東京の寒さは青森のそれとちがうのだと、上京して知った。実家のそれは、ひどかったけれど家族と木の家に囲まれたやわらかに深く染みこむような冷たさで、東京のそれは、硬いコンクリートごと鷲掴むような、直接的な暴力だ。

冬は小さい頃から好きだったけれど東京に来てからすこしばかり憂鬱になった。道をゆく人たちはおっかない顔をして、亀みたいに首をすくめて歩いているし、おばあちゃんのつくってくれるあたたかなおでんもない。肺に染みこむような透き通った空気が好きだった。今いる場所でおなじことをすれば、排気ガスの匂いがする。

どうにも耐えられそうになくて正月、実家からもどったあとにガスストーブを買って部屋の隅に置いた。ガスの栓は台所の近くにしかなかったし、ごうごうと熱風の皮膚にたたきつけられるのは、マンガを描くには気が散った。

そういうわけで、買ったはいいもののほとんど点けることはない。机に向かっているのにわざわざ、スイッチを押しに行くのもめんどうくさい。

(…でも、今日はほんとに寒いです。けど今いいとこだからつけに行くのもめんどくさいですし、ううーん、)

ぐるぐる悩みながらぐるぐるの線を引く。うずまき、うずまき型のモンスターとかいいですスプラッシュです。ぐるぐる、ぐるぐ、

(あ、)

気がつけばボウボウと、斜めうしろから煽られる感触がある。ストーブはいつのまにか点いていた。勝手につくはずがないからと振り返れば、雄二郎さんが立っていた。いつも突然現れる。今日はちょっと、あきれたような顔。なにか怒られるかな。めんどうだな。背後の机に伸ばした手でのろのろとオーディオを切る。切らないといい顔しないから。途端に静けさの広がった部屋、雄二郎さんが口をひらく。

「新妻くん、ストーブくらいつけなよね、風邪引かれると俺も困るからさ、…な?」
「はあ、すみません」
「原稿えーと、ああ、これかな? 全部ある?」
「はい」

つづき描きたい、早く帰んないかな、思いながら、床に座って一枚一枚確認していく雄二郎さんをぼんやり眺める。チェックはいつもてきとうだ。たまに直しが入るけど、大体は僕の描いたとおりに載せるから気楽といえば気楽だった。そろそろ読みきり最後のページにたどりつく。たまに小さく笑いながら読んでいた雄二郎さんは、なぜかラストに近づくにつれ、その速度をゆるめた。(もしかしておもしろくないです? 僕は結構気に入った話ですけど)

すこしばかり気になって見ているとふっと、雄二郎さんが顔を上げる。一度、二度、泳いだ目はようやく僕を見上げ、そうして言った。

「新妻くん、お腹、減ってない?」
「? へってません」
「そっか、じゃあえー、と、なんか足りないものとかない? そう、トーンとか!」
「困ってないです」
「うーん、だったら、ええー、と、」

ぼりぼり、もさもさの頭かきながらなにか悩んでいる。めずらしい。あんまり考えたりしない人だと思ってた。

「どうしたですか雄二郎さん、今日ヘンですよ」
「えっ! そ、そうかな、」
「ハイ」
「いや、その…、新妻くんのお母さんがね、正月に帰ってきたときどうも元気がなかったようだから、って」

結局よくわかんなかったからとりあえず、これ。鞄と一緒に床に置かれていたビニル袋、ぐっと僕に差し出す。白い袋から透けて見える赤、のぞく小さなヘタ。林檎。思わず笑ってしまった。

「! なんで笑うの!」
「…この前実家で詰め込まれるようにして食べてきたところだったですから」
「ええっ! じ、じゃあ、持って帰って俺家で、」
「イエもらいます」

がし。ビニル袋の持ち手つかんでぎゅうと、引くとついでに雄二郎さんまで釣れた。膝ついてうあ、短くうめく。慌てるようすは年上なのにちょっと、かわいかった。パッと離された袋をとって、いくつかある中からひとつ、取り出す。鮮烈の赤。ずっしりとした重みと匂い立つような酸っぱさ。慣れた香りとはすこしちがうけれど、食欲をぎゅっとつかむような、そんな匂い。あかい匂い。

「雄二郎さん皮剥いてください」
「…俺そういうの下手だから、中身、半分くらいになるけどいい?」
「はい、いいです」

あきらめたような顔で林檎を受け取り、雄二郎さんは台所に立った。包丁を持つ手はたどたどしかった。

さっきよりぐっとあたたかくなった室内はストーブのためか、それとも人肌のためかしらない。

そうして雄二郎さんは冗談抜きに不器用だった。うさぎとして紹介された林檎はどうみても、僕にはじゃがいもにしかみえなかった。僕はきっと今よりずっと、この人を好きになる、そんな予感がした。やわらかな酸味は心地よく喉に香って染みた。


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3と6の日続行中 笑
これかなりエイジ率高くない?
と自分では思っているんだがよくわからん
とりあえずエイ雄が楽しい


(2010.0126)