういうの、メイヨのフショウっていうんだって、吉田氏が言っていたんだと兄はいいました。意味はコージィには(それからおそらく兄にも、)わかりませんが、声に出してみるとなんだかかっこいいので、コージィはそのことばが、すきでした。






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友人に贈った本の再録
お蔵にしようかと思ったけど、気に入ったので載せます パラレルワールド妄想万歳


(2009.1016)