菓子類の甘ったるい匂いはあまり好きではない。

こちらとこちらが今年の流行で〜、決して販促のためだけではない売り場のお姉さんの笑顔に七峰は内心舌打ちしつつ、けれどみずからも好青年の笑みで答えた。すると愛想のいい七峰に気を良くしたらしい店員がよろしければご試食はいかがですか? 店舗の奥につま先を向けるので慌てて手を振ってみせる。

「すみません、僕は付き添いなんで、向こうの彼に持ってきてやってくれますか?」

あら、という表情を女性はしたがつぎの瞬間にはすっかりセールスレディにもどってうなずいていた。七峰もあいまいな笑みを浮かべてその背を見送った。同時にひとりごちる。

(まあ…小杉さんと僕なら、そうだろうな)

さえないオタクメガネと今風の男子がバレンタインへの返物など選びにきていたらどちらが付き添いに見えるかといえば前者なのだろう。品よくショーケースに並べられた一口大の一個数千円を熱心に見つめる「前者」のとなりにひらり七峰は歩み寄った。砂糖菓子に夢中の小杉が気づくようすはない。七峰はいささかおもしろくない。

「意外です。そんなに大切な相手がいたんですね」
「…え?」
「カノジョ、いないと思ってた」
「へっ!?」

バササササ!小杉が肘につるしていた紙袋がいくつも落ちる。まったく動揺するにも程があるだろう、七峰は小杉以外だれもそばにいないのでもういいやと露骨に不機嫌な顔をつくってしゃがみ、それを拾ってやった。小杉はあいかわらず真っ赤な顔でイイイイナイヨカノジョナンテ魔法の呪文の様なものをとなえながらあたふたしているのでアンタは手伝うなと釘を刺して大人しくさせた。一店目のデパ地下で買った色ちがい同じ柄の袋を手渡し今度は落とさないでくださいよと念を押す。小杉は素直にうなずいた。いつものことだったが、どちらが年上だかこれではまるでわかったものではない。

試食をとりに行ったお姉さんが帰ってくる。長方の白い皿には一口大の菓子がさらにスズメの一口大のサイズに切られていくつも載せられていた。ふわあ、思わず感嘆をもらした小杉だがしかし手を伸ばすようすはない。せっかくなんだから頂いたらどうですか、七峰がわざわざ勧めるのにも首を振る。小杉はほんの数センチ上背のある七峰に視線を上げると今度は頬をちいとも赤らめず言った。

「今日付き合ってくれたお礼なににしようかずっと考えてたんだけど、七峰くん好き嫌い多いからわかんなくて。…気が利かなくて申し訳ないけど、自分で選んでよ」

次差し入れ持ってくとき参考にするし。平然と言ってのけるのでしばし七峰は固まった。そののちゆっくりと皿の端に添えられた楊枝に手を伸ばす。自分がからかわれるとすぐ赤面するくせに、時折りこういう誤解されない台詞を平気で落とす小杉がそらおそろしい。始終をきいていたお姉さんの接客スマイルは凍りついていた。七峰は場の空気に逆らえず何種かくちにしたが味などとんとわからなかった。甘みの少なそうな果物のゼリーを指差せばじゃあそれをプレゼント用に包んでくださいと笑顔で言い切る小杉の頭を陶器の皿で思い切り殴ってやりたい。

最初のデパートで用事は済んでいたってことですか。四つ目のビルから人混みに出るなり七峰は小杉をにらんだ。その手には拒むひまなく渡された先ほどの菓子の堤がさげられている。小杉は風にずれたマフラーをまき直しながらなんともない顔で口をひらいた。

「なに言ってるの、終わってないだろ。少女誌の編集さんへのお返しはたしかに一店目で選べたけど、七峰くんのが残ってたんだから」
「っ…! アンタ、なあ…!」

「会計のときそれまで愛想のよかった店員の態度がよそよそしかっただろう」とか、「恥ずかしくてあの店いいやこのデパート自体もう出入りできないだろう」とかなにより、「なんで冴えないアンタに義理チョコくれた涙の出るほど博愛主義な女性より俺(もちろんバレンタインになにか渡したりなどしていない)宛のものに時間かけてんだよ」とかそういうことは小杉のまぬけなたぬき顔をみているとどうにも、いえなくなってしまう。

アホだのバカだのクズだの貶すことならたやすく口にできた。しかし小杉の本意を問いただすのは七峰にとってとてもむつかしいことだった。というのも小杉という男の思考は常に七峰の斜め上をいくと決まってるそういう生き物なので、小杉がまっすぐ返したつもりの答えを七峰はうまく受けとることができないのである。

先ほどの問いかけを口にすればきっと交差点の長い赤信号から目をもどして小杉はあっさりこう言うだろう。

「さっきも言ったじゃないか、七峰くんは好き嫌い多いの知ってるからだよ。それがどうかした?」

かなり完璧にちかいんじゃないだろうかと思えるレベルで憎たらしい小杉の声が脳内再生されて実際言われたわけでもないのに腹が立ってくる。(僕がききたいのはそういうことじゃないのにこの、朴念仁め)むすっと唇を噛み締めていると朴念仁がふりかえり言った。

「信号、青だよ?」
「っ! …わかってますようるさいな」

ぷいと顔をそらして七峰は歩き慣れた新宿の横断歩道をスラスラあるく。人混みに飲まれて後方で小杉がわたわたと慌てているのが視界の端に映った。青ですけど? 今度はわざとらしく七峰がふりむきその手をつかんでやった。笑われている気配があったが、どうでもよかった。

