ゆううつだ。居直り強盗を待つ気分とはこういうものか。(…知りたくなかった)

数週間のストーキング行為を経て僕の優しさにつけこみ居直り強盗と化した男(くわしくは一話参照)はとうとう今日僕の家にやってくる。前に一度ジャンプの担当編集だったころにも上げたことがあるが今回のそれはおなじ意味ではない。むこうは友だちの家にくるつもりでやってくるし、むかえる僕は友人志願者がくると思って鬱々と待っている。

つまるところプライベートである。頭が痛い。なんだってこんなことになってしまったのだろう? 何度となく考えたがこたえはいつだっておなじだった。寝起きを狙って電話をかけてきた小杉の狡猾さとそれになんのかんがえもなくハイと答えてしまった超絶低血圧の僕のつめのあまさである。

九時におきてすでに顔を洗い朝食を食べ終えている自分など僕にはとんと想像がつかないが想像力ゆたかな小杉さんはちがったらしい。(もちろんこれは皮肉である)ともかく先の火曜日に本日土曜の約束をとりつけられた。あとあと確認したところ家までいってもいいかという質問だったらしいので逃げ場がない。悪意なき天然の策士はもっとも苦手とするタイプ。

しかたなく水木金の空き時間で部屋を片付けた。いつもよりこぎれいになった部屋でいすに逆向きに座り背もたれにあごのせてだらだらと約束の十一時を待つ。このまえ仕事場のいすにまじめに座って奴を待ったのはわるい思い出だ。

どうせ時間にはこないにきまっていると期待しないよういいきかせていたのに時間の数分前にインターフォンは鳴る。僕はザッと立ち上がると座っていたいすを勢いよくぐるぐる回したまま部屋に残し、階段を駆け下りた。(くりかえすが僕は来客になんの期待も抱いていない。…いや本当だから!)そうして玄関まで一直線はしり重いドアを開け、僕はぽかんと口をあける。

「…マ、お、お母さん?」
「あ、ただいま透くん」

玄関先には朝帰りの母親と、それからそのうしろに居たたまれない顔をした小杉さんがたっている。卒倒しそうになった。なんと間のわるい。僕の狼狽にも気づかず母親はからからと笑い玄関をくぐりながら透のお友だちなのとたずねた。否定しようかともおもったが面倒だったのでてきとうに流して、小声でおじゃましますする小杉さんに来客用スリッパを放る。ゆっくりしていってね、よけいな一言いいのこし母親は行った。廊下の角を長い髪が曲がったところで小さく舌打ちし、はやくしてくださいよとふりかえって目が点になる。小杉さんは顔を真っ赤にして気持ちわるいくらいににやけていた。普段の三割増し、きもい。

「…そんなに嬉しかったんですか、友だち」
「えっ、あっうっ、うん、…うん」
「ふうん」

まあ(きもいけど)いいや、嬉しいのはわかったから上がってくださいよ、うながすと右手右足だして小杉さんはスリッパを履いた。笑わなかった僕の口角と腹筋はこの人のたゆまぬ努力によって日々鍛えられている。

部屋に通す。ひとりがけのソファにそれぞれ座る。しかし困る。どうしていいかわからない。友だちなんていなかった。こういうときどうすればいいかわからない。おちつかないようすで部屋を見回していた小杉さんがふと、あ、と声を上げる。目線の先にはDVDラックがあった。

「あ、モンハン…」

よかったら一緒にやる? 小杉さんが戸惑いがちに誘ってくれたのは、正直、たすかった。

モンスターハンターを人とやるのは初めてだった。オンラインで連携ならしたことあったが、知人という意味ではこれが最初だ。思いがけず楽しかった。小杉さんはさすがオタクだけあってそれなりに上手かったし、なによりヘッドセットなしで気楽にプレイできるのがよかった。

