いつから大人になるのかな。最近よく考える。

成人式はこの前済ませた。おばあちゃんが熱心に着せたがった紋付袴はすうすうしてそのくせ動きづらくて式典のあいだ座っていただけで肩が凝ってしまった。

お酒も飲んでみた。赤ワインはひとくち飲むと身体の中に異物が入り込んだかんじがして、胃の中がぐらりと揺れて後味わるく、おいしくなかった。

煙草も買ってみたけどたぶん怒られると思うし興味ないから吸いはしない。箱がカッコよかったので中身は平丸先生にあげて外箱だけ部屋の棚に飾った。

二十歳になると年金だか税金だかを払わないといけなくなるらしいがそういったものは雄二郎さんが勝手におさめているから僕はよく知らない。

小さい頃、二十歳になったらその日を境に大人になるものだと思っていた。でも十九の僕と二十の僕を比べてもどう変わったのかわからない。そもそも大人がなんなのかよくわからない。


雄二郎さんは僕を子どもだという。だからレンアイのタイショウにはならないよ、いつだってそう言って僕を遠ざける。好きだとおもうのに。すくなくともマンガの次くらいに好きだとおもうのに。

だったら大人ってなんなんだろう。いつになったら僕はレンアイのタイショウになれるんだろう。そう思って身近な大人を観察してみた。哲さんはナチュラルの打ち合わせでうちにやってくる雄二郎さん以外の唯一の大人だ。僕より十歳以上年上。きっとなにか学べると思ってじっと見てみた。髭を剃った痕がある。よく見ると右顎がすこしだけ切れていたから今朝は時間がなかったのかもしれない。髭が生えたら大人? なんだかちがう気がする。雄二郎さんも生えるけど薄いし。

新妻くんどうかしたのかいと聞かれた。なんでもないです。答えてまたじっと見ていると哲さんはいつになく居たたまれないようすで打ち合わせを切り上げ、帰り支度を始めた。ワイシャツの上にモッズコート。服だろうか。スウェットがだめなんだろうか。見下ろしてみるけれどそれもちがう気がする。だって真新しい紋付袴を着た僕はどう見ても馬子にも衣装で、とても大人という風にはみえなかったからだ。

携帯が鳴る。哲さんは僕に背を向けて通話に出た。雄二郎さんらしい。僕と話すときよりいくらかくだけた雰囲気は、ちょっとだけ、いやだなと思った。会話を終えた哲さんが振り返る。「雄二郎さん今から来るって」その一言で機嫌がよくなってしまう僕は、たぶん、そういうところが子どもなんだろうなとそれはわかった。同時に僕に電話すればいいのにと思う、そんなところも。


雄二郎さんは今から来ると言ったわりに着いたのが遅かった。電話はたしか七時頃だったのに、居間のドアが開かれたのは終電も間際のことだった。なにかあったです? 尋ねるまでもなく理由は知れた。雄二郎さんは飲むとすぐ赤くなる。あと普段の三倍口が軽くなる。ヘイシさんに捕まっちゃってさあ、上機嫌で話す雄二郎さんはドッカとフローリングに座り、散らばっていた原稿を集め出した。そんな状態で読んだってろくにチェックもなにもできないだろうに、たぶん酔っぱらいだからそれも頭が回っていないんだと思う。これが大人なんだろうか。見詰めていると、とろんとした目がふにゃりと笑う。

「にいづまくん?」

僕はイスから下りて、完成した白黒のあいだに膝をついた。原稿を集めていた雄二郎さんが首をかしげる。その顎に手を伸ばして触れてみた。うひゃ! 僕の指はすこし冷たかったのだろう、雄二郎さんがヘンな声を上げて腰を引くけれど離さなかった。親指で数度なぞるとようやく気持ち程度、皮膚に埋まったその毛先は感じられた。くすぐったいよ、雄二郎さんがくつくつと笑う。今日の服装はTシャツにジャケット。哲さんとくらべたら、まだお兄さんというかんじがする。これが大人? 顔をぐいと寄せてのぞきこんでみても、僕とそんなにちがうようにはみえない。でも、見えないだけなのかも。そうおもってキスしてみた。熱い唇のあいだに舌を差し込んでみると、そこからむっとしたお酒の匂いが僕の口にまで広がった。くらりとした、と思ったら本当に僕の身体が傾いていたのだった。雄二郎さんの手で引き剥がされていた。ゼエ、ハアと肩で息をした雄二郎さんの目はもう酔ってなどいない。

「な、ななな、なにするの新妻くん!」
「なにって、キスです」
「いやそういうことを聞いてるんじゃなくて! な、なんでしたの! ていうかちょっと待てよもしかして初めて!? お、お、お、おれなんかとしてどーすんの!!」
「落ち着いてください」
「なに言ってるんだい落ち着いてるよ、ぼ、僕だってちゃんとした大人なんだいやそれはいいでも君は未来ある若者でだな、」

雄二郎さんはしばらくもごもごと頭の中の混乱をすべて口から垂れ流していたけれどやがて本当に落ち着いたのか、すっかり焦点のはっきりとした目で僕にたずねた。どうしてあんなことしたの。大人になれるかと思ったです。僕が答えるとため息をつく。

「キスすることが大人ってことじゃないよ、新妻くん。だってほら…そうだなたとえば犬やネコだってするだろう、」
「でもお酒くさいの移ったら僕も大人になれるかとおもったです」
「…それは、なんていうかもっと、あれだなあ、」

