@
吉田氏が好きだ。だから蒼樹さんが好きだ。もどかしい矛盾。吉田氏が好きだから蒼樹さんを好きだと言う。彼女の細かな情報を得意げにつきつける吉田氏の顔が好きだから。…そのあとすこしだけくしゃり歪む吉田氏の顔が、――好きだから。

A
落としたふりをしてコップを割ったのは、わざとだ。大丈夫ですか! 平丸くんが俺の手のひらをつかむ。朱が伝った。大丈夫だよ、間近で答えると平丸くんは一瞬うろたえ、それから救急箱に走った。残されひとり苦笑する。(手を出してくれれば、よかったのに)いやらしい期待に赤らむ血が、指を伝った。

B
編集だから手先はそこそこ器用なのにどうも料理だけは下手で、しかし上手に見えるように必死に取り繕うおかげでよく指に怪我をしているがなんとかそれを隠そうとする。愛おしい僕の恋人。(…痛々しい手を見ていたらなんだかケチャップが別のものに見えてきたではありませんか! 恐怖!)

C
自分勝手で強引で嘘つきで高慢ちきですぐ僕の上に立ちたがりすこしでも反逆の意思を見せれば即座に鉄槌を食らわす。愛おしい僕の恋人。(本気で反抗したときだけおとなしく押し倒されてくれるのは、ねえどうしてですか?)「吉田氏、本当は期待しているんでしょう」

D
廊下からもどると平丸くんは眉根、微かに不快を示した。きっと奥さんに電話をしたのが気に入らない。気づかなかったふりをして原稿はどうだいと聞いた。恨みがましい目は、担当への怒りでなく顔も知らない女への嫉妬に満ちている。(『妻』が本当は君のその顔を見るための嘘だと言ったら、どうする?)

E
真面目に切ってくださいよと振り返ると、ハサミを構えた吉田氏はニコニコ笑ってうんとうなずく。そうして伸びた髪に鉄の刃を通す瞬間言うのだ。「ねえいっそ、わざとヘンに切ってどこにも行けないしてみようか、平丸くん」(僕が本気で否定の言葉を口にしないことを、知っているくせに) ジャキリ。

F
肩にくいこむ腕を抱え直すと、吉田氏は酒臭い息で言った。「だいたいさあ、俺と平丸くんがデキてるなんて、下種のかんぐりもいいとこだよなあ」静かな夜道にやけにしんみりとその言葉が響いたのは、どうしてだろう。それは吉田氏の、あるいは希望だったのかもしれなかった。(そうだったら、いいのに)

G
孕めばいいと思ってやってます。煙草に火をつけながらしれっとした顔で男は言った。勘弁してよ、後始末が大変なの俺なんだからと言いながら本当は男よりも俺の方がよっぽどそう思っていたに、違いなかった。(なんで泣きたいときに限って手とか繋ぐの平丸くん)「やめてよ恋人どうしみたいじゃないか」

H
ファンレターの名前に目を通し時々女性のそれを見つけては、作者はそれは嬉しそうに開封して読む。少ない女性からの手紙が終わると、同性のそれに目を移す。「読み終わったら仕事してよね」それは彼に何度も手紙を書こうとして、けれどまだ一度も書けずにいる俺の、せいいっぱいの妨害工作だった。

I
病院の帰り道寒いと言ったらマフラーもコートも僕に押し付けてくしゃみをしながら、吉田氏はコンビニの袋を持ち直した。風邪引いてすみません。謝ると、風邪引かせてごめん、可笑しいくらいに真剣な顔で氏は謝った。熱にふらついているのは僕なのに、なぜだか吉田氏の方が泣き出しそうな顔をしていた。


(2010.1019)twitter 140字の平吉まとめ