鼻の下伸びてる気持ちわるい、横に立つ吉田氏が言った。失礼である、だいたいその気持ちわるい男と付き合っているくせに。(ていうか気持ちわるいじゃなくせめてきもいにしませんか、そっちの方が口当たりがソフトなかんじがするでしょ、) それにきれいなお姉さんを見れば下心がむくむくしてしまうのはもう男の性だろうに、口うるさい。と、実際口に出していたらしい、耳を強く引っ張られた。(いたいいたいいたい!ちぎれたら吉田氏の声が聞こえなくなるじゃありませんか!) 陰湿な右手からなんとか解放されて、さっきよりすこし距離をとりながら、流れ出した横断歩道の人波に乗る。日曜の夕暮れどき、小さい子どもをわらわら連れた家族連れが目立つ。 引っ越してひと月ほど、新しく慣れない駅前の大通りは歩いていると新鮮で、僕は十字路で信号を待つ車の多さや、角のラーメン屋の行列、渡った先のパン屋のいい匂いを、きょろきょろと見回していた。 すると、ぐい、横断歩道を渡りきったあたりで突然肘をつかまれる。 何事かと振り向けばむすっとした吉田氏がみっともない、と不機嫌にいう。三十過ぎていちいち、いらぬ嫉妬をするのはみっともなくないのだろうかと小一時間。(吉田氏、いつもはポケットに手をつっこんだりしない。そうするのは、握り締めているのを隠しているときだ)苛立ち、必死で隠そうとしているが意外とそういったところに出ているのに、彼は気づかない。そしてそれをひそかに僕が愉しんでいることにも、気づかない。鋭いようで案外にぶい男なのだ。 一人優越に浸って、不機嫌な担当を連れ家路をゆく。風は刺すように吹いたが気にはならなかった。 打ち合わせどうする? 昼間編集部であった担当の問いかけ、意味は事務的なことではべつになかった。僕がどこかで食べたいといえば今日は、それぞれの家に帰り、家でといえば、吉田氏が僕のアパートに泊まる。まあつまり、そういうこと。 答えの結果、玄関を閉めるなり発情期の犬の様、上がり間口、襲い掛かって面倒なコートのボタンを外している。堅い床に膝を打った吉田氏は恨めしげに振り返り僕をにらんだが、口付ければ否やはなかった。後ろから撫ぜた腹、やわらかな産毛をくすぐるともぞもぞと身じろぐ仕草に口角が持ち上がった。 隣人に聞かれては面倒だ、噛んでいてください、そういってつっこんだコートの袖、吉田氏は赤い目をしながら噛み締めた。喘ぎを殺した唾液が生地に滲んでいく様は視覚的にたいへん、もえた。 疲れて眠ってしまったのを放置しておくわけにもいかず、処理をしてベッドまで運んでやると膝をくの字に曲げて、吉田氏はまるくなった。幼子みたいな五歳上の、いい大人。布団にころがった手、気まぐれに自分のそれを重ねてみれば僕のよりも大きい。僕より図体も大きければ腰だってがっしりしていて、骨ばっていて堅くて一緒に寝たってぜんぜんきもちよくない。だが、そこが好きだった。(自分より背の高いのを、ひいひい泣かせるのは、気分がよかったし。仕事疲れ、たまに湿布の貼ってある腰は普段日の当たらないせいでしろく、人工白と一瞬区別つかないのが、いやらしかったし。堅い指が僕のものをおずおずと擦るのは、けっこう、よかったから) 風邪ひかないように、肩まで布団をかけぽんと軽くたたいてから、身体をぬぐうのに使ったタオルを持ち上げた。洗面所に持っていかなくては。ああ、だるい。・・・風呂に入ろう。寝室を出るまえに、一度振り返り寝顔をちらりとみた。目元は疲れていたけど、きもちよさそうに。(感謝してくださいよ、僕、じぶんの風呂より吉田氏を優先してあげたんですからね) |