ストーカーに勤しんでいる。

女性が相手なら男としてまだ救われた。しかし向こうも同性である。まったく嬉しくない。

立場は気がつけば初めとまるきり逆転してしまっていた。押しかけられていたはずが今では押しかけている。さすがに平日会社に詰めつづけるのは迷惑だしまたほかの編集と歩いているのを見るのも不快だったからそれはやめたが、休日は電車を乗り継いで何度となく小杉さんの家にいった。在宅のときもあればそうでない日もあったが、しかし以前のように家に上がるのを許されることは一度としてなかった。

初めて勝手に訪問した休日はインターホンに応じるかわり、古びたドアの下からそっとメモ用紙を差し出された。いわく、

『このまえ食い逃げしてゴメン』

まったくだよ! てかあやまるならでてきて謝れよ! つっこめば薄いドアで声が通るらしくもう一枚でてきた。

『(>_<;;;; ごめんね!!』

小杉の顔文字が激しくうざいということだけがよくわかった初日、またくることを告げれば拒絶はされなかったが次は直接でてくるよう言うと(((゜д゜;)))が返ってきた。このにちゃん野郎カビでも生やしてろ。

小杉さんの休みは忙しい時期でなければある程度一定だったから二回目に本人を捕まえるのもそう難しいことではかった。二回目は前回の反省を踏まえて高級の菓子折り三つとピクニック用シート、B5のノート、昼用のおむすびに五百ミリのペットボトルをもっていく。

三つの菓子折りはそれぞれアパートのお隣さんと大家さんへ、「友人の小杉さんが失恋で心に傷を負ってしまって…見ていられないんで休みの日は部屋の外から話しかけてやってるんですけどこれがなかなかかわいそうなやつで…ええ、そうなんですよひどい振られ方で。皆さんの前では気丈にいつもどおり振る舞っていると思うんですが…」つくり話は得意である。加えて三十から五十代のマダムは全員もれなく僕の味方と思ってもらっていい。

晴れて不審者と思われることもなく小杉さん宅前に青いシートを敷いた僕は堅いコンクリートの上に座り込んでノートをドアの下さしこみ颯爽ストーキング行為。小杉さんは本当に僕がやってきたことにため息をついていたようだったがそれでも話をふればノートに書いて返してきた。ひとつの会話に数分かかるスロートーク。

初めのうちはその遅さにいらいらしたが顔文字禁止を言い渡してからは速度とかいらつきとか色々ましになった。そういえばいつもメールより電話の方が多かったから、この人が顔文字好きなのも知らなかったな、ノートの返事をまちながらふと思った。小杉さんについて新しいなにかを知るのは、まあまあいい気分だ。小杉さんもこんな気持ちだったのだろうか。数ヶ月まえ、僕の会社に毎日押しかけて僕の雑なうなずきから機嫌や反応を読み取ったりしていたのだろうか。だとしたら思い返すと相当恥ずかしいような気がする。顔が見えなくてよかった、とは、そのとき初めて思った。

そうして日が暮れはじめて帰るまぎわ小杉さんが僕にひとつだけ書いた。

『七峰くん、本当にごめん。何度来てもらっても、僕はきみに合わす顔がないよ』

(気持ちに応える気はない、ということか)

「…それでも、来ますから。勝手に来ます。小杉さんだってずっと僕のところに押しかけてきてたでしょ。せめて同じくらいは通ったって…許してくださいよね」

それじゃと切り上げてシートたたみ自分から帰った。諦めるつもりはなかった。昔から欲しいと思ったものならどんなに汚い手を使ったって手に入れる人間だった。(そうだ覚悟しろ小杉)絶対に諦めてやるつもりなどないのだから。

そうして訪れた三回目はしかし家主不在であった。拍子抜けした気持ちで、けれどちょっと出かけているだけかもしれないと三階の手すりに肘つき眼下を見下ろし待ってみる。一向に帰宅の気配はないまま太陽が真上に昇る。

