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忙しなく追い返せば、口紅を塗り直していた女は唇をへの字に曲げて、他に誰かがいるんでしょう? 媚びるような上目遣い。あいまいに笑ってごまかしその背を押した。玄関を閉めるまぎわ、半裸に外気が触れてひやりと寒い。背を震わせながら寝室にもどり情事の名残をてきとうに結んでゴミ箱に投げる。ぐしゃぐしゃのシャツをまとってボタンもほどほどに留め、ズボンに突っ込んだところでインターフォンが鳴った。そそくさと開錠しながら、口元が意地悪く緩むのを感じた。もしかして彼とさっきの女とは今頃エレベータで会釈でもしている頃かもしれない。皮肉だと思った。集合玄関よりもっと近いインターフォンが響く。

出迎えると吉田氏は顔を合わせるなりむすっと眉根を寄せてみせた。薄い唇はなにか言いたげに動いたがそれも束の間、事務的人間にもどった吉田氏は抱えていた封筒を差し出して仕事の話に移るので鍵をかけて家に上げる。玄関脇の姿見に映った自分の髪はぐしゃぐしゃで、ボタンはふたつも掛け違えていておまけにサスペンダーもヘンテコな位置で、ひどく、滑稽だった。

吉田氏はおきまりのソファに座ると書面を広げて機械のように堅苦しい言葉で話す。四角四面な言葉はまるで喉にワープロでもインストールされているみたいでなんだかおかしい。椅子にもたれてくつくつ笑うとようやく吉田氏は規定外の言葉をつかう。

「…はなし、聞いてる?」
「はは、やだな、聞いてないわけないじゃないですか」
「っ…じゃあ、ちゃんと今言った原稿、用意しておけよ。4コマでまとめるの難しければ僕も相談に乗るから、――平丸くん?」

吉田氏が細い眉を持ち上げる。なに笑ってるのと言いたいんだろう。吉田氏があんまりおかしいので笑っている。だって最初に正面から見たきり吉田氏は頑なに僕を直視しようとしない。(書類があってよかったですね吉田氏、僕を見なくていい口実があって)理由だって手に取るようにわかる。ふらと立ち上がった。僕よりも一回り大きい身体の竦むのはかわいいと思った。たれ目はあいかわらず書類を睨みつけて虚勢を張っているが指先の震えはその紙を伝わってばれている。口実の裏目。

ミニテーブルの横を過ぎてソファの前、ひざまずいて下から見上げると吉田氏は居たたまれないようすでまた目線をそらす。堅い膝に手を置いた。

「ねえ吉田氏どうして今日はこっちを見ないのです」
「! 三十過ぎの男なんか、…じろじろ見て、どうするの」
「セックスしてるあいだはもうやめろっていいながら何度も見上げてくるくせに」
「…下品だよ」

ゆるく下肢に伸ばした手をぴしりと払われる。気にしなかった。二度目はもう拒まれない。ただ唇を引き結んで食いしばるだけだ。紅のない唇はさっきの女よりよほどそそられた。触れると見た目よりよほど体温の高いのも、僕は、好きだった。


寝室にゴムは取りに行かず居間で抱いた。昼過ぎの明るい室内、僕の担当はワープロなんかじゃとうてい打てないような恥ずかしい声を上げて喘ぐ。ベッドまで連れて行かなかったのはわざとだ。そうすれば吉田氏はきっと、女と寝たベッドを見せないためと勝手に思い込んでくれる。本心ではつい先ほどまで女と励んでいた事実を隠す気など微塵もなかった。どうせ体臭に交じった知らぬ香水に気づかれていると思うし、だいたい吉田氏が僕を見ずにいたのは情事の欠片から目をそらしたかったからに違いない。むしろそうでなくてはいけなかった。

吉田氏はけして、僕を好きだとは口にしない。どんなにねだったって酷くしたって、ときに砂を吐くほど甘やかしてみたってそれを言わない。きっと担当だとか常識だとかくだらないものに縛られている。むかつくから吉田氏の来る前はきまって名前も知らない女を抱く。痕跡もろくろく消さない。そうすると吉田氏は今日みたく露骨な嫉妬を示して僕をようやく満足させてくれる。瞳の奥に垣間見える嫌悪を見てやっと愛情が確認できる。

乱暴に突き上げると吉田氏の頬をボロボロと涙が伝った。引きつった声が上がる。痛みのためか快楽のためか、それとも僕のYシャツの裏地に赤い口紅を見たためかは、知らぬ。あ、あ、と頼りなく縋る指が僕にしか伸ばされないことをただ祈る。数十分前の女の感触どころか髪の色さえ、すでに忘れていた。腰を振る。

(本当はわかっている。――マンガ家として、ひとりの人間として僕が大切でたまらないから吉田氏が僕を好きだといわないことなんて、それくらい)

汗が飛び散った。吉田氏は女よりきつく締め付けてくる。中に出してみたって、胸がぎゅうと締め付けられるのは一度もおさまらなかった。


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アニメの「女、金…マンガ」に衝撃を受けて思わず
ひどまる萌えるし

(2011.0319)