嘔吐表現+七峰×モブ女性表現注意






新宿西口を出る。むわっと不愉快な夏の熱気が肌にまとわりついた。冷房ガンガンのビルとビルのあいだのこの熱気がきらいだ。早足で京急に入ろうとしたのにモザイク通りの前で腕をつかまれ軽く舌打ちする。

振り返れば同い年くらいかすこし下の女が立っていた。顔に見覚えがある。何度か寝たかもしれない。名前は覚えていない。セフレは腐るほどいたし、そのほとんどが新宿で出会った顔だったから。ひょっとすると今この状況すら別のセフレが見ているかもしれないくらいだ。どうだっていいけれど。

急いでるんで、告げて離れようにも離してくれず苛々する。いわく久しぶりに会ったんだからいちゃいちゃしたい(イコール寝たい)と女はいう。面倒だな、なんといって断ろう、そう思ってまじまじと女を見下ろしふと思った。(…似てる。かも)童顔なところとか黒目がちな瞳とか、さらりと肩で揺れる黒髪とか。わるくないかもしれない。漫喫でいいしお金も避妊具も自分持ちでかまわないというのでふらふらついていった。誰かとするのは久しぶりだった。多少うしろめたく思いながら小杉さんで抜いたことなら何度かあったがそれも数週間前、不健全だった。

京急には小杉さんとの約束の前にすこし買い物しようと思っていただけだから、別に今度でいい。時計を確認すれば約束まではあと二時間もあった。先日病床に残された小杉さんのデジタルウォッチを最中は忘れず外そうと思いながら女の肩を抱いた。小杉さんは、もうすこし高いかなと思った。

久々の行為にそれなりにすっきりとした、しかしどこかしらの後味のわるさを抱えながら漫画喫茶の下で女と別れた。また会おーね! 女は思いきり媚びた表情で手を振っていたがもう会わないだろうなとぼんやり思った。人混みの中のらりくらり歩きだす。

長い信号待ち、くんと手の甲をかぐとシャワーを浴びたのにまだ移り香が残っているような気がしてわずらわしい。さっきまで外していたのに時計にも移ってしまったようで気になりポケットにつっこむ。

セックスそのものは、いまいち楽しくなかった。性欲は解消されたがそれだけだ。もう熱のない頭ではみずからのその感情の意味ぐらいわかっている。わかっているだけにやりきれなかった。

信号が青にかわる。アスファルトを蹴るとじめっと張り付いてくる夏夜の熱気を受け、ぎりと唇を噛む。

そういえば一度だけくっつけたあの感触をもうすこしだけ覚えていたらよかったのにと上唇をなぞったが思い出したのは(痛かったな)とただそれだけだった。うまくはいかないものだ。思い出すだけでむずかしいのだから、たとえば男相手に告るなんてそんなことは宝くじの一等を当てるよりむずかしいんじゃないかと思う。軽く手を振った。西口の花屋のまえ小杉さんが立っている。出会い頭なんといって悪態をついてやろうか、考えるのはずうっと簡単なことだった。

駅前から連れ立ってこの前よりはすこし高い和風の居酒屋に入る。個室を予約してあった。先日時計を返すのが遅れたのをよっぽど気にした小杉さんが奢るからといって電話を入れたのだ。いつものことだがバカ律儀だと思う。

だいたい小杉さんは基本的に年下の俺にあれこれしてやりたがる癖がある。本人は気づいてないようだが無意識に下に見られているようでむかついた。好きなもの頼んでよ、ほらそういう台詞もそうだ。かといってめいっぱい高い酒を頼むと七峰くん空気読みなよ!ときれるのでめんどくさいと思う。まあけっきょくそうゆうとこきらいじゃないんだけど。カルーアミルクで。

そうして初めの杯の運ばれてくる前に今度は僕が小杉さんの時計をかえした。ああ、と何気なく受け取ったきり、忘れちゃって、とかそういうことは言わなかった。しかしそのわりにじっと見つめているので声をかけようとしたとき間わるく酒がやってくる。童顔のくせにいつも似合わないジョッキを頼むところは、潔くてけっこう、いいと思う。

小さな六角と大きなさかずきで乾杯。料理は続々やってくる。僕と小杉さんの話題が合わないのはもうお互いわかっていたから、互いの近況をそれぞれ喋ったり、料理の感想を言い合ったりしながら飲んだ。まあまあ、楽しかった。

アルコールはそれほど弱い方ではなかったが、しかし小杉さんのペースに合わせて二杯、三杯と調子に乗っていたらさすがに酔ってきた。うまかったはずの料理が酒が、胃の中できもちわるくなって膨れ上がってくる感触がある。まずいと思ってふらつきながら座敷を立つと僕もいくよと小杉さんが脇の下に細い肩を挟みこんできた。

いくらかの安定を得てなんとかトイレにたどりつく。久しぶりに吐いた。胸元からやはり香水の匂いがしてよけいに吐いた。小杉さんは顔を背けながらも個室でずっと付き添っていた。喉の焼けるような感覚やらなんやらで涙がでてきた。なだめるように背をさすられ思わずその腕にすがった。

胃の中のものをだし終えると小杉さんが栓をひねり、おれはゆらりと立ち上がる。細い、と思っていたのに硬い身体を抱き締めた。汚いなあ、小杉さんは笑っていたが俺を離れさせようとはしなかった。

