「硬すぎるんだよなあ、小杉は」

小学校時代の親友は僕のことをそう評する。たしかに身体は硬い。しかしそういう意味でないのは百も承知である。クソ真面目だとかバカ真面目だとか、食事の会計のときやちょっとした会話の節々によく七峰くんにもいわれたものだ。七峰くんというのは僕が以前担当していたマンガ家のこと。現在はいろいろあって僕に熱心なストーキング行為をはたらいている青年である。

そうしてその青年のことでおそらく今日も「クソ真面目に」僕は悩んでいた。目の前には山ほどのメモ用紙が小さなテーブルいっぱいに盛られて山羊でもいたら一瞬で襲われそうな光景が広がっている。何枚あるのかはわからなかった。その一枚一枚に僕の字が連なっている。七峰くんとの会話の跡だった。休日に僕の家をおとずれる七峰くんとはこうしてメモ用紙や、小さいメモでは長文書けないからと言って彼の持ってくるノートを使って、会話をしている。といっても書くのは僕だけで彼は玄関のドア越しふつうに喋る。

僕は口が利けないわけではない。こんなことになるまでは彼ともよく軽口を叩きあっていた。しかし彼に合わせる顔がなくなった。月明かり差しこむ部屋で悩んでいるのは、そのことである。

数週間ほどまえ七峰くんに告白まがいのことをされた。場所が飲み屋のトイレなんて場所だったから途中で止めたけれどあのまま言わせておけば好きだとかそういう言葉がつづいていたのだろうとおもう。止めてよかったとも思う。言われていたらたぶん素直にうなずいていた。そうでなくてよかった。

室内に干しっぱなしの洗濯物のためほんのすこし開けておいた窓からちいさな風がはいり山の上の一枚をたたみに落とす。緩慢な動作でそれを拾いもとにもどした。自分の字なのにそれ一枚で七峰くんの話した内容を思い出せるという力をもつその紙はたとえば「こんにちは」だとかささいな内容であったって、ひどくたいせつにおもえた。つまるところありていにいえば、僕は七峰くんが好きだった。

初めは、七峰くんの担当になりたかった。じっさい担当だったのにそれもおかしな話だったが彼は僕という編集をおそらく一パーセントだって信用していなかったとおもうから担当だったと言えば御幣があるだろう。僕は七峰くんの担当にはなれなかった。数ヶ月前チョコレートの季節に悔しさ噛み締めながら彼のオフィスを去ったのは苦い思い出だ。服部さんに付き合ってもらって朝方まで飲んでしまったのもよく覚えている。

しかし僕とちがってこれまで何人もの作家と別れてきた服部先輩はいった。「小杉は七峰くんにいつも正面から向き合ってきた。彼にはそういう人が必要だと僕は思う。ほかに七峰くんを支えてやれることがあるんじゃないか」H先輩は神なのではないだろうかと酔ってツイッターに書き込んだらそういえばもうひとりのY.H先輩になにソレ俺のこと?小杉わかってんなーはははと翌日背中をたたかれた。雄二郎さんはおもしろいと思う。あっ名前を出してしまったそして話題がそれた。

もとにもどせばそうあの言葉から僕はいまみたいにクソ真面目に考えて自分なり答えをだしたのだった。「担当がだめなら、七峰くんと、友だちになろう!」それが僕にできる唯一のことだとおもった。これは僕の勝手なイメージと完璧な偏見だが七峰くんにはおそらく友人と呼べる友人がいないとおもう。

彼は根本的に他人を信用していない。ゆえにまわりに特定の人物を置きたがらない。マンガを描くときいつだって名前もしらないようなだれかをつかいたがるのもいい証拠だ。たぶん信頼した人物に裏切られるのが怖いのだろう。憶測だがそう外れてはいないように思う。彼について長く考える時間がとれたことに関していえば、名前だけでも彼の担当であってよかった。

そうして僕はすぐに思ったことを実践した。毎日七峰くんのオフィスに通った。ぶっちゃけ編集を舐め腐った会社のことなど快くはなかったがマンガのためにビル一本借り切る七峰くんのバイタリティはすごいなと思いながら毎日エレベータに乗った。僕の話に対する七峰くんのあいづちはいつも投げやりだった。たぶん話もほとんど聞いちゃいなかったとおもう。しかしあるとき七峰くんは僕の話にききかえしたのだ。ひとことではあったけれどつづきを促した。僕はそれまでのことなど一瞬すべて忘れてうれしくなって、もっと喋った。七峰くんはどうやらそのころから僕の話をすこしずつ聞いてくれるようになったみたいだった。

