一、中井

果たしてあの新妻くんが本当に来ているだろうか。半信半疑のまま言われたとおりに浴衣を着て、神社の階段下、十八時、行ってみれば水色地にとんぼの飛んだ甚平姿をまとった新妻くんが上段からぴょんと飛び降りた。

「中井さん一番! 予想通りですうーん僕ってばすごいです」

きゃっきゃはしゃぐのに一瞬呆気に取られてから、こんばんはと挨拶した。新妻くんは跳びはねながらニコニコ、こんばんは!

「他の二人はじゃあまだなんですね、」
「ハイ、遅刻したので罰ゲームです。一人でかき氷全種制覇とかおもしろいです」

かきごーり! ガキガキーン! 騒ぐ首根っこをつかまえて、階段をゆく人の流れを避けながら、二人の来るのを待った。

町内会の掲示板に貼られたチラシを見て、お祭りに行くです! 唐突に叫んだ一昨日の新妻くん。どうやら作業場近所くの神社では、三年に一度の大きな祭りがあるらしい。僕カタチから入るのが好きなのでみなさん浴衣厳守です! という先生の我儘でタンスの奥から引っ張り出して、アイロンをかけてやってきた。

内心あまり乗り気じゃなかったけれど、夏祭り特有の香ばしい匂いと遠く聞こえる祭囃子、来てみればやはり楽しみになった。

腕時計をちらりちらりと見ながら待って、十分後、わたわたと横断歩道を渡ってきたのは雄二郎さんだ。慣れない下駄を履いてよろめきながら、渋緑の浴衣が走ってくる。点滅する信号を渡りきった雄二郎さんはひたいの汗をぬぐいながら息を切らしていた。

「ごめんね新妻くん、中井さん。編集部出るのに時間がかかっちゃって」
「だいじょーぶです、雄二郎さんはアムロのお面かぶってくれたら許してあげます」
「・・・・・いま明らかにアフロを意識したよね?」
「福田さんまだかなー?」

そしらぬ新妻くんに渋面の雄二郎さん、笑いを噛み殺しながら、蝉が太鼓が人が笑う喧騒を、遠く、聞いていた。



二、雄二郎

俺が着てからさらに十五分後、新妻くんがだんだん空腹にしょんぼりしてきた頃にようやく、福田くんはやってきた。

着崩した濃紺の浴衣、裾を持ち上げカツカツと、走ってきた福田くんは俺と同じよう、第一に両手を合わせ新妻くんにあやまった。だいぶお腹の空いて不機嫌になっていたらしい新妻くんは福田くんを見上げるとぼそりと、今日のご飯全部福田さんのおごりですから、といった。青ざめた福田くんに聞く。

「それにしてもどうしたんだい、めずらしいじゃないかきみ、時間にはわりときっちりしてる方なのに」
「え? あー・・・なんか駅降りてからナンパがひどくて、」
「ナンパ?」

首をかしげる中井さん、すぐに察した僕はチッと舌打ちした。今日ばかりは帽子をかぶっていない頭をかいて福田くんはいう。

「俺急いでんのにそこらのオネーサンがしつこいんすよ、断るのも一苦労でもー、」

(福田くん、後生だからもうそれ以上言わないでやってくれ、中井さんが、中井さんの顔が真冬だよ・・・)
僕たちが夏祭り特有の哀しさに浸っているとぴょんと、待ちきれない新妻くんが一段跳んだ。

「早く行くです、僕もうお腹空いたです!」

おたおたとその後に三人で続く。木々に囲まれた長い長い石段、ぴょんぴょこ進む背を見上げ、床に転がっていた一学期の成績表を思い出した。
(体育と美術だけは、5なわけだよなあ)

人混みに呑まれないよう、今にも駆け出しそうな新妻くんの左手を俺が握り右手を福田くんが捕まえて中井さんがうしろを歩き、屋台を回る。三年に一度の大祭だけあってひどい人だった。屋台は境内に向かって一筋、そこから左右に二筋分かれ、相当な数出店しているらしかった。

なんにでも目移りする新妻くんを引きとめ、中井さんが焼きそばを調達してくるのを待ち、福田くんが浴衣の女の子に話しかけられるのを見捨てて置いていこうとしては失敗し、なんだかんだで僕たちは夏の夜を楽しんでいた。

それなりに和気藹々の、空気を壊したのはやはり新妻くんだった。不意に立ち止まるからなんだと思ったら視線は射的に一直線。小さく笑いながら、やりたいのと聞けばなぜかひかえめに、ふるふると首を横に振る。

「どうかしたのか? 新妻くん、」
「・・・小さいとき射的屋のおじさんのサングラスを割っちゃってから、射的はやらないです。でも、あれ、ほしいです・・・」

目の先には特賞が燦然とかがやいている。戦隊物のヒーローの、変身スーツだった。真ん中の段一番奥の、小さな小さな的を当てないと手に入らないらしい。つないでいた手を離し、僕は二の腕まで裾をめくり上げた。

