パラレルです


目を覚ますとすぐそばの背もたれには灰の上着がかかっていた。ソファに手をついて身を起こせば、食卓で勉強している姿がある。(なんだ、来てたのか)起こしてくれればよかったのに、寝起き、ざらついた声で言うとノートから顔を上げた平丸くんはそっけなく言う。

「べつに吉田氏に会いに来たわけじゃないです。鍵を忘れただけですから」

ふん、嘘つきめ。昨日だって一昨日だってそう言って俺の家に来たじゃないか。(知っているんだぞ、きみが自分の家の鍵と俺の家の鍵、おんなじキーホルダーにつるしてることなんてとっくに)小学生のころ家に入れず震えていたのはあんなに可愛かったというのにあれからにょきにょき育ちやがって今じゃろくろく抱っこもできないくらい大きくなってしまった。(まあそもそも高校生男子を抱っこしたいなどと思わないが、)子犬が育ってしまったような気持ちでおもしろくない。

立ち上がり冷蔵庫から水を取り出して喉に流し込む。室内にはシャーペンのさらさらという音が響いていた。模試どうだったの、尋ねるとまあ普通です、いつもどおりの答えが返ってくる。ああそうなの。うなずいて冷蔵庫にしまう。

勉強はそこそこできるらしかった。戯れに英語やら数学やらを聞かれることはあったがそれほど理解に困るようすも見たことがない。数Vの質問など、たまにわからないものもあった。現役の受験生に三十前のおっさんはとてもかなわない。入試は二月だそうだ。志望を聞けば俺の出身と同じ系列だったのでおかしかった。そんなに俺のこと好きなの、からかえば真顔でわるいですかと返されたので笑えなかった。

徹夜に疲れた頭を掻いて風呂に向かう。去り際のぞくなよと言い残すと、のぞかれたいんですか、聞き返されるのでバカと笑った。寒かったら暖房勝手につけろよ。言われなくても。返事はやはりかわいくなかった。


高校に上がった頃から平丸くんはしばしば俺の家にやってくるようになった。それまでは隣の家のマンガ家宅にちょこちょこ来ていたが、俺がちょうど彼の担当を外れたので今度は矛先がこっちになった。高校の終わる時間は早く俺より先に着いてしまうことが多かったので合鍵をやったらますますつけ上がらせてしまった。

まあ、あまり後悔はしていない。今さら、お互い好き合っていることなどとうにわかりきっていた。平丸くんが初めてのオナニーのおかずに使ったのは俺だし、中学生の頃から望まれても一緒に風呂に入らなくなったのは、俺にもそういう気持ちがあったからだ。俗に言うショタコンというやつではないが、これだけ懐かれ数年かけてべったりとまとわりつかれては惚れない方が実際どうかしていると思う。しかしだからといって健全な青少年に手出しするわけにもいかないのでずるずると、恋人とも年の離れた友人ともいえない関係がつづいていた。

けれどもうすぐそれも終わりだ。平丸くんがとうとう条件を提示してきた。志望の大学に受かったら部屋をひとつ空けろというのだ。親はと聞けばすでに許可をとっているという。数年来付き合いのある夫妻を思うと胸が痛んだが、すでにかんたんにことわれないくらいには平丸くんを思っていた。

平丸くんは熱心に勉強している。春先にはきっと家に住人がひとり増えるだろう。考える数ヵ月後はそらおそろしい反面、ひどく、楽しみだった。

シャワーを止めて風呂を出る。部屋着に着替えて居間にもどると平丸くんは電話を切るところだった。

「お母さん?」
「ああ、はい。今日は帰ると連絡を」
「そう。晩食べてくだろ?」
「オムレツがいいです」
「はいはい」

キッチンの方に歩きかけると携帯を閉じた平丸くんが立ち上がり寄ってきた。なに、と振り返れば性急に二の腕をつかまれ口付けられる。突然だったので多少慌てた。背伸びをして舌を差し入れようとするが胸を押し返して阻む。もつれて濡れた髪から数滴飛び散った。制服汚れるぞ、言ったのに若者は聞く耳を持たないどころか慎みなく下半身を押し付けてくる。(…くそ、若いな、)はしたないからやめなさい、制する声は我ながらすこし感じていて恥ずかしかった。唇は飽かず何度も押し付けられる。おいバカやめろ、すっかり背の伸びてしまった少年の身体をなんとか離すと、銀糸を唇からしたたらせた平丸くんはくつりと笑った。

「春、楽しみですね」

今日は僕が我慢できないんでとりあえず帰ってあげますけど。この余裕はどこから出るんだとくやしい。童貞のくせに。どうせ毎日俺で抜いているからイメージトレーニングだけはいっちょまえなんだろう。(くそ、ベッドに上がったらさんざんバカにしてやる…)

ああ本当に、いつの間にこれほど声が低くなってしまっただろう、喉仏だってこんなに尖っちゃいなかった。手足は折れそうに細く華奢だったのに骨格だってすこしずつ男びてきているではないか。高さのそれほど変わらなくなった目線が厭わしい。平丸くんは風呂上りってもえますよねなどと言ってあいかわらずにやにやしている。背筋を水でないものが伝うのがわかった。

もしかして手出しされるのは俺の方かもしれないなどと、きっと、そんな、杞憂にすぎないに決まっている。(それでも春を待ちきれずいる俺はもしかして、そっちの気があったのだろうか)

ああ、ぞっとしない。


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身内物B
(2011.0403)