R18 奥さんがログアウト

自分の領分に勝手に踏み込まれるのは嫌いだ。女性だってそうだ、キャバクラでねえねえ、声高に絡んでくる女性も嫌ではないが物静かでしとやかな方が僕は好きだ。

距離を保った友人もかまわない。実際以前は営業職に就いていた僕はそれなりに交友も広く、退社後も未だに飲みに誘ってくる輩もいるにはいる。ただ吉田氏の支配下に置かれた僕がそれに参加できずいるだけなのだ。

そう、ーー吉田氏。それこそがめったにない僕の休日を最悪にぶち壊す存在。現在ヒトの煙草を奪って俺が禁煙しているんだから平丸くんきみも禁煙すべきだ、意味のわからない理屈を押しつけくる僕の担当編集者。おかげで休みだというのに朝から一ミリもニコチンを摂取していない。かわりに肺には苛立ちばかりが溜まる。

だいたい明日から年末休みだと昨日言ったばかりのくせして担当なぜ僕の家にきている。嫌がらせか、嫌がらせなのか。だいたい僕んちの狭い六畳一間に男二人ってそれだけで若干息苦しいんだぞ、用もないのにやってきて一畳を占有し、僕の煙草を手のひらで弄ぶ男をにらみつける。腰から黒い尻尾の生えた男はあからさまに視線にきづいたが機嫌よさそうに笑うだけ、僕は自分の目力のなさに肩を落とすだけ、いつまでつづけていたって不毛だ、そう思い手元の雑誌に目をもどした。

すると今度は僕から雑誌さえ奪おうというのか、半畳ほど距離をとっていた吉田氏が一気に詰めてくる。反射的に本を掴む手に力をこめたが予想外、雑誌が魔手に落ちることはなかった。かわりにこつん、堅い感触が左肩に当たる。振り向くと超至近距離に顔があった。おどろきに雑誌を取り落としそうになり、あわてて持ち直す。吉田氏は僕の肩にあごをのせて誌面に目を落としていた。意識しているせい、吐息の感覚さえ直に伝わって狼狽する。

「六本木デート、大人の夜を、楽しもう?」

ああ来月引っ越すもんねえ、落ち着かない僕の気もしらず、吉田氏は勝手に特集記事を読んでふんふんとうなずいている。カッと腹の底が熱くなった。これだからこの男は気に入らない、僕のパーソナルスペースに土足で踏み込んで微塵も悪びれない、気に入らない、気に入らない!

「吉田氏邪魔です、離れてくださいよ、」

肘を曲げて吉田氏のわき腹を押し返すのに不愉快な男は愉快そうにくすくす笑うだけ、とうとうたまりかねた僕は雑誌を放り、その肩をつかんで乱暴に畳に引き倒した。したたかに頭を打ったらしい音が狭い部屋に反響するが僕は気にしなかった。自分より体格のいい相手の腹に馬乗りになって首元を押さえつける。なにするの平丸くん、後頭部をさすりながらも未だに余裕をくずさない男も日頃整った前髪をぐしゃり、陵辱するとさすがに眉間を寄せ僕を睨み上げた。細い両目にはわずかな苛立ち、焦りがかいま見える。そのとき、僕は出会って初めての満悦を感じている自分に気がついた。不快に煮えるような腹の底からじわじわと、まるで煙のように喉元まで上がってくる感覚、唾を飲み込んで嚥下したが一度芽生えた感情はあとは育つしか逃げ道を持たない。

ぐしゃり、ぐしゃ、一束一束乱雑に、乱してみた。そのたびやめろよやめろ、いちいち怒るさまに満足が抑えられない。乾いたひたいをつうと撫でると吉田氏がびくりと震えた。瞳には初めて恐怖が宿った。僕の内に生まれた感情の名を嗜虐ということにそのとき気がついた。