見かねた大家宅に引っ張りこまれた。小杉さんちより一回りほど大きいおばさんの家、麦茶をご馳走になる。夏はおわりかけていたがひどくうまかった。「あんなところでこんなイケメンが突っ立ってるなんて小杉さんたらもう!」自分のアパートゆびさしてあんなところとかゆっちゃう白髪混じりの大家には笑わされた。途中からもう完全に小杉さんの話ではなくなっていたが根気よく付き合って夕方ごろ、また来なさいよとなぜか言われようやく後にする。

一応三階にもどり在宅を確かめたが留守だった。もう二週間くらいインターホン越しのハイしか聞いていない。じょじょにちいさくなっていく蝉の声に、おれはこのまま小杉さんを忘れてしまうのではないかとすこしだけ不安を覚えながら家路についた。

そのつぎの休みと思われる日は久々に小杉さんからメールがきた。布団から飛び起きて低血圧にくらりとしながら開けば一行だけ書かれている。

「本日不在です」

携帯を叩き割りそうになった。なぜあのバカはこれほどバカ律儀なのだろうか。おおかた大家にでも言われたにちがいないがそれにしたってああ、ああむかつく! すこしでもしてしまった期待を返せ! とか思っていたら携帯がメキャリと変な音を立てていた。小杉さん今日はどうやら携帯の修理にいくので小杉さんの家にいく暇はなさそうだ僕に携帯ショップにいく時間をくれて本当にありがとう! (むしろメールこなかったら携帯壊さなかったけどな!クソ小杉今に見てろ!)

しかしかといって家にいる日はいる日で連絡をよこさないのでそのへんもアホみたいに真面目だとは思うそのつぎの休日である。大家さんに挨拶をして長話を回避し三階に上がれば小杉さんは昼前なのに今起きたところらしかった。五分待ってて、書かれるままにシートを敷いて待つ。するとドタドタと足音が戻ってきていつものメモ用紙が差し出された。

『いいっていうまで目つぶっててね』

どういうことだ? 思ったが大人しく従った。するとギギイ、初めてこのドアのひらく音を僕はきいた。古びたアパートに似合う(大家さんごめん)古びた音だった。反射的に目をあけそうになるが慌ててとじる。コツン、と音がしてふたたびギギイ。

「いいよ」

久しぶりに声をきいた。電話しても小杉さんは出なかったから。見た目にあいかわらず反する、低い声があんまり久々で僕は許可されたのにしばらく目を開けられずいた。小杉さんが戸惑っている気配をなんとなし感じて慌ててパチリ。親子丼だった。目の前には親子丼が鎮座ましましている。

「え…、これ、って」
『よかったら食べて。手作りだから保証できないけど』

と、紙。丼を持ちあげ上に置いてあった箸でひとくち食べてみる。けなしてやるつもりだった。けれど二の句は継げなかった。ふつうにうまかったからだ。多分料理に疎い僕ではひとりでこれを作れないと思う。今さらだったがいただきます、告げて一気にかっこんだ。つくりたてだったのか卵がやわらかく、ご飯は水気がその分少なめで、うまかった。食べているあいだ無言の僕に小杉さんはおいしい?と書いた紙を差し出してわざわざ指先で振ってきた。よほど気になるのだろう。頬がほころぶ。

「声に出してきいてくれたら、答えてあげないこともないですよ」

紙はしばらく無言だった。食べ終えるころ、ようやく一枚。

『七峰くんの顔、見たいな』
「はあ?見ればいいじゃないですか」
『むりだよ』
「…意味わかんねー」
『暗くなるの早くなってきたから、今日は遅くならないうちに帰りなよ』

来たばっかなのにそれかよ、いいながらいつものノートをつっこんだ。メモ用紙なんてすぐ捨ててしまうようなものよりずっとよかった。今日も真面目そうな文字がつらつらと書かれていく。日向ぼっこなどとは対局にいる人間だと自負していたが、わるいものではなかった。蝉はもうめっきりいなくなった穏やかな昼下がり、ドアに向かってひとり話しかけつづけるストーカー行為がこんなに楽しかったとは、知らなんだ。

でも次くるときはちゃんと喋ってくださいよ、言いおいてその日はあとにした。ドアの向こうではおぼろげな返事がきこえたような気がして、ほっとした。そして階段を下りたところで遭遇した大家さんに戦慄した。アラ七峰くん、ちょうどよかった今夜は鍋なのヨ。なにがちょうどいいのか意味がわからないおじゃましますいただきますごちそうさまでした。そうして帰宅はけっきょく夜十時。(イケメンも、たいがいにしよう…)