その頃からだんだんと打ち解けるようになった。彼はいつだって氷みたいに冷たい対応だったがしかし溶けない氷はないもので僕らの距離のとけて夏にさしかかるころには一緒に飲みにいくような間柄になっていた。

個人的に付き合うようになると彼はそのマンガのようにおもしろかった。まずささいなことでコロコロ機嫌が変わる。すぐ怒る。すぐ拗ねる。そのくせすぐ仲間になりたそうな目でこちらをみてくる。すごくめんどくさい。すごくおもしろい。

僕は小さい頃からたとえばつみきを上手く片付けられないとかやたら手のかかる子を好きになることが多くてだから彼という人間が実は性に合っていたのだとおもう。担当していたころとはちがって角のとれた今の七峰くんは歯医者でよく見る虫歯菌くらいの刺々しさでまったくかわいいものだと思う。僕の話は聞いていないふりをしてちゃんと聞いてくれるし遊びに誘えばまったく暇人ですね僕は小杉さんとちがって忙しいですけど付き合ってあげなくもないですと言いながら毎回そそくさと集合時間前に来てくれる。そういうところを見ると出会った初めに見たよい子の彼も決してすべて偽りではなくて、やはりまた彼の一部なのだと思えて嬉しかった。

七峰くんといるのがたのしかった。自分だけに懐いてくれる大きな子どもみたいで内心すこし誇らしくもあった。道行く女性が彼をじっと見るのが妬ましかった。そんな彼のとなりをあるいているのが、優越だった。

僕は調子にのっていた。勘違いしていたといってもいい。あるときなどふざけてキスまでされたのだ。(もちろん叱ったが)七峰くんの親友にきっとなれるそう信じていた。しかし七峰くんはそんなこと思っていなかった。親友など飛び越えた関係をしらないうちに彼はのぞんでいた。いや、しらないうちに、と言ったら、ずるいかもしれない。彼の風邪を見舞った日ぼくはたしかに、意図的にじぶんの時計をその枕元に忘れてきたのだから。あれは僕なりの意思だった。熱のあった七峰くんがいつも小杉さんのとなりにいたいみたいなことを言ったのでめずらしく素直できゅんときてしまって置いた。僕もそうおもうよ、そういう返事のつもりだった。次に彼がそれを僕に返す名目で会いやすくする口実でもあった。七峰くんの特別な友だちになりたくてそんなことをしたのだけれどおもえばあのときの僕はずるかった。罰が当たってもしかたなかった。

そうしてその次会ったとき告白されかかったのだ。返ってきた時計から女性の香りがしたのをなぜだと問い詰めたらそんなことになった。僕はひどく焦った。嬉しいと思ってしまった。彼の好意を、快いと思ってしまった。本当は、うなずいて抱き締め返してしまいたかった。

けれど僕ははっとする。はじめに「友だちになりたい」たしかにそういった。自分からそういった。本心から望んでもいた。それなのにやっと出来た彼の友だちでなくなることはまったくひどく不義理なことなんじゃないか、そう思った。担当にも友人にもなれない自分に心底失望もした。だから走って逃げた。そして今もそのまま逃げつづけている。対話をすれば口を開けば会話を交わせばすぐにでも思いのたけが零れ落ちてしまいそうでこんな紙に書くなんて卑怯な真似して逃げつづけている。

僕も好きだよ、付き合います、ありがとううれしかった、ありきたりな返事を夕方の部屋でひとりメモ用紙に書き取り練習のように書いては、丸めてゴミ箱に捨てつづけている。目の前にうず高く積まれたメモ用紙と手元のそれとは同じものであるはずなのに七峰くんと話した思い出がないというひどく抽象的な理由でゴミ箱ゆきにされてしまう。メモ用紙ごめんと思いながらも捨てて、ついまた書いて、また捨てる。そんなことをして朝がくる。七峰くんの来るまえの日は、いつだって、そうだった。きっと七峰くんがきいたらああもうホント小杉さんはバカ律儀なんだから、まじありえねーとでも頭をかきながら文句をいうのだろう。イケメンのわりにじつは口が悪いそんなところも、僕は好きだった。


明け方かるく仮眠をとって七峰くんのくるすこし前に起きる。朝はもう涼しいというより寒かった。開けっ放しにしていた窓をしめて鼻水をすする。とりあえず顔を洗う。それから食事をつくりはじめる。

七峰くんが僕の休日家にやってくるようになってから付き合っているわけでもないのに二人分つくることに慣れてしまい普段の生活でもうっかり倍の量つくってしまうことが多くなった。そんなときは多大なるやってしまった感と一抹の寂しさを抱えながら三日間同じ料理を食べた。

