(そう、いろんな意味で)


「あ、雄二郎さんもう帰るです?」
「ん? ああ、そろそ」
「あ、ちょっと待ってくださいね」

そう言って俺を止めなぜかオーディオのリモコンを持ち上げ、新妻くんはビシリ腕を伸ばしてピ! 起こされた対のオーディオが鮮やかな音を生む。えどういうことなに? 思っていると新妻くんは振り返り、口元ゆるませニッと笑った。

頭に疑問符、しばらく浮かべて待っているとくるり、作業机に向き直った新妻くんは黙って鉛筆を持ち上げまた、サカサカと描きはじめる。

勝手に帰れということなのかと思って床に置いた鞄を持ち上げると気配察した新妻くん、背を向けたまま、大きな声で、

「あっ! 帰るときはひとこと言ってから、帰ってくださいね!」

騒音を負かす声量明るく、僕の耳をたたく。しかたなく僕はフローリング踏みしめ腹にぐっと力をこめた。

「俺もう帰るからね!」
「えー? なんですか聞こえません!」
「っちょ、に、新妻くん! お れ も う か え る か ら !」
「き こ え ま せ ん !」

怒鳴り声の応酬、じれて福田くんの席から大股歩き、先生の肩右手でつかむ。

「か え る か ら ね !」

けれども少年はまた、聞こえないふりをする。にぎやかに合わせて鼻歌うたいながらスケッチブックに鉛筆を走らせていた。困り果ててつぶやきがもれる。

「もうほんと、終電なくなっちゃうからさ…」
「泊まればいいじゃないですか」
「!聞こえてるじゃないか!」
「あ、ばれました」

失敗です。スケッチブックながめたままちっとも悪びれない表情で新妻くんが言う。ああ、明日が休みだなんてうっかり、もらすんじゃなかった! 後悔してもそもそも後悔というのは後の悔やみであってつまり、先のことはもうどうしようもない。きっと新妻くんは俺が何度帰ると言っても音量を上げるくらいしかしないだろう。腹を決めて新妻くんのとなりにイスを持ってきた。新妻くんはようやく振り返る。

「え雄二郎さん帰らないです?」
「ああ、今日もね」
「ふーん、そうですか」

だれのせいだとおもってるの、心の中で問うた瞬間新妻くんは、まるで聞こえたみたいににこっと笑った。帰らないで欲しいといつの日か、無言でかわいいわがままを言ったあの無垢な少年はいったいどこへ行ったのか。今はうれしげに夕飯は雄二郎さんのハンバーグがいいですなどと抜かしている。

(ああもう、帰れない)



++++
音のない部屋から半年後くらい
ところどころ流用してみました


(2009.0921)