静河くんと寝た。

作家に手を出してしまった決定的な後悔はあったが、彼を好いていた僕にはそれ以上に嬉しい気持ちの方が強かった。

加えて言い訳をするなら誘ってきたのは向こうだし、それに静河くんはもう成人だ。犯罪になることもない。

しかし問題が別にあった。静河くんは申し訳なさそうに僕から引き抜いたあとハラハラ涙をこぼし言ったのだ。僕初めてじゃないんです。衝撃だった。しばらく声を発せなかった。それでもなんとか身を起こし泣き続ける静河くんをなだめて説明させれば、まだ店通いをしていたときキャバクラの女に半ば強引に連れ込まれたのだという。絶句した。自分だって童貞ではないのだからなにをと言われそうだが相手はあの静河くんだ。まさか一度とはいえ経験があるなど夢にも思わない。

やけに神妙な顔で好きです僕と寝てくださいなどとパソコンに打ち込んでみせたので驚いたがきっと告白に緊張したものとばかり思っていたらまさかそんな背景があったなど仰天だ。僕はどうしたらいい。(いやどうしたらもなにもどうすることもできないわけだが)

泣きつかれて目蓋を落とした静河くんの寝顔を見下ろしてみる。眼鏡をかけていないのはそういえば初めて見た。シーツに手をつきのぞきこめば独り用の小さなベッドが軋み静河くんがぴくりと眉をふるわせる。あわてて息を潜めた。他人には誰より敏感な彼だ。

そうしてひととき待てば、また月明かりと寝息だけが残る。月光に照らされた顔は平時よりも青白く、僕はすこし心配な気持ちになった。数時間前まで荒く熱を分け合っていた身がそう簡単に冷たくなるはずもないのだが、明日起きたらたまには手作りでもしてやろうと心にきめる。独り暮らしでろくな食事をさせていないのはたしかだ。同時にこれからは交際を理由に食事の世話をしてやれるのだと思うとうれしくなる。この部屋に個人的な用事で来たってよくなるのだ。たとえばちょっと顔が見たいからとか、そういうくだらない理由で。なんてうれしいことだろう。

くく、おさえきれず口からいくらか漏れるとビクリ! 静河くんが途端に目を見開きベッドの端にズザザ身を寄せる。それから眉間に皺を寄せ、僕にその顔を近づけた。安堵の表情はそうっとふたたび枕にぽすり。僕とわかって気が抜けたのだろう。起こしたのはわるかったがしかし反応が野生動物のようでおもわず笑ってしまった。

ぱち、ぱちり、ゆっくりとまばたいた静河くんが掠れた声で聞く。山久さん、怒ってないんですか。掛け布から顔の上半分だけ出してうかがうように。僕はそこでようやく気がついた。静河くんはこの数時間もやもやしていた僕のきっと何倍も悩んでいたにちがいない。相当思い詰めでもしなければ告白するなり寝てほしいなどとあの静河くんが思い切るわけもない。

「怒ってないよ、心配しないで」

言葉はじぶんでもおどろくほどおだやかに口を流れ出た。静河くんがきょろりと僕を見上げ、そうして微笑む。傍目にはきっと微笑んだなどとわからないだろう。唇がぎこちなくもごつくただそれだけの仕草を微笑とわかるようになったのはいったいいつだったろうか。黒髪をゆっくりと撫ぜると胸の内にざわついていた嫉妬もつゆと消えた。

顔も知らぬ女はきっとこの表情の見分け方さえも知らないにちがいない。僕のいるかぎりこれから静河くんに会うことだってない。そんな女に妬いていったいなんになるだろう。いつのまにか血色をとりもどした静河くんがもぞもぞと僕の手の方にじぶんから頭を近づけてくるのが愛おしかった。気づかれやしないだろうかとさりげなく上目にうかがってくるのに僕は彼よりすこし大人だから気づかないふりをしてやる。長い黒髪はつやりとして指先に心地いい。月光はそういえば朝焼けにかわりはじめていた。朝ごはんはなにをつくってやろうか。

卵焼きって塩? 砂糖派? 尋ねた僕への答えもその女は、一生知らない。


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あっ
書きたい要素をひとつ入れ忘れたのですが
これ習作なのでぜひまた書かせてください…!
脱DTしてる静河くんやっべえええええと思う…

(2011.0516)