ぬるくR18


むっとした室内はまるで、畳さえ汗をかいているようだ。(この時期じゃしょうがないのかもしれないけど)窓の外は夜半を過ぎてもあいかわらずしとしとと降りつづいている。中途半端に始まった夏はじんわりと隙間風に乗って侵入し、ぐんぐんと不快指数を上昇させていた。これじゃせっかくシャワーを浴びてもちっともさっぱりしない。

陰鬱な気分で寝転ぶと枕元がひとすじ光ったように見えて目を向ける。あ、と気が付く。リカちゃん人形のように色素の抜けた茶髪は、白いシーツと枕のあいだによく目立った。一本、指先で引っ張るとどうやら胸までの長さがある。ああ好きそうだなと思いながら布団から身を起こし、畳の隅のゴミ箱に放り投げた。風呂を上がってきた平丸くんがその仕草を見とがめ、なにしてるんですかと濡れた髪拭きながら聞いた。べつに、なんでもないよ、答えなんてほとんど興味ない顔で平丸くんはちいさくうなずき俺の胸をぽんと片手で押した。(畳一枚に布団って結構硬いんだぞ、おまえ知ってるだろうこら家主)

抗議しようかとも思ったがゆるゆると行為が始まってしまったのでけっきょく口をつぐんだ。声を抑えられるものなら最低限抑えたかったのだ。(そりゃ、男のプライドとして。…いややらせてる時点でもうプライドもへったくれもないとはわかっているんだけど)鎖骨に滴り落ちる水滴に背を震わせながら、終わったら髪はちゃんと乾かすよう叱ろう、そう心に留めて目をとじた。


平丸くんは見境がない。あんまりな言い方に聞こえるかもしれないが実際、女に限らず俺のような三十過ぎの男まで手出ししているんだからあながち間違ってもいないと思う。雑な彼は女の痕跡をほとんど隠そうともしない。髪の毛やら、転がるマッチ箱やら、名刺やらで、昨夜の相手はすぐ知れた。ひどいときは共寝しているのを目の当たりにすることもある。興味などなかったが勝手に視界に入るのだから、しかたない。他の女もきっと同じようなことを思うのだろうが、思ったところでどうせキャバクラだの風俗だのにきまっているし、さして気にもしていないだろう、彼女たちの方こそ一夜限りと知っているのだから。

そういえば平丸くんはなぜ飽きもせず俺を抱くのだろう、と考えることもあった。硬いしゴツイし背は高いくせに声は低い。俺が同じ立場なら勃たない。なぜだ。金がないからかと思ったがそうでもないだろう。だって俺は彼本人よりも彼の預金通帳を把握しているのだから、女に呆けてもそろそろ食うに困らない額がそこに記載されているのは知っていた。店まで行くのが面倒なのか。奴が女への努力を怠るなど想像がつかない。実はホモなのか。しかし俺以外の男は見たことがない。なぜだ。平丸よなぜだ。

ぐるぐるぐるり考えていると唐突に、覆いかぶさった男が動きを止めた。ひたいを伝い頬をおりて俺の頬に落ちる水はもはや湯水だか汗だかわからない。張り付いた黒髪のあいだからぎょろりと不機嫌な眼が見下ろしていた。

「なに考えてるんです、失礼ですよ吉田氏」
「なんでもないよ…つづき、すれば」
「萎えるでしょ、そういうの」
「萎えてないじゃない」
「…ことばのあやですけど」

納得しかねる顔で、しかし下半身に逆らえなかったのか渋々と平丸くんは行為を再開しはじめた。俺は考えるのに飽いてただただ揺さぶられるだけの肉片になった。髪を拭けと怒るのを忘れた、と思い出したのは数日後、美容室で顔に白い紙をかぶせられたときだった。そうしてまたわすれた。


四畳半の片隅に除湿用のパックを置いて、水が溜まったのを捨ててまた買って、捨てて、数度くりかえしていつからか加湿器を置くようになり、あんまり冷えるからと今日とうとう作業部屋のカーテンが二重になった。掛け布団を押し付けあって眠っていた俺たちはいつのまにか毛布を奪い合うようになり、最後には結局ぴたりとくっついて眠るようになった。

奴と知り合ってから二度目の冬がくる。最初の冬はこんな爛れた関係になっているとは思わなかったな、隣で満足げに眠る男をちらり盗み見ながらそんなことを考えた。はじまりはたしか喧嘩でもしてその流れで売り言葉買い言葉、気づいたときには痛む腰を抱えて一生涯で一番みっともない格好で風呂に入っていた記憶。それからはこの程度で機嫌がとれるならと妥協した。一度目で吐かなかったこともたぶんハードルを下げた。腰痛とは無駄になかよくなった。

平丸くんはキャバクラだの風俗だのと前ほどせがまないようになった。(すくなくとも足首に噛みつかないていどには、の話だが)かわりにさむいのを理由に仕事帰りの俺の時間を要求することが増えた。僕だって好きで抱いてるわけじゃありませんよ吉田氏、寒いからしかたなく暖をとっているだけです、というのが隣のダメ男の言である。そうかとうなずくとなぜかいつも拗ねた顔をする。(なんなんだ言いたいことがあるならはっきりと言え)

すると俺の思考を感じ取ったのかそれともダメ男という呼称に一言あったのか、眠っていた男がううんと寝返りをうつ。へんな寝方をしたのか首元を手でさすりながらこっちを向いた。よしだし? おきてたんですか、掠れた声とヤニくさい息が間近で俺に問う。一方の俺は寝返りを打ったついでに散った汗の粒にあ、と思い出していた。

「ん…?」
「平丸くん、そうだあのさ、」
「…なんですか」
「風呂上りはちゃんと髪を拭けって、言おうと思ってたんだよね」

半年ぶりに思い出したそれに平丸くんは首をかしげる。今日ちゃんと乾かしましたけど、さむいし。怪訝そうに返ってくることばに薄く笑って、そうだねとうなずいた。

つぎの半年後も、一年後もその先もきっと俺はおなじようなまぬけを繰り返すだろう。そのときとなりにはやはり奴がいるのだろう。確信はなぜかあった。


そういえば最近肩までの長さの黒髪しか見なくなった気がした。



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あくまで好かれてることに気づかない吉田氏ももえる


(2010.1011)