さんざ、吉田氏に無体を敷いた。気に入らない男が自分の下で顔を歪めて喘ぐ、それは想像以上に僕の支配欲を満たして幸福な気分にさせた。揺さぶっているあいだ罪悪感などなかった。僕の領域に土足で踏み込んできた吉田氏がわるいのだ。ふざけんな、バカやろう、いっしょうけんめいに僕を詰る声はなかなか可愛らしく、ことさらにひどくしてやろうという気持ちにさせられた。溜まっていた性欲を吐き出す頃には吉田氏は肩で息をするのがやっとになっていた。もはや抵抗する力もないらしい、ばからしくなって僕は引き抜き畳に倒れこむようにして眠った。汗やら体液やらでひどい有り様だったが、どうでもよかった。

目覚めると朝が昇りかけていて、僕はぶるりと肩抱いて震えた。冬だというのにほとんどシャツ一枚で眠ってしまっていた。後始末もなにもしなかったせいで多少風邪っぽく、喉がガラガラするし頭も痛い。カッターシャツの前をあわせながらよろよろ身を起こすと吉田氏はもういなかった。当たり前か、あんなことをされたのだから、きっと吉田氏にしてみれば飼い犬に手を噛まれた心持ちだっただろう。ふああ、あくびをしてまたぶるりと震えた瞬間ガラリ、物音がして顔を上げると吉田氏が風呂から出てきたところだった。髪は濡れて首に巻いたタオルを濡らしていたが、服ももうきっちり着込んでいる。一瞬戸惑い、ことばが出てこなかった。すると吉田氏がアハハと笑う。なぜだか胸がざわついた。

「よし、だ、氏? あの、」
「あ、ごめん平丸くんがあんまりまぬけな顔してるからさ」

ついね、頭をガシガシ拭いながら吉田氏はいう。あっけにとられた。昨日犯されたばかりの男が、一晩たつとこんなに回復するものなのか、それともあまりにショックで頭のネジがゆるんだか、どちらにせよ、僕はなんと声をかければいい? 本当は吉田氏の方が悩むはずなのになぜか僕ばかり痛む頭をフル回転させていると冷蔵庫から勝手にミネラルウォーターを取り出して含んだ吉田氏がおもむろに口をひらく。

「ねえ、平丸くん、昨日のことだけど、」
「(!きた――!)」
「俺、痛かったし平丸くん乱暴だし、すっごくつらかったんだよね。もう起きたら背中とかバキッバキでさあ」

お風呂まで這いつくばっちゃったよ、ハハ、かるく言う男にはなぜかまた黒い尻尾がにょきにょきと生えはじめている。…嫌な予感がした。背筋を冷たいものが伝う。悪魔は微笑んで僕に言った。

「責任、取ってよ」
「………!」

(やられた! 僕は飼い主の手を噛んだどころではない、奴の仕掛けた罠に頭から飛び込んでしまったのだ!)

自己嫌悪がようやく押し寄せる。なんであんなことをしてしまった、この男は責任という言葉を濫用し一生涯僕に漫画を描かせるつもりにちがいない! どうりで体格差もあるくせに大人しくやられると思った! だって最初からそれが狙いだったのだから!

恐れおののく僕を見て悪魔は笑う。そして言った。

「責任取って、俺と、付き合ってよ」
「…え?」

自分が、まるで漫画のようにぽかんと間抜けに口を開けるのが見なくともわかった。きいてるの? 平丸くん、吉田氏が不機嫌そうな顔をする。ええ聞いてます、慌ててうなずくと悪魔は満足げに笑って畳に手をつき、すいと身を乗り出して僕のひたいにキスをした。畳に一滴したたり落ちる。

ああ、こまったことになった。吉田氏に付き合えと言われたことじゃない、今になって自分はこの男を好きなのだと気づいてしまったことだ。キャバクラのお姉ちゃんが身を擦り寄せてきてもまだ平気だったのに吉田氏にそうされるとあれほど不愉快な気持ちになったのは、自分の中に踏み込まれるのが嫌だったわけではない、自分が簡単に手出しできる範囲にノコノコ近づいてくるのが苛立たしかっただけなのだ。どうしよう僕は吉田氏が好きだ、どうしよう。

(すぐそばの清潔な身体をもう一度押し倒したら嫌われてしまうだろうか…)


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吉田氏は馬乗りになって前髪ぐしゃぐしゃしたいキャラだから受だ
エロナンカカケヌ

(2010.1231)