(最初から悩まずに済む方がよかった、といえば、本当は嘘になる)

ブツリ、乱暴に携帯を切られる音もすっかり聞き慣れてしまった。僕より後に彼が通話終了ボタンを押すことはほとんどない。ため息つきながら親指で押して、携帯をたたむ。エアコンのひやり染みて、冷たい廊下の壁にもたれると自然にため息がもれた。

人が来ると描くのに集中できないと言うから、極力仕事場にも顔出さないようにしているが本当に大丈夫だろうかとたまに思う。じっさい原稿は毎回上げているから、大丈夫にはちがいないんだけど、そのなんていうか、そういう問題じゃなくて、つまり、…つまり。

(俺が気になるから! なんて、いえないだろ…)

どこの中学生だよと、いいたくなる。ああもう。…一応、じぶんの名誉のために言っておくが、新妻くん好き好き、離れてると気になるの寂しいの! 状態ではない。決してない。むしろどちらかといえば逆で、たぶん、気がかりという言葉がただしい。

新妻くんと僕はわりと一方的な目線で、お付き合いをしている。新妻くんが告白したのをなんとなくありがとうと言ってしまった僕に起因。で、なんとなーく、ずるずると。(いやはっきり拒否しなかった時点で2割くらい、ずるずる付き合っちゃった時点で半分くらい僕が、わるいんだけど)

しょうじき新妻くんとデートをしたいともキスをしたいとも、かけらも思わない。それでも、世話をしてやらなければいけない職務的義務も、まっすぐじぶんを好きだというのに対するちょっとした罪悪感も、霞のような愛情もたしかにあるから、しばらく姿を見ないと多少、心配にはなる。僕も仕事で忙しいから本当に、たまになんだけど。

ああそれにしたってなんとも女々しい、雄二郎のくせに。名前負けだと母親が泣く。ごめん、お袋。そろそろ仕事にもどるからさ。

元気ないな彼女にでも振られたのか、編集部にもどる途中すれちがった吉田さんがさらりという。ふられてません! …ていうか、彼女が、いま、せん…。はっはっは元気出せよ、スタスタと去っていく吉田さんはこんなだけれど背も高いし女性にはやさしいので、他編集部の方々によくもてるのであった。(…僕も、できればそっちに行きたかったなあ)

そうしたらこんなことで悩むことも、なかったんだけど。もやもや。ああ、明日会ったら文句を言ってやろう、アシスタントと顔合わせがあるのだ、ちょうどいい。


* * *


小銭がない。面倒だなとおもいながら諭吉を渡して、すみません。老年の運転手は大丈夫ですよと人良く笑って釣りを差し出した。

タクシーを下りると夏のはじまりとはいえ、夜はやや冷えた。上着の前を寄せる。先に下りた新妻くんはマンションの入り口にちょこんと立って、待っていた。一連のCLOWの騒動で疲れたのか眠たげに、服のすそで目をこすっている。(まったく疲れたのは、こっちの方だよ…)

終電の時刻はゆっくり近づいているけれどここで別れたらエレベータあたりでそのまま眠りかねない、手を引いて、ガラスのドアを開ける。ダイレクトメールやらでいっぱいになっていた701の郵便受けからごっそり引き抜いて、エレベータのボタンを押した。八階かよ、重い紙束抱えなおしながら思っていればふと、ぽすり、新妻くんの頭が左肩にもたれる。

「眠たいの? もうすぐ家だから、」
「いえ、ねむくはないです」
「? じゃあ、」
「雄二郎さん久々に会ったので」

覚束ない手が上着をぎゅうとつかむ。チン、音が響いて、ドアが開いたのに、エレベータに乗っても新妻くんは空いている手で七を押しただけで、僕の上着から指を離そうとはしなかった。心配したのはあながち、的外れでもなかったのだとなんとなく、わかった。箱の上昇していく音に紛れ小さな声でそっと、たずねてみる。

「新妻くん、寂しかった?」
「…? さびしいですか、うーん、」

やっぱりそうでもないのかな、と見ていると新妻くんはゆっくりと、うなずいた。

「マンガばっかり描いてたからわかんなかったですけど、たぶん、そうです」

七階が鳴る。僕は衝動的に新妻くんの指を引き剥がし、紙の束をぐっと、押し付けた。ひとまわり小さな身体をぐいと、外に押し出す。戸惑ったような瞳が見上げた。終電、やばいから! それだけ言って、閉じるボタンを押した。新妻くんはドアの向こうで手を伸ばそうとしていたようだったがチラシが数枚散らばっただけで、扉は堅く、閉ざされた。あわてて一を連打する。そう何度も言わなくてもわかっているよというふうに、ガタリとエレベータは動きだした。壁にもたれて、乱れた呼吸を直す。

じぶんで聞いたくせに、今のは、まずかった。うっかり未成年に手を出してしまいそうになった、両手が郵便でふさがっていたのは御の字だ。

本音をいえば、仕事のためとはいえマンションに来ないでほしいと告げられたのはちょっとショックで、ほら、新妻くんのいう好きなんてそんなものじゃないかと、言い聞かせるように、おもっていた。でも、そうじゃなかった。引き剥がすときに触れた手ははっきりと熱を帯びていた。子どもの体温にしたって、高すぎる。

どうしよう顔が熱い、平気な顔して電車に乗れるだろうか、まずいな。開いたエレベータをよろよろと出る。足が止まった。背後ではタイミングわるく、扉の閉まる音。

「にいづ、ま、くん…!」

息せき切らした少年が膝に手をついている。肩を上下させながらゆっくりと、身を起こした。非常用階段があるのにそのときようやく僕は、気が付いた。ずん、ずんと、新妻くんは顔しかめて詰め寄る。怒るかな、冷や汗が背を伝うのを感じながらうかがっているとぐいと、熱い手が僕の手をつかんだ。

「っ、あの、」
「送ります」
「へ?」
「暗いから、…駅まで、送ります」
「で、でも、新妻くんがかえり、」
「雄二郎さんうるさいです、黙って送られてください」

ぐ、握力が有無をいわせず指と言葉を閉じ込める。くるり背を向けて、新妻くんは歩き出した。引っ張られ慌てて、僕も。

暗いと言ったけど新妻くんのマンションの周りは夜も電光が多く、時折り通りすぎる車の光に目を細めながら、僕らは駅までの短い道をあるいた。手はあいかわらずつないだままだったがすれちがう人は少なく、たいして気にはならなかった。

終電時刻の張り出されたJRの改札の前、ようやく新妻くんが僕を離す。そうしてまっすぐ見上げた。

「終電近くまで、今日は、迷惑かけてごめんなさいでした」
「え、」
「家に着いたらメールください、今日はちゃんと返事します」

それじゃと、新妻くんは行ってしまった。追いかけようとしたが駅員の、時刻を告げる声に阻まれる。うしろを何度も振り返りながら、僕は改札をくぐった。

電車では席も空いているのにずっと、入り口の前に立って窓の外をながめていた。他人に見られるにはちょっと、恥ずかしすぎる顔をしていた、と、おもう。うつりかわる夜景を目で追いながら、着いたらなんてメールをしようかと、指は、ポケットに入れた携帯の表面を、ただ、なぞっていた。


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散文で俺得もいいとこだけど
もっとまとまりのある文章を書けるようになりたい
半年かかってようやくエイジがわかってきた。気がする
突き詰めて考えるとエイ雄が正史すぎて泣けてきた


(2010.0123)