はぐれたら面倒だし、駅までもうすぐなので、といってつかんだ手はそのままに往来をゆく。さんざん買い物に付き合わされた末のアフターファイブの人波は急であったし三月の日暮れは早かったから七峰の右手と小杉の左手に気を配る者などどうせいやしないだろう。あとをついてくる小杉の足取りはそれでも幾分おぼつかなく、七峰はすこし気分がよかった。駅にたどり着くまでにふたつある信号のどちらも七峰の渡る寸前赤に変わったのも、満悦だった。

そうして電気屋を通り過ぎ東口の広場を抜けてJRの駅に着く。

七峰は小杉の手を離した。最初は一方的につかんでいたはずが、気がつけば小杉も握りかえしていたのか一瞬のラグがある。看過せずからかった。二の腕をいまいましげに小突かれる。ついでにときどき忘れているようだけど僕は七峰くんより年上なんだぜと胸を張られる。瞬間うしろから歩いてきた男子高校生にぶつかってすみませんすみませんと頭を下げていた。束の間の年上。

小杉は地下鉄、七峰はJRだ。ここで別れる。小杉は四角四面に今日の礼を言った。いらないのに、ぼそりとつぶやけばでも七峰くんお菓子の店とかあまり得意じゃないのに付き合ってくれただろう、ありがとうとかえってくる。真正面から謝礼など慣れていない七峰にはそれがくすぐったい。しかし目はそらさない。そらせば小杉が追ってくるのはもうこれまでの付き合いでわかっていた。けれどやはりどこか居心地わるく、ほんのすこしうつむいた七峰は上目遣いに小杉をみやる。いつものなにも考えていない(と七峰はおもっている)笑顔を浮かべていた。本人は寒さのせいで気づいていないのか、鼻が片方たれている。(…この人ほんとまぬけだよな)

はじめの信号を渡る前からくすぶっていた疑問をいまなら言えそうな気がして、たとえ返事が予想通りのそれだってここなら人ごみの喧騒のせいにできそうで、七峰はそっと、聞いてみた。なんで僕のために四店分も時間、かけたんですか。小杉は不思議そうに数度ぱちくりとまばたきをして、それからふとわらってみせる。

「きまってるじゃないか、七峰くんの一番よろこぶものをあげたかったからだよ。それがどうかした?」

ぶわ、とさっき紙袋を落とした小杉じゃないがはっきりと顔に血がのぼるのが七峰にはわかった。みられるのは癪で、あわててさよならをいって階段を駆け下りた。想定外だった。いやなんとなく部分的には合っていたのでそこはさすが自分と思うもののけれどもやはり小杉らしい斜め上であった。心臓がばかみたいにうるさい。じぶんが他人のまっすぐな好意に弱いのは小杉に会ってから知った。克服せねばとも思っている。しかし同時にその術がわからないのも事実だった。

PASMOを通して全力疾走、なにごとかと追ってくる人々の視線すら置き去りにする。文系メガネよりよほど足の速い自信はあった。追いつかれないだろうという確信もあった。

しかしそれを打ち砕いたのは目指す山手線のホームが東口からもっとも遠い距離であった事実、それからホーム到着直後に列車の行った運のわるさ、そしてときに意外なほど発揮される小杉の根性であった。山の手線のホームでゼエゼエと息を切らした小杉にジャケットのすそをつかまれてはもうどうしようもなかった。

「は…なんで、逃げたん、だよ」
「…っ…小杉さん、が、あんまり気色わるいこというから、しかたない、でしょ」
「っ…ひとの、好意を…きしょくわるいだなんて、ほんと、キミは、最低だな…」
「ぜえはあいいながら言ったって、カッコつきませんよ」

自分だってぜえはあなんだからお互いさまだったが、七峰よりよほど疲れていたのか小杉の文句はかえってこない。あんまり突然走ったものだから脚が痛かったけれど七峰はほっとしていた。顔が赤くたってそれは走ったせいだといまなら言えた。我ながら完璧ないいわけだった。小杉がしゃがみこんでいるのをようく見てから、もらった紙袋の中身がだめになっていないかたしかめる。…安堵した。同時に小杉の持ついくつもの袋の方はだめになっていればいいのにと思った。待ちわびた山手線がホームに滑り込んできて慌ててそれに乗る。ふたりして乗って多少の混雑のなか中央のつりかわを並んでつかみ、プシューとドアの閉まった瞬間ゲッと小杉がうめく。

「? 小杉さ「俺、山の手線じゃなかった…」――あ」

公共の場で突然そろって笑い出したふたりを周りの客がけむたそうにじろりと見る。しかしそのときだけはどうだってよかった。七峰は柄にもない顔で笑いながら、数分前のことをおもいだしていた。

聞いてよかったとおもっていた。答えられてすぐはどうしていいかわからず走って逃げたがすこし冷静になったいまならそう考える余裕がある。なんだ朴念仁もたまには僕の満足することばをくれることがあるんだなとおもった。本当はそのことばを望んでいたじぶんも、気分がいいから、いまだけは認めてやることにした。

ついでに一泊一万で泊めてやってもいいですよ、冗談まじりに切り出してみてやることにもした。左手には切り札の砂糖菓子がある。しかたないからこれって言ったけど、ほんとは甘いものって苦手なんですよね。てきとうなことを言って半分食べる責任を責任感強い小杉に押し付ける自信なら、十分すぎるほどあった。



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からかわれたりすると赤くなるけれど自分で恥ずかしい台詞をいうのには一切の躊躇がない小杉さんを心底愛する。そんな小杉さんの一挙一動にきょどるめんどくせえ厨二七峰くんを心の底からにやにや観察する。七峰と小杉が好きだ


(2011.1025)