注意→反転(なんでも読む人向け)

@a : 本人には決していえないが、僕は吉田氏と出会ってようやく四季を得たのだと思う。花粉症対策とマスクを無理やり押し付けられて描く、春。扇風機に揺れる前髪留めながら描く、夏。背後でうたた寝する吉田氏を横目で眺めながら描く、秋。寒くない? たびたび吉田氏に手を握られながら描く、冬。

@b : 毎日を描いて過ごした。それはつまり、毎日を吉田氏と共に過ごしたということだ。めまぐるしい一年だった。僕の二十七年間でおそらく最も内容の濃い時間だった。季節がひとめぐりして吉田氏は僕に言った。「二年目もよろしくね平丸くん」なぜだか僕はぼろぼろ泣いた。

@c : この先も僕らはずっと一緒にいるかもしれない、たかだか職業間でつながった不確定な関係がひどく、幸福に思えた。次の一年は、もっと鮮やかになるようなそんな予感がした。

@d : 「今年も僕が担当だから」そう告げると、きっと嫌そうな顔をするだろうと思っていた漫画家はなぜかぼろぼろと泣いた。驚いた。なぜだか俺にまで移って、泣きたいような気持ちになった。たかが漫画家と編集、脆い肩書きだけれど、この肩書きを守るためならなんだってできるような、そんな気に、なった。

+++

A「またね、平丸くん」吉田氏はいつだってそう言って部屋を出て行く。「また」がいつなのかは告げない。明日か、明後日か、と思えば忘れ物だと言って5分後に戻ってきたりもする。そんな勝手な男を、決して僕は待ち遠しく思っていたりなど、しないのだ。(決して、断じて、絶対に! …本当ですよ!)

+++

Ba : 働くのが苦痛で、生きていくのが嫌になって漫画家を始めた。今度は息をするのが苦痛になった。同じ空気を吸うたび、彼の酸素になるはずだった気体が胸に溜まって息が苦しい。労働より苦痛な恋があるのだとは、転職して初めて知った。(それでも、出会わなきゃよかったとは、なぜか、思わない)

Bb : はんたいに、僕の酸素になるはずだった空気が彼の腹の底に溜まって、すこしでも僕の気持ちが伝わればいいのに、息苦しい四畳半、そんな、くだらないことを考えながら筆ペンを手に取った。(…大きい家にでも、引っ越そうかな)何も知らない吉田氏は、背後でのん気にあくびをしていた。(…鈍感)

+++

C思えば最初から罠にかかったのは俺の方だったのだと思う。俺がいないと満足に料理ができないのも、掃除がへたくそなのも、シャツがしわくちゃなのも、全部、対吉田幸司用の罠だったとしか思えない。そうして罠にかかった俺は、悔しくて、苛立たしくて、そうして彼が愛おしくてたまらないのだ。

D軟禁状態に置いて一月が経つ。驚くことに平丸くんはさして抵抗を見せない。もう一月経つ。俺を無言で見つめるのが増えた。さらに一月経つ。居間が片付いて俺の部屋になった。次の一月。そういえばもうしばらく俺はこの家を出ていないのに気づいた。(あれ?軟禁されていたのはどっちだっけ?)

E見たこともない桁の通帳を見た時本当は、これだけあれば吉田氏を幸せにしてやれるだろうかと思った。けれど間違いだった。吉田氏が僕の描いた漫画を読んだときに見せる本当に、嬉しそうな顔、あの顔にはどんな贈り物だって届かないのだと知って僕はそっと、通帳をとじた。漫画が少し、好きになった。

F本当は知っていた、吉田氏が既婚なんかじゃないこと。吉田氏の言う「妻」は僕の理性のための防波堤であること。漫画家としての僕の立場を守るための嘘だと、とっくに気づいていた。(だって吉田氏はあれでいて、わかりやすいから)いじらしい編集に、だから今日も僕は聞くのだ。「奥さんお元気ですか」

G冷戦状態が続いていた。一度持ちかけた告白という名の調停案は未だ返答無し、ただの作家と編集を装った日々が過ぎる。そうして雪解けの季、吉田氏はぽつりと言った。「俺もかも」思わず手を握り締めると、吉田氏は一瞬眉根を寄せたが、けれど僕が口付けるのを黙って見過ごした。友好条約、本日締結。

Hいくつも嘘の季節が過ぎた。漫画家と編集、肩書きを偽った季節。険悪な二人、関係を偽った季節。好きなわけあるものか、感情を偽った季節。いくつも通りすぎてある春の日、ぽつり、口からこぼれ出た。「好きですよ、吉田氏」目を見開いたあと、「…嘘つき」笑って、それから吉田氏ははらはらと泣いた。

Iいつからだっただろう。吉田氏の口をつけたコップを使えなくなった。使うと怒られたし、それに恥ずかしかったから。どうしてだっただろう。数年後にはそれができるようになった。ココアをひとくち飲んで僕は理解する。(「あっ、また俺のカップ使っただろ!」怒る吉田氏の顔が、愛おしく思えたからだ)

J「愛とかいりません。性欲だけ満たされればそれでいいです」薄笑いを浮かべながら、剥きだしの背を向けて平丸君は言った。そういう言い方をされると、余計にこの感情が俺の胸に積もってしかたなくなるのを知った上で言った。俺はその感情を愛と呼べない。(けれど一生引きずるだろう)


(2010.1228)twitter 140字の平吉まとめ