> 「? 雄二郎さん?」
「たまにはいいとこ、見せなきゃね、」

そう言って屋台のお兄さんに百円玉を二枚差し出した手、なぜか、二本。横を見た瞬間に火花が散った。

「・・・・・福田くん、いい度胸だね」
「雄二郎さんこそ、カッコ悪いとこ見せる前に諦めといたほうがいいっすよ」

背後では新妻くんがギャースギャース騒ぎ、中井さんはすこし困ったように笑っていた。



三、エイジ

二つの銃が標的を狙うのをしばらく見ているといきなり、本当に心臓を撃つような、ドォンという音が響く。太鼓よりもずっと強いそれに顔を上げれば、川べりの方では花火が上がっていた。そういえば花火もやるって書いてあったっけ、そんなことを考えているうちに、一際激しくなった人の波に一瞬で呑み込まれた。

あ、と気がついて遠く、離れてゆく中井さんに手を伸ばそうとしたのに中井さんは花火を見上げていて気づかない。的を見つめている二人はもっと気づかない。僕は草履を膝を肩を呑まれ、本当に海の波に食べられるように、押し流された。


ようやく、自分の足で立っていると気づいたときにはもう遠く遠くに来てしまっていて、三方、どっちから来たのかさえもわからない。楽しそうな子どもがヨーヨーを打ちながら、恋人たちが笑いながらあるいていくのを見て、ひどく、ひどく怖くなった。

東京大都会、一年暮らしてもまだときどき、人の多さには恐怖する。息苦しさが突然に、こみ上げる。足がすくむ。立っていられなくなる。

たまらなくなって、屋台一軒分、隙間の空いたごみ箱の横に座り込む。カチャリ、飲み終えたビールの缶を大口開けたビニールに投げ込む音ですら、怖かった。



四、福田

微妙なところだった、弾は二つ、ほとんど同時に特賞のピンを当てたのだ。俺と雄二郎がにらみ合い、どっちに景品を渡したものかとお兄さんが悩んでいると中井さんがふいに言った。

「あれ、新妻くんは?」

> なに言ってんですかそこにいるでしょうと、言おうとして止まった。さっきまで俺たちのうしろではしゃいでいた新妻くんは忽然と、姿を消していたのだ。

「! 新妻くん、もしかして、迷子・・?」
「っ雄二郎おまえ携帯持ってっか? ちょっと新妻くんに、」
「そんなことゆったってあの子が携帯を携帯してるわけがないじゃないか!」
「あ、そ、そうか・・・」

あのー、景品はどっちに? 困り顔の兄ちゃんからさっと取って、荷物になるから中井さん持っててくださいと乱暴に渡す。携帯の電波があるのを確認して言った。

「じゃあ雄二郎はこの通り、中井さんは階段の方だ、俺はのこりの道を探すから、見つけたら携帯で連絡してくれ、」

うなずいたのを見て駆け出した。(俺は新妻くんのよろこぶ顔が見たくて必死で撃ったのに、当の本人がいないんじゃ意味がない! ああくそかっこわりい!)

人混みは苦手なのだ、きっと怖がっているに決まっている。下駄を鳴らして俺は走った。


夜とはいえ暑い、人が多いからなおさら暑い。避けながら走っているとぼたぼたと汗がしたたり襟を汚した。貸してくれたバイト先の友だちにわりいとあやまりながら、足は止めなかった。

境内を通り過ぎてまっすぐに、見逃さないよう目を光らせながら、走って走って走って、屋台の途切れるころにふと、ゴミ捨て場で丸まった水色を見つけて俺は、立ち止まった。

暗くて、もうすこしで見逃すところだった。甚平の色が明るかったのが幸いした。しゃがみこみ、うなだれた頭に手を伸ばそうとして、地面に一滴こぼれ落ちた。やべ、汗かきすぎた、そう思って首をぬぐったが、よく見ればそれは俺の汗ではなかった。

「! ・・・新妻くん、泣いてる?」

突然バッと、顔を上げた。目の端からはぼろぼろと、こぼれ落ちていて俺は言葉をなくした。新妻くんはくしゃりと顔をゆがめてからがばりと、俺の胸に飛び込んだ。しりもちをつきながら支えるとぎゅうと背中に手が回された。えぐえぐ、嗚咽が聞こえる。道行く人目を気にしながら、のろのろと頭を撫でる。

「ご、ごめんな新妻くん、怖かったよな、ごめん、」
「ふくっ、ふくだ、さああん・・・!」
「今雄二郎たちも呼ぶからな、もう一人にしないから、ほんと、・・ごめんな」


数分後には二人は来た。新妻くんも落ち着いて、立ち上がった。そうだこれ俺と雄二郎でとれたんだ、ヒーローのスーツを差し出すと新妻くんはきょとんと首をかしげた。

「・・・僕が欲しかったの、これのとなりの、りんご犬のぬいぐるみですケド?」
「えっ!」

二人して同時に声を上げると、新妻くんは首を振って、もう特賞なんていらないですと言った。でもなんだったらもう一度とってきてもいいんだぜと言えば、みんながいればそれでいいんですと、笑った。背後は最後の尺玉にざわめいていたけれど花火よりその笑顔の方が俺には眩しかった。



++++
リクエスト頂いたので書いてみました
ちょっと長くなっちゃった、新妻ファミリーはかわいいなあ
(余談ですが、サングラスネタは某まるでダメなおっさんです)
リクくださった本人さまに限り、お持ち帰り自由です



(2009.0815)