吹きつけ、刺すように、雨、身を叩く。ひどい降り様だった。電車を降り駅を出ても変わらぬ空模様にため息をつく。すこしでも小雨になるのを待ち立つ仕事帰りの人々のあいだ縫って、駅の軒のとぎれる境、僕はビニール傘を開いた。ミシリ、傘骨が鳴り腕まで揺らす。意を決し、僕はコンクリートの海に歩き出した。

伊豆諸島沖で発生した台風が上陸の見込み、NHKが冷静に告げるのを聞いたのは印刷所帰りの、立ち食い蕎麦屋でのことだった。それからほんの数時間、昼は大人しい薄曇りだったというのに予告どおり雨は、風を伴ってやって来た。

アスファルトは川の筋をつくり行き交う車はいそがしくワイパーを揺らし水を弾いてゆく。歩道には点々と、風にむしられた緑葉が散っていた。駅から、自宅のマンションまでは十五分。途中、潰れた煙草屋の前までは、その、半分。普段ならそこで待ち合わせをするのが、僕と福田くんの、暗黙の了解だった。木曜の夕方五時前後、そこでなんとはなしに出会いすこし世間話をしてどちらからともなく歩き出し、僕の部屋でご飯を食べてだらだらテレビを見て、お風呂に入って寝る。いつからか定着した習慣だった。

しかしさすがに、今日はいないだろう、早める足とともに風もどんどん強まった。逆風を切って傘を支えながらゆく。本当は、今日は来ちゃだめといえたらよかったのにこんな日に限って充電器に挿したまま、携帯を居間に忘れた僕だ。ああ、失敗した。

郵便局の角を曲がって、直線を急ぐ。雨がひどくて、数百メートル先はまだ、見えない。あの滝のむこうに福田くんはいるだろうか。(いたら、どうしよう)霞のような期待と押し潰すような不安、身のうちに抱えながら僕は急いた。

煙草屋までの距離を縮めるに連れ、不安は、高まった。申し訳程度の軒下に、折れたビニール傘を広げるあのシルエットは、まさか、いや、そんな。土砂降りなのに喉が渇いていく。もう急ぐとかそういう速度ではなかった、僕は走っていた。ジーンズの裾はもう膝までびしょびしょで、傘を持つ手は冷え切っていたけれど、雨の中を全力で、泳いでいた。

息を切らして、走りきった先、彼は本当に、待っていた。

「・・・福田、くん」


猫科のように切れ長の目が、ゆっくりと、ふりむき僕を、捉える。そしてキッと、つりあがった。

「遅いっすよ、雄二郎さん」

どれだけ待ったとおもってんすか、とげとげしい文句。なんだかつい、笑いそうになった。(そんなに長いこと、待ってたの? 福田くん)

「ごめんね、まさかいると思わなかった」
「・・・・雄二郎さんのメシでも、コンビニ食よりはいくらかマシなんで」
「うん今日は福田くんの好きなものたくさんつくるね」
「まじすか」
「うん」

よろこびなんて一片も見せないように、福田くんは唇を結んだままだけれどその目はごまかしきれていない。もうすぐ一年の付き合いになる。それくらいは見てとれた。そしてそんなかわいいところがわかるのは僕くらいにちがいないと、僕は勝手な優越に浸るのだ。

にやける口元に気づかれないように、僕はずぶ濡れの鞄を軒下に置いて革のキーケースを取り出した。鉛色をひとつ、手にとって渡す。

「これ、僕んちのだから」
「え、」
「またこんなことになったら困るだろ、持っといてよ」
「・・・あ、そう、すか」

とまどいがちに鍵を受け取り、赤子の手をにぎるように何度かそっと、にぎり返してそれから福田くんは、すこし、うれしそうな顔をした。なんだか僕はひどく愛おしくなって、腕を伸ばした。水滴が頭を打ち肩に侵食し、うしろではカタンカタンと、放られた傘が落ちる音がした。福田くんはうわ、なにやってんすかと身を強張らせたが唇をふさいで黙らせるともうなにもいわなくなった。いえなくなった。

土砂降りの中、僕と彼の姿はきっと、だれにも見えない。



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台風きちゃいましたね
みなさんお気をつけくださいね


(2009.0831)