ガン、ゴン、パタン、ピッ

背後、不穏を感じて振り返る。目が合った新妻くん、そしてその奥の電子レンジに視線移し、俺は描きかけの原稿放り飛んでった。一歩、二歩、駆け寄って右手伸ばし一直線にボタンめがけ、ピ、止める。中を確かめるまでもないが恐る恐る、透明の扉を開けた。

めんつゆ一本、魚肉ソーセージ三本、じゃがいも一袋。ひきつる頬をなんとか動かして、俺は聞いた。
「…待て、新妻くん、なんの儀式をするつもりだった、召喚かそれとも呪いか」
「儀式って…ふつうに料理ですケド?」
「! ちょ、待て待て待てあれは明らかに料理の音じゃない百歩譲ってそうだとしても絶対に人が食すものはできねえ!」
「ええっ! 電子レンジでチンすればなんでもできるんじゃないです?」
「っどんだけ万能なんだ電子レンジ! せめて材料は刻むとかだなあ、あ、いや、それで手を切られても困る、とにかく、」

腹が空いたのはわかったからこれでなんか買ってこい、そう言って雄二郎に預かった食費封筒から二枚の英世を渡す。先生の原稿は昨日上がったばかりで食事担当の中井さんが来る予定もしばらくない。新妻くんは札を突きつけられ、大人しく受け取るかと思ったがふるふると首を振った。

「お腹空いてないです大丈夫です」
「え、」

じゃあなんで、問う前に新妻くんはふらっと廊下の向こうに消えてしまった。なんだったんだと思いながら危機一髪、あわれに震える材料たちをレンジから救い出した。すると廊下の方から突然バタン! 硬い音が響く。慌てて冷蔵庫閉め、俺は走った。

そうして洗面所のドアを開ければ新妻くんは掃除機のコードに足取られ、ものの見事に転んでいた。俺を見上げると、あ、福田さん、絡まっちゃいました、のんびりとそう言うのに膝の力が抜けてしまう。

「…怪我、ねえかよ、」
「はい」

しゃがみこみコードをほどきながら、目は合わせずに言った。

「わりいけど今日はあんま、構ってやれねえ。俺近未来杯の原稿で忙しいし。…あんまり、困らせるなよ」
「……ごめんなさい、です」
「いや、わかればいいんだ、ほら立…新妻くん?」

手を伸ばしたのに新妻くんは立ち上がらない。どころか膝をかかえてうずくまってしまった。

(いや、おい待てなんでへこむ!)

この忙しいときにおいおいおい、どうしたんだよなあ新妻くん、膝の上の細い指をやわくあやすと、赤んぼみたく、少年ぐずる。こまってしまった。

「なあ新妻くん、俺だってそりゃかまってやりてえけど今はさすがに、「ぢがいます」え?」

ぢがうんでず、鼻水まじりのこもった声がいう。狭いが身をかがめ、膝小僧のあいだに耳をぎゅうと押し付けると新妻くんがもごもごと言った。

「ふぐださん、いつも僕が漫画描いてるとき、いろいろお世話してくれます。ご飯とか、洗濯とか、お風呂とか、だから…今日はぼくが福田さんのためになにかしたかったのに、ごめんなさい」

耳が、むずむずする。最後はほとんど吐息のようで、俺の鼓膜をすうと伝わってゆっくりと、脳とか血管とか、そういう内側にしみこんでいくような感覚だった。左胸のあたりに到達した新妻くんのことばはやんわり上昇して、だから、そのせいで、なんだか顔のあたりが熱い。(決して俺が照れたとかそういうんじゃない、新妻くんがわるいのだ、)ぐしゃぐしゃと帽子越し頭をかきむしった。

「…っああもう! なんでそういうの、いうんだよ!」
「ひぎゃっ!? ご、ごめんなさいです?」

おどろいて思わず顔上げた新妻くんの顎をつかんで今度こそうつむかせない。すこしだけ赤く戸惑った目が見返していた。言ってやる。

「ごめんじゃねえ、いいんだよ。新妻くんは新妻くんで、漫画はできるけど家事なんてできなくて、でも俺はそういうところがつまり、…そのだな、つまり…だから、いいんだよ、新妻くんは俺の目のとどくところにいれば、それで」
「…へぐ、」

(へぐ?) 見れば目と鼻の先に惨劇が広がっている。呆然。鼻水と涙の境界がみえない。アリガトウゴザイマスアリガトウゴザイマス、それしかいえないみたいに繰り返す。泣き止めよと言うのに新妻くんの放送禁止状態はしばらくつづき、気が付いたときには俺のシャツはぐちゃぐちゃになっていた。

ふきゅださんふきゅださん出前一番高いのとりましょうねえ、俺の胸に縋りながらそんなことを言う高校生作家様をよしよしと立ち上がらせながら、早く自分の原稿を仕上げよう、強く思った。こんな恋人を横に置いて原稿だけだなんて不健全な毎日さすがにつらい。ふきゅださんふきゅださん、服を引っ張るわんぱくの頭をガシガシと撫でるとやっぱりこらえきれず、ちょっとだけ笑ってしまった。

(新妻くん…顔!)