しかし今日は彼がくるのだから気にせず二人分つくってしまってかまわない。男の僕のつくるものなんてそんな大層なものじゃなくて大体かんたんな一品料理だったけれど七峰くんはよろこんでくれた。まえの日にスーパーにいって食材を見るのが前よりたのしみになった。今日は肉じゃがをつくる。最低めんつゆひとつでできる安心の男の料理で僕は好きだった。自分の食べ終わったころにちょうどインターホンが鳴る。おはよう、こんにちは、さようなら程度なら口にしてもぎりぎり踏みとどまれたのでインターホンに向かってこんにちは。

それから膳を持って玄関にいく。以前は軽食をもってきていた彼も僕が昼ご飯を出すようになってからはやめたらしかった。玄関ドアの前までゆき、よく使うせいで多少すりきれてしまった「いいって言うまで目瞑っててね」のメモをドアの下から差し出してみせる。はいと返事がある。のぞき穴から七峰くんがそうしたのを確認して開ける。(彼はこのとき言い付けを破ったっていいだろうに一度も目を開けたことはない。そういう誠実なところも意外と持ち合わせていて、僕はおどろかされるのだった。ひょっとして僕の律儀がうつったのかと思うと、勝手に、くすぐったい気分にもなる)膳を置いて顔を上げる。そのときだけドア越しでなく七峰くんの姿をみる。ときにこみ上げるものがあってその二の腕を小突く感触、逆に控えめに小突かれる感触が懐かしくなって手が伸びてしまいそうになることもあった。けれどそういうときは必死にドアを閉めて自分をおさえた。のばせば彼の友だちでいられなくなってしまう。そう思って何度も我慢した。いいよ、震える声でいうと彼は目を開け、いつも一瞬こちらのドアに目をやって、それからすこしかなしげな顔をしてそれでも嬉しそうにお昼をたべる。そうして僕はそんな彼の一挙一動をのぞき穴から見て、拳を握り締めてただ突っ立っているのだった。まったくこれではどちらがストーカーなのか、わかったものではなかった。

食事を終えると七峰くんはいつも日が暮れるまでそこで話をして重たそうに腰を持ち上げ家に帰る。そうして一週間ほどするとまたやってくる。僕はまた最近寒くなったなとストーブを足にあてながら朝食をかねた昼飯をつくる。それが僕らのストーキングサイクルだった。そんな奇妙なことばがあるか知らないけれど、的確にことばにするなら、そうだった。

またきます、今日もそう言って七峰くんは去るだろう。腕の時計を見ながら考えていた。次にくるのがいまから待ち遠しく思えた。

けれど、その日は「もう来ない」七峰くんが明言した。僕が七峰くんの会社に押しかけたのと同じだけ自分も押しかけたからもうここにはこない。七峰くんはそう言った。古いアパートならではのよく響く足音はすこしずつ遠ざかってゆく。

僕はドアを開けた。なにも考えていなかった。おどろいた顔の七峰くんが振り返る。ごめん、とっさに口をついて出た。すると七峰くんがふたたび背をむける。反射的にそれを追った。腕をつかんだ。懐かしい香水の匂いがする。いろいろなものがこみ上げて、ごめん、ごめんね、僕は何度もあやまった。なにに対する謝罪だったのか自分でももはやわからない。左胸のあたりがぎゅうと痛い。

そうして口走った。とうとういってしまった。「どうしようもない僕だけど七峰くんの恋人にしてもらえませんか」罪悪感と後悔は一瞬で封じられた。ひどく長く口付けられて酸欠になってそんなこと考える余裕を奪われた。ようやく呼吸ができるようになるころ七峰くんにそういつものようにすこしだけ控えた力で殴られ、見上げた顔はいつどんなときよりうれしそうだったから、ああこれでよかったんだと僕にはようやくわかった。(たぶん、おなじような顔をしていたとおもう)

僕だっていつまでも堅物じゃないのだ、つぎ昔の親友に会ったらきっといってやろう、心にきめてドアをしめた。アパートのうわさの一切合財をとりしきる大家さんにあらぬ場面を見られでもしたらたいへんである。(だってすでに恋人疑惑を持たれているんだから本当におばさんてやつは、…怖いよな)

え七峰くん泊まってくの? いいけどパンツは買ってきてよね、ってバカなに照れてんだへんなことしたら追い出すし! 約束だからね!


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気分でつづくかもしれないしつづかないかもしれない

(2011.1105)