鼻先を首すじに押し付けながら相変わらず酔いの回った頭で、ああやっぱりこれが欲しかったんだなあとぼんやり思った。パズルのピースがはまるように、なんてあほみたいな言い回しだとおもっていたがこうしてぴたりはまってみればようようバカにはできない。この人が、欲しい。かわりなんかじゃ全然だめだ。体つきだって匂いだって抱いたときの気持ちのよさだって全然ちがう。

めんどくさいし暑苦しいし、いつも斜め上だし、ときどき見栄っ張りだったりするけれど、――でも、休みをぼくと過ごしたいという、気持ちわるいだろうにこんなとこまでついてきてくれる、そうしてぼくのために、泣いてくれる、小杉さんが、欲しいと思う。

それはパパにどんなおもちゃや金銭をねだったときよりも強い渇望だ。脚が震え、かわいた喉が緊張に引きつりそうになる。背中に伸ばした手に力をこめとうとうぼくは口にした。

ねえ小杉さんぼく、小杉さんと付き合ってあげてもいいですよ″

こんなときまでいつもの口調になってしまった、とは言ったあとで思った。初めての告白が飲み屋のトイレなんてさいあくじゃないか、とも。背筋を冷や汗が伝う。いいやそれでも欲しかったんだからしかたない。小杉さんの返事を待つ。しかし小杉さんは黙ったままでいる。僕はようやく焦り始めた。だっていくらか自信はあったのだ、男同士という問題点を含んだってそれ以上の気持ちが僕には向けられているものだと。しかしやはり沈黙はつづく。僕は首筋に顔をうずめたまま、どうにも目線を上げることができない。ばかばかしいことに、震えていた。小杉さんは長いためいきをひとつついて、そうしてようやく、口をひらいた。

「ねえ、七峰くん。俺と会う前、なにしてた」
「! な、んですか急に…京急、で、買い物してました、けど…まあ、欲しいものは、なかったんですけど」
「…だったら、なんで時計から女の人の香水の匂いがするの。いつもはシャツだってもっとさ、ピシッとしてるよね、俺が、俺が気づかないとでもおもった? 俺なら童貞だから、ちょろいって、そんな風に、おもったの? …冗談で、付き合ってあげますなんて、いったの?」

ふざけるなよ、唸るような低い声とともにガンと背後の扉に押し付けられた。冷水を頭から浴びせられたよう、一瞬で酔いが冷める。愚かななじぶんにも、覚める。肩口を強く押してくる小杉さんの手は怒りに震えていた。なんでだよ、なんでうそつくんだよ、縋るような声でくりかえしている。ほのかに涙も滲んでいる。いらいらした。冗談、などと口にする小杉に。こんなことで泣きそうな、まるで俺のことを同じように大切におもっていたとでもいいたげな小杉に。そしてそんな小杉に、こんな顔をさせているじぶんに、短気なおれは、逆上した。

小杉の襟ぐりをつかむ。おおきくふらついた身体をもう片手で抱き寄せそうして怒鳴るようにいった。

「〜〜っこの、バカ野郎! 遊びであんなこと、いうかよ…! いくら俺だってそこまで冗談きつくねーぞこのバカ小杉!!」
「っ! な、なんで俺が怒られなくちゃいけないんだよ、」
「うっせーよ黙れよ聞けよ抱いたよたしかに抱いたさっきまで女とヤッてたでも反省してるよたしかに俺がわるかったゴメンナサイネどうだまいったか。でも俺だって好きでやってたわけじゃねーよアンタに似てたからアンタと思って抱いたんだよでもだめなんだよ代わりなんかきかねーんだよアンタじゃなきゃ、だから、つまり、…その、こんなの、しぬほどいいたくねーけど、「わ、わかった! わかったから、ななみねくん!!」?」

ここ、飲み屋のトイレだから…真っ赤な顔して、小杉がいう。そうして真っ赤は伝染する。あわててドアの外の気配を確認すれば、慌てたように出て行く足音があった。それもひとりではない。…しにそうだ。しにたい。しなせてくれ。絶望する俺の手をふとはらうと小杉さんはごめんねとうつむいて個室をでていった。僕はしばらくドアのこだまするカタン、カタン、という音をきいていたがやがてはっとしてトイレを飛び出した。慌ててもどると店の外へ走り去る小杉さんの姿が見える。名前を呼んだが振り返ることはなかった。追って店を出ようとすれば店員につかまえられる。なんだとおもえば控えめな声、

「お客様、お支払いのほうが…」
「………」

(小杉ィィィイイイイイイイイイイイ!!!!奢りじゃなかったのかよおおおお!!!)

やんわりと怒気をはらんだ笑顔に逆らえずそそくさと座敷まで引き返し早く済むようにカードでと一枚突きつけるとサインやらなんやらで余計に時間がかかってしまった。これなら現金にした方がましだったと思いながらビルを下りたが数万人の街新宿でその背中をみつけられるはずもない。とほうにくれていると女に声をかけられた。もう一生女とは寝ないと不健全な決意をまだ酔いが残っていたのか頑なに俺は心に誓った。(つか、でんわ、出ろし…)

…そういえば、宝くじ。

(当てるよりは、かんたんだったなあ。いやもうさいあくだったけど。いろいろ)

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つぎでおわり

(2011.1101)