困った眉がハの字になる。これが手のかかる子どもを見るときの表情だということはよく知っていた。知っていたからむかついた。むかついたから突き飛ばした。床に肩の当たった音がする。いだ、と漏れたつぶやきも聞こえたけれどかまわず馬乗りになる。握力測定は高校のクラスでも強かった方で、雄二郎さんは頭以外は酔っていたから押さえつけるのはむずかしくなかった。なにするの、両手首フローリングに留められた雄二郎さんが僕を睨む。いつから大人ですか、僕の声はなんだか、怒っているというよりむしろ困り果てたのを絞り出したように聞こえた。雄二郎さんは数度まばたいて、それから呆れた顔でいう。

「なに言ってるの、新妻くんはいつまで経っても子どもだよ」
「! どうしてですか!」
「だって、俺より年上にはなれないだろ」

あまりにあっけらかんと言うので僕はますますむっとした。じゃあいつまで経ってもレンアイタイショウになれないってことですか! たたきつけると、怒鳴らないでよと雄二郎さんの間延びした声が不機嫌にうったえる。こんな体勢なのにこれっぽっちも怯えたりしないのは僕が子どもなせいだろうかと思うと、ひどくしてやりたい衝動に駆られたが反対に引き止める声もあった。僕の視力は顔色と反対に青白い両の手のひらに気づいてしまったのだ。強く握り締めたせいできっと血の流れが止まっている。雄二郎さんは言わないけれど痛いはずだ。もっと乱暴したら、きっともっと痛い。そう思うと握り締める力は自然と弱まった。雄二郎さんはきょとんとする。

「新妻くん?」

すみません、あやまって手首を解いた。元に戻った血の流れをさすりながら雄二郎さんは目を伏せる。

「…あのさ、僕じぶんで言うのもあれだけどけっこう無神経だからさ、…だから、僕のことむかつくならさ、べつに、殴ったっていいんだよ。痛いのはやだけど、でもそれですっきりするなら一、二発くらいさ、僕それくらい、へっちゃらだし」
「殴って、」
「うん?」
「殴ってすっきりして、それで終われるなら、僕もそうするかもしれないですけど、でももっともやもやすると思うので、しません」
「あ、そうなの?」

それはよかった、息を吐く雄二郎さんの頬に触れる。酔いが冷めたのか、今は林檎というより桃みたいな色をしていた。硬い顎とちがってほっぺたはやはり多少やわらかくて、僕のペンだこの指では傷がつくんじゃないかと心配になった。「へっちゃら」ってせりふは、なんだかすごく強がっているように聞こえたから。

ねえいいかげんどいてよ、言われるままに退くと身を起こした雄二郎さんは僕からすこし距離をとって座った。押し倒したときにぶつけた肩をしきりに回したり撫でたりしているので、僕はいけないことをしたなと思った。

湿布いりますか、聞くと、場所どこか知ってるのと笑われた。知らない。そして雄二郎さんは僕が知らないということを知っている。僕が口をつぐむと、かわりにくすくすが部屋にこだまする。今度はむっとしたりしなかった。かわりに肩さする雄二郎さんの手をそっととる。さっき離したときは僕の手の痕まで残っていたが、今はなんの痕跡もない。すこしほっとする半面、僕が酷いことをしたことにかわりはないのだと思った。雄二郎さんは僕が手を伸ばしたら一瞬、手を引っ込めるような仕草をしたから。ごめんなさい、あやまると、最初からやらないでよねと叱られる。ごめんなさい。僕は他にいう言葉をしらない。たぶん、これが子どもということだろう。痛感した。はやくおとなになりたいのに、なりたいと思えば思うほど子どもになっていくような気がする。雄二郎さんがどんどんとおくに行ってしまう気がする。

やわらかく、今度はきちんと加減してその掌を握ると、雄二郎さんはなぜだかとたんに嫌がった。だめだめ、はなして新妻くん、五指が暴れるので目をやると、視線の合った雄二郎さんはまたリンゴ顔にもどっている。

「? どうかしたです?」
「な、なんでもないよ、ほら、ねえはやく、」
「なんでもないなら、握ってたいですけど」
「! じ、じゃあ、なんでも、ある…」
「どういう意味です?」

両手で包んだ、僕よりすこし大きな左手が熱い。こころなしか心拍がはやくなったような気もする。雄二郎さんは、急に風邪でも引いたのだろうか。心配になって顔をのぞきこむとわわわと暴れた雄二郎さんが後ずさる。大事にしていた手も離されてしまった。しきりにわけを問うたら雄二郎さんは目を合わせずとぎれとぎれ言う。

「なんか、そういう風に、されると、ホントに好かれているような、気が、する」

いやあの、気だけだけど! ほんとだよ! 左手首を隠すように右手で覆う雄二郎さんはなんだか可愛く見えた。

イエ僕はずっとホントのつもりでしたけど、でも、もしかしてこれが好きってことなのかもしれない。今まではただ、認めてほしい気持ちしかなかった。今は、すこし、かわっている。僕はすこしだけ、大人に近づけたのだろうか。そうだったら、いいとおもう。

立ち上がって部屋を見回す。僕の家なのだからきっと湿布もじぶんで見つけられるとおもう。探し始めると雄二郎さんが口を出そうとしたので、自力で頑張りますととめた。とりあえずあの引出しがあやしい。捜索隊、出動。


ねえところで新妻くん初めてだった? 聞いてくるのでなにがですと振り向けば、視線をさまよわせた雄二郎さんは小さな声でなんだか恥ずかしそうに、キス、という。初めてだったといえば、この大人はどんな顔をするだろうか。僕はやっぱりちょっとだけ意地悪な気持ちになって、答えてやった。



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お読みいただきありがとうございました。

(2011.0220)