季節はうつり変わる。持参していた扇は持つタイプのホッカイロにかわり、上着はどんどん厚くなった。見下ろす街はようよう赤く染まりはじめ、老いて枯れるための準備をはじめている。小杉さんはおはようとさよならと昼時のいいよだけは口にしてくれるようになった。僕と小杉さんの不自然な会話はあいかわらずつづいている。

その日は秋のくせにひときわ寒く、インナーを何枚も重ねて首にぐるぐるとマフラーを巻いていった日だった。僕と小杉さんはいつものとおり他愛ない話を繰り返していた。いつのまにか小杉さんとの話題に困ることはなくなっていた。相手の好きそうな話が僕にもわかるようになっていたからだ。ドアの向こうでは時折こらえきれず笑う声もきこえるようになっていた。しかしそれも、今日でしまいだ。

日が落ちるのがめっきり早くなった。夕陽を背に受け、立ち上がる。朝家を出るとき何度も練習してきた言葉はむかつくくらいすんなりと口をついて出た。最後だよ、小杉さん。これで最後だここに来るのは。今まで迷惑だったでしょう、すみません。でももう来ません。カレンダー見て数えました。小杉さんがきたのと同じ分だけ、僕はもうここに来てしまった。初めにそういったから、破らない。だからもう、ここには来ません。…さよなら。

それでも諦めることはしまい、上着のポケットの中携帯を握り締め、マフラーに顔うずめてすでにあふれそうなそれを隠しながらゆこうと歩き出したとき、ギギイ、昼時にしか聞こえないはずの、あの音が、した。

ゆっくりと、振りかえる。目頭がひどく熱くなった。

「――小杉、さん」

久しぶり、僕に向けられた言葉は緊張のせいか、かすれていた。会ったら言ってやろうと思っていたことがたくさんあったはずだった。あった、はずだった。けれど懐かしいその姿をひとめ見ればほっとして、そうして、なんにも言えなくなってしまう。

ごめん、頬に青い夕陽を受けた小杉さんは言った。ああもうだめなんだな、僕はその一言で悟った。きびすをかえす。しかし思いがけぬ素早さで右肘をつかまれ振り向かされる。小杉さんが背にしていたドアが乱暴にしまる音がした。久々に間近で見る小杉さんは見れば見るほど変わっていなくて、胸が痛くなった。ごめん、小杉さんはくりかえす。

「っ…もういいです、もうわかりましたから、だから、「七峰くん」…?」

ごめんね、俺、ごめん、七峰くんの友だちになりたいって自分でいったのに、小杉さんの声は震えていた。縋るような思いで僕はそのつづきをきいた。まっすぐに僕をみつめた小杉さんはいった。

「キミの担当にも、友だちにも、なれそうにないどうしようもない僕だけど、七峰くんの、…恋人に、してもらえませんか」

抱き締めて、キスをした。今度は歯など当てやしない。数ヶ月我慢した分濃厚なそれだ。童貞は呼吸のしかたがわからないのかしにそうになっていた。俺も殺されかけたことがあるからプラマイゼロだとおもう。がまあ、酸欠の魚みたくなったら離してやろうとおもった。それまでは何度となく想像した唇をさんざいたぶり女よりはずっといかつい肩を抱いてやるのだ。身体を離したときのセリフはもうバッチリ決めてある。

「小杉テメーッ!この超ド級斜め上野郎!!!こっちははなからそのつもりだバカ真面目にんなことで悩んでんじゃねえバカヤローーッ!!!」

そうしてイケメンのストーカーは恋人にしんかする。

(三発…いや十発なぐる。それからぶち犯そうよしそれできまりだ)



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最後までお読みいただきありがとうございました。
勢いで書いてしまったので誤字などありましたらご指摘、また感想等いただけましたら、とてもうれしいです。
(タイトルは意図的にストーカでなくストーカにさせて頂きましたので、誤字ではないです)
再録本については現在いろいろかんがえ中です。

(2011.1103)