二つ三つクエストをクリアしてようやくPSPを放る。多少目が疲れて目頭を押さえながら立ち上がる。ゲームしながらさんざん話したから、もう話しかけるのに躊躇はなくなっていた。小杉さんを振り向く。
「飲み物もってきますけどいつもの紅茶ないんで、小杉さんなにがいいですか」
「えっ、」
「え?」
「や、いつものお茶、気に入ってるけど、七峰くん、知らないとおもってたから、」

しまった。これは失敗だあきらかに僕の。思わず頭抱えそうになるのをなんとか押さえて首を横に振る。

「べっ、べつにそういう意味で聞いたわけじゃない、勘違いしないでくださいよ、他のものだとああ、ほら、香りのきついのだったりとか、」
「あうん、ふつうのコーヒーでかまわないよ。ありがとね」

にこり、なんでもなく笑ってそういうのでなんだか悔しくなり、僕はキッチンでうんと濃いやつをいれてもっていってやった。そうしてやはりなんともなく飲んだのを見て沈黙。

ちくしょうわかったよこの勝負は僕のまけでいい、そう思いながら自分のコーヒーをかき混ぜていると小杉さんがおもむろにソファの横、ショルダーカバンの上に置いていた紙袋を取り出した。「これ、前に甘いものもってくるねって言っていたから」添えてわざわざ僕に手渡す。一瞬なんのことかわからずけれどそれから理解して、ばかじゃないのか、と思った。

あれはたしか会社にこの人が通っていたころ、僕が小杉さんを追い返す目的で紅茶のカップ半分ほど砂糖を入れてやったときのことだ。「七峰くん甘いの好きなんだっけ?じゃ、今度なにかもってくるね!」たかが口約束とおもっていたそれを小杉さんは律儀にも覚えていたらしい。まったく篤い友情に(笑いすぎて)涙が出てしまう。開けてみれば本当に甘いので有名なブランドのクッキーが入っている。ご家族とどうぞ、いかにも社会人らしい気遣いに一応の礼をいいさすがにその場で一枚食べた。甘いものはそれほど好きではなかったが、まずいとも思わなかった。

そして話題は推移しない。ふつう仲のいい友人ならここでなにかしら弾むものがあるのだろう。しかし考えてみれば僕たちが交わした会話らしい会話といえば、それはいままで仕事のことだけだった。(小杉さんが会社につめていたころの話は、あれはむこうが一方的に喋っていただけだからのぞくとして)

沈黙にきまずく紅茶をのめば喉仏の嚥下する音がやけに響いてさらに居心地わるくなる。小杉さんが気をつかって話題を振った。

「そういえば、七峰くんはいつからジャンプを読むようになったの? たしか、きいたことなかったよね」
「え、あー…たしか、小二か、小三くらいだったとおもいますけど」
「あっそうなんだ、たしか…ハンター×ハンターとか始まったころだよね?」
「ああ、はい」

それを口火に共通の話題はたしかに一瞬盛り上がる。しかしすぐに鎮火するための要因もふたつあった。ひとつめは五歳の年の差、ふたつめは互いのマンガの趣味のちがいである。小杉さんは前から知っていたが王道ジャンプもの、僕は邪道ばかりである。かみ合うはずもない。ふたたび部屋に満つるだんまりに困りかね小杉さんが頭をかいた。

「あー、っと、その、ごめん、…やっぱり、急に友だちなんていっても、無理があるよね、…ハハ、ほんと、おれって気も利かないし、いざってときになるとろくな話題も思いつかないしさ、」

ほんと、ごめん。たびたびあやまる姿につい腰が上がる。そんなことない、思わずいっていた。いってからはっとした。ドスン! ソファに勢いよく座り顔をそむける。

いってしまった、という感触はあった。しかし思ったほどに後悔していないじぶんもたしかにいた。小杉さんが今日一日、僕との会話にできうるかぎりの気を遣ってくれたことくらいわかっていたし、それを無視するほど子どもではなかったからだ。

