R18 不倫注意




仕事で溜まった疲れを吐き出すように腹の中にぶちまけると、吉田はいつものように顔を歪めてことさらに私を煽ってみせた。本人はそんなつもり毛頭ないというが嘘に決まっている。本気で続きを嫌がっているなら鉄仮面のような顔でもしていればいい。それくらいわかっているだろうにわざわざ私の征服欲をそそる生意気な目をするのは誘われているからとしか思えない。だから嫌がる身体をもう一度抱く。何年関係が続こうがあいかわらず喘ぐ声さえ抑えようとするのがおかしくて、意地でも聞いてやろうと揺さぶった。両手で口を押さえ、目線でじっとりと向けられる文句にすこしだけ、笑った。



編集長、と吉田は呼ぶ。吉田の入ってきたとき私は副編集長の地位に居たから、最初からそうだったわけではない。かといって今の席に座った瞬間から呼ばれ始めたわけでもない。それまでは佐々木さんだった呼び名が頑として現在のそれに変わった境の日が、吉田の結婚式だった。

当日、職場の長としてスピーチをと頼まれたので私は若い二人の門出を祝い、ささやかながら紙に記した祝詞を述べた。しかし同日に新郎を犯した。三次会の合間酔ったふりをして会場脇のトイレに連れ込み、同じ屋根の下に新婦がいる場所で吉田を抱いた。狭い個室で身体を折りたたまれた吉田は激昂して拒んだが言葉でなぶって受け入れさせた。

「人の物になったら急にお前が欲しくなったんだ」

心にもない台詞は一言で吉田の顔色をなくした。



吉田が私に好意を抱いていたことは、最初から知っていた。

同じ班というわけでもないのによく目は合ったし、他の奴とはそれなりに口を利くのに私には自分から近づいて来ようとしないので気がついた。

そうして話しかけてみると、話題探しに慌てた吉田の言葉からマンガの話になってよく喧嘩をするようになった。仕事に対するこだわりの強かった私たちはしばしば意見の違いから対立し、言い争いをしては睨み合った。しかし同時に仕事人として互いを尊重していたとも思う。

あるとき親しく面倒を見てやっていた瓶子を介して酒の席に呼ぶと、潰れた吉田は机に頬をすりつけ隣に座っていた私にこぼしたのだ。

「俺佐々木さんのこと、尊敬してるんすよねえ、気は合わないスけど、でも、仕事できんのは確かだし、それに」

それに、の後は知らない。吉田の向こうにいた相田が悪酔いして吉田に絡んだからだ。後から聞こうにも翌日にはしらふにもどっていた吉田に聞ける話題ではなかったし、とくべつ尋ねるつもりもなかった。

しかしあの夜吐露された生意気な後輩の本心だけは甘やかに耳に残り、吉田の視線の意味を私に裏付けた。

それから吉田は自分から私の元に来るようになり、他愛ない話をすることが増えた。飲みの席で一度まともに話したせいで、前より声をかけやすくなったのかもしれなかった。

初めは真面目に応えていたがそのうち面白くなってきてわざと無視するようになった。今話しかけてもいいか、目線で私を確認しているのを知りながらわざと電話をかけ始めたりすると途端に慌てて仕事にもどる様はおかしく、またかわいく見えた。たぶんこの頃から吉田を好きだったと思う。

おそらく私たちは、一時だけ互いを思い合っていただろう。半年にも満たない、ほんのわずかな時期だ。なぜなら編集長になった私が仕事の落ち着きを見て吉田をいよいよ部屋に呼ぼうと決めたその日、泣きそうな、しかし嬉しさのにじむ顔で吉田は私に言ったからだ。

「俺、来月結婚するんです」

だから一次会のスピーチ、佐々木さんに、お願いしたいんですけど。
それが、吉田が私を佐々木さんと呼んだあるいは最後の時であったかもしれなかった。


長く付き合っていた彼女がいたということは、結婚式のリハーサルに呼ばれたときに知った。以前からちらついていた結婚の話が吉田の多忙を理由に今日まで引き伸ばされたということも。

気立てのよさそうな新婦に挨拶した夜、私は久々に一人で呷った。どうしてもっと早くその視線を受け止めてやれなかったのかと、今さら、後悔していた。ペースの早い自棄酒はすぐに頭に回り、気づいたときには翌日、式の当日の朝が眩しくそこにあった。

或いは強引に吉田を抱いたあのとき、前夜の酒がまだ残ってくすぶっていたのかもしれなかった。しかし今さらなにを考えたところでこうなってしまった以上、すべては最早、遅い。





そうして目を覚ますと吉田の姿はない。帰宅したのだろう。眼鏡をかけるのも億劫で、ベッドサイドにのろのろ手を伸ばし煙草の箱を探り当てた。ありえねーベッドで吸わないでくださいよ、火事になったらどうするんすか、口うるさく言う男ももういない。紫煙を吐き出しながら体液で汚れたシーツを見下ろし、片付けが面倒だなとだけ思った。

するとおもむろに寝室のドアが開く。シャワーを浴びていたらしい。半裸にバスタオルだけ巻いた吉田は私の起きているのにおどろいたように見えた。なんだまだいたのかと軽口をたたくと、眼鏡はなくともその顔が不機嫌に歪んだのがわかった。

気づかなかったがベッドの向こうには昨日脱がせた服が散らばっていたらしい。吉田が腰を曲げるたびわざとつらい顔をつくりながらジーンズを拾って足をとおす。軽く笑って煙草を揉み消した。広いベッドに手をついて近づき、むき出しの腹にうしろから手を回す。履けないんすけど、抗議も気にせず抱き寄せた。うわっ、短い悲鳴とともにどすんと腕の中におさまる。濡れた髪から飛び散ってつめたく、心地よかった。あいかわらず不愉快そうな顔をするので誘ってるのかと聞けば殴られる。さんざいたぶった腰が本当に痛むらしく、ぶすくれた表情でなんの恥じらいもなく尻をさすっていた。うう、と小さくうめくのが存外かわいかったのでまだ帰るなと言えば、妻が待ってますんで、今さらに細君を持ち出して引き剥がそうとする。必死な姿にむくむくと意地の悪い気分になって私はその耳にささやいてやった。

「おまえそう言ってずっと、私に惚れているくせに」

吉田の肩がはっと震える。罵声はとたんに止んだ。狼狽に呼吸が短い。いい大人のくせして、ひどくわかりやすい。額の濡れるのもかまわずそのうなじにそっとキスをする。同じ石鹸のくせにどこかちがう匂いがした。吉田は最初のときと同じように、やはり私を最後まで拒めない。編集長と役職で私を呼ぶのはけっきょくただの防波堤にすぎない。突き破るのはいともたやすい。吉田の弱さであり、ずるさでも、あると思う。私たちはきっとこうしてずるずると続いていくのだろうという漠然とした確信があった。履いたばかりのジーンズに手をかけながら泣きたいような、笑いたいような、変な気分になった。

(…もっとはやくに言っていたら、よかったのになあ)




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むむむ。編集長視点も書いてみたんだけど納得いってない。からサイトにひっそり載せる。
よくわかんねえ。あとで書き直すかもだ。

(2011.0329)