ほわん、立ち上がる湯気はドア閉めてさえぎり、ふうとため息をついた。それから替えの服を取りに行ってやろうと思い当たり、洗面所を出る。

廊下またいで新妻くんの部屋に入ると、久々に足踏み入れたその空間は最後にみたときよりもっとずっと、なんていうか威力を、増していた。目玉飛び出た人形、逆回転の時計、波打つコミックスの海、飛び散った羽根、もう、新妻ワールドすぎてなにも、いえない。(年末に、大掃除だってお尻たたいて、ちょっとは掃除、させたはずだったんだけどな…この子はいったいどこからこんな不思議グッズを買ってくるのだろうか…)かなしくなってきた。

アシスタントがいなかったのはほんの二週間程度だが、このありさまだ。ゴミ箱からは大量にあふれだし床を侵食しみずからもそれに迎合して、なんと一週間近く風呂に入っていなかった。油断していたら食事もろくにとっていなかったらしく、聞けば一日一食とれば多い方という返事。原稿だけは滞ることなかったが、日常生活が破綻した。(今なら素直にいえそうな気がする、中井くん、福田くん、ありがとう。…なぜだろう涙が出てきた)

とにかく持ってきた食事を与えて食べているあいだに居間をいくらか整理して、箸を置いた途端に風呂につっこんだ。本当に手のかかる子どもと、思いながらてきとうな部屋着をあさっているとふと、目が留まった。ぐしゃぐしゃのベッドの上、壁に立てかけられたコルクボード。通称だいじなことボード。これは忘れたらいけないということ、メモして乱雑に画鋲でとめてあるボード。前からごちゃごちゃと埋まっていたけれどいつの間にか、画面が紙で埋まっている。どれどれなにが増えたのかとスプリングに膝つき、のぞきこんでみた。

「何月何日、○○発売」コミックスの発売日のようだ。「三月二十日、卒ぎょう式。ぜんいん出席」そういえば仕事で行ってやれなかった。「ぬぬぬむぬ」なんだろうこれ。特別大事なメモには花丸がついている。その中の一枚にふと、気がついた。これ、新妻くんの字じゃない。「明日また来る」見覚えがあるなと思っていればそれは、そういえば僕が書いたものだった。そうだたしかこの前、膝枕していたら眠ってしまった新妻くんに書き残していったのだ。夜になっても目を覚まさなかったから夕食だけ用意して。そうだった。

あ、と気がついた。しまったその次の日は福田くんと急な打ち合わせが入って、また来ると書いたのに僕ときたらすぽーんと忘れていたのだ。(これだから吉田さんに、頭の体積はでかいくせに入るものが少ないなどとバカにされるのだ。反論の言葉さえみつからない!)バカな僕のことば信じて新妻くんがこのボードに貼り付け、わくわくと花丸つけたのかと思うとどうにもいたたまれなくなった。

「雄二郎さん? どうかしたです?」

突然話しかけられバッと、振り返って僕は悲鳴じみた声を上げた。

「新妻くん! 水!」

びしょ濡れはだかんぼう将軍、人の罪悪感なんて吹っ飛ばす勢いでボタボタと床に水溜りつくっている。きみはバスタオルという文化をなんだとおもっているのと小一時間、説教してやりたい気分だがそんなことをしていたら風邪を引いてしまう。ああ、もう!

「バスタオル! なんのために置いといたとおもってるの拭いてきなさい!」
「バシャーン! お風呂ひさびさできもちーです!」
「わかったわかったからほら!」

嬉しそうにキャッキャするはだかんぼ、ぐいぐいと濡れた背を両手で押して洗面所まで逆もどり。洗濯機の上バスタオル取り、わしわしと、もしゃもしゃと、びしょびしょの子ども包み込む。水滴をぬぐってやりながらふと気づいた。(…ちょっと、背が、伸びたかな?)そんなこと考えながらまじまじと見つめる僕に新妻くんが首をかしげる。

「拭いてくれないです?」
「っ! じ、自分でやってよそれくらい!」

ぐいと、タオルを押し付けると渋々、といった体で新妻くんは水気を拭いはじめる。なんだか妙に気恥ずかしくて、僕はそっと背を向けた。すると正面の鏡越しに目が合う。ぎゅっと瞑った。背後では小さく笑う声が、聞こえた。むっとして、わざとお腹のあたり狙って着替えを突き出したのに、新妻くんは器用に避けたようだった。洗面所の攻防、一回りも年上の僕はあっけなく少年に負けた。(すごく、切ない)

「…新妻くん、」
「ハイ?」
「ごめんね」
「…なにがです?」
「うん、なんでもない」

そうですか、いつものようにうなずいて、新妻くんはぽつりと言った。いつ、明日がくるのかなっておもってました。

はっとして僕はふりかえり、両手を伸ばしてぎゅうと、抱き締めた。骨ばった身体、きつく力をこめると以前なら壊してしまいそうだったのに、いつの間にか一回り大きくなってしっかりとして、もう、彼も子どもではないのだとようやく僕は知った。新妻くんは苦しいですよと言ったが、ゆるめる気にはなれなかった。そのうち諦めたのか僕の背に手を回して、濡れた髪を僕の肩に押し付けた。なんだか新妻くんの涙のようで胸が、痛くなった。

今日はあったかい料理を、ふたりで、食べよう。


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ものすごく水面下だけど、ものすごくエイ雄波がきてる
ようやくエイ雄に追いついた、みたいになってる。私遅すぎた
やばいエイ雄やばいエイ雄まじやばい。さて何回エイ雄といったでしょう


(2010.0212)