小杉さんはどこか吹っ切れたように笑う。そうして黒革のソファにとすんともたれた。小杉さんは顎を上向けて、かすかに目をつむる。僕は耳だけかたむけ聞いている。おそらく、小杉さんにもそれはよくわかっていたのだろう。低い声がぽつぽつと話しはじめる。思い出話になるけど、と前置いた。

「ぼく、小学校のころは友だちって、ほとんどいなかったんだ。細っこくて、かっこわるかったから、いつもいじめられてた。でも、小六のころかな、いくらか絵が描けたから、マンガのキャラを休み時間にじゆうちょうに描いてたんだよ。そしたらぼくをいじめてたやつがおまえスゲーなって言い出して、卒業するときには親友になってた」

衝撃だった。それはまるで正反対の僕に思えた。僕もちょうど同じ頃まで友だちというものがいなかった。子どもというのは敏感で、僕のまわりのやつらは僕が彼らを見下しているのを過敏に理解していた。クラス替えのたび初めは近寄ってきたやつらも同じように去っていった。だから小六からは金でもっと低俗なやつらを買ったのだった。けれど小杉さんのような、そんなやりかたもきっとあった。今さら気づかされた。衝撃だった。

目をまるくしているのに気づいた小杉さんが僕をふりかえる。なんでもないです。言ったが僕は心のうちに生じた波紋に打ち震えていた。

まあ、マンガ家になるほど絵は上手くなくて、小杉さんはつづける。

「けっきょく中学で諦めちゃったから、今の職に就いたんだよね。…でもだからさ、僕は絵の持つ力って、すごいと思ってて、だから七峰くんのこと、おれは超すごいっておもうよ。担当とかそういうの、全部抜きにしたってね、きみはすごい才能の持ち主だとおもうんだ」

小杉さんはそこで一息ついてコーヒーを流し込んだ。そうして苦笑いする。さっきからかっこつけて飲んでたけど…次はもうちょっと薄めに入れてもらえるとうれしいな。つぶやくから自分の子どもっぽさが少々恥ずかしくなり、それと同時に(…引き分け)とも思った。

コーヒーをもう一口押し込むと、ようやく話の準備ができたのか小杉さんはそれをひとこえで言った。

「僕はきみの絵や、…いろいろあったけど、きみのマンガが好きだよ。だから僕は…七峰くんと友だちになれたら、――すごく、嬉しいなって、おもったんだ」

眩しかった。へへ、と心なしか恥ずかしそうに笑う小杉さんがまぶしくて、羨ましくて、ひどくカッコよくみえた。もしかして初めて、ほんのすこし尊敬したかもしれなかった。

ぼくは小杉さんになにか言おうとおもったが、けっきょくかける言葉がみつからず、だまっていた。そうしてようやく口から出たそれはなんだかまぬけな、コーヒーおかわりどうですか? で、やはりニカと笑ってありがとうと言う小杉さんには、まけた気分になるのだった。(でも今度は大人らしく負けてやるのでさっきの半分ほどの濃さにしてやった)

おかわりが空になるころちょうど空が青ばみはじめて、小杉さんは床に置いていたショルダーを肩にかける。今日は楽しかったよ、ありがとう。言葉はさいごまで小杉さんらしくて笑った。また来てもいいかな、問いかけることばにうなずいてしまったのはその場の勢いではないと今なら認められそうだ。玄関まで小杉さんを送った。気分はいつになくすっとしていた。朝感じていた憂鬱が杞憂に思えるくらいだ。母親がとおりすがった。透くん今日はずいぶん仲良しのお友だちだったのね。透の友だちなんて小学校以来で嬉しいわ。頭を振る。

「今日が初めてだよ、ママ」
「?」

なんでもない、笑いながら階段を登った。居直り強盗とは、和解したかもしれない。



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ロバーよりはシーフの方が語呂が好きだったので、シーフで
(2011.1101)