※吉田氏がひどいので注意してください※




銀行を出て駅前に行くと、彼女はすでにスターバックスの窓際にかけて俺を待っていた。ガラス越しに目が合うとこくり小首をかしげ長い爪をゆっくりと左右に振る。眩しいほどの赤だった。マフラーを外して店に入り、コーヒーを頼んで隣に座る。やあどうも、人好きするであろう顔を作って話しかければ華やかな笑顔が返された。

女は冬だというのに大きく胸元の開いたXネックのセーターを着てギンガムチェックのマクロミニを履いて座っていた。すらりと伸びた素足におもわず目がいきそうになってスッとその手首に視線を移す。白い手のひらは長い茶髪を手持ち無沙汰にもてあそんでいた。しばらくコーヒーを片手に他愛もない世間話をする。やがて話題は核心に触れた。

平丸先生、お元気ですか? どこかあどけなさを残した女は上目遣いに俺に問うた。(嘘くさい)本心では一蹴して、元気だよと笑い返す。昨日の夜だってやつと一緒にいたくせにわざわざそういう風に尋ねてくる白々しさとまだ幼さを残した面影はミスマッチでいっそ滑稽だった。女はあたかも知らなかったていでそうとうなずいてみせる。バカバカしかった。

懐に手を入れおろしてきたばかりの封筒をポンとテーブルの上に置く。女は封筒の上で何度かマスカラをまばたかせるとやがて俺を見た。どういうことですか、戸惑った声はいつもの嬌声めいた声ではなく、俺はこっちの方が好きだなと思ったが、どうでもいいことだった。俺の返事は簡潔だった。

「平丸くんから手を引いてほしい。アレはさ、ちゃらんぽらんだがあんなんでも一応うちの大切な人材なんだよね。風俗にうつつを抜かされるとこっちもいろいろ困るんだよ」

女は固まっていた。殴られるかな、と思った。あるいは、カフェラテをぶちまけられるかな、とも。しかし女はどちらもしなかった。ただ黙って分厚い封筒を手にとり、そうして去るかと思えばそうもしない。俺に向かってそれをつきだしてみせる。いりません。言葉には一切の迷いがない。もしや女の方も本気になっていたのか、俺は危惧したがそれも一瞬のことだった。

吉田さんのこと好きだったのに。そう言って女は店を出て行った。寒々しいハイヒールの音は店内のジャズよりよほど耳にのこり、しばらくして、消えた。俺は用済みになった封筒をふたたび懐にしまうと二人分のカップを片付け店を後にした。乾いたコンクリートには駅に向かって、まるで足跡のようにそこだけ雨が降っており、ほんのすこしだけ、後悔したが、電車に乗って六本木に向かう頃にはもう、忘れていた。



仕事場に着くと平丸は大胆にも居間のソファでいびきをかいていた。三時にはいくと言っておいたのにいい度胸である。人の置いていったシャツを枕に使いやがって気持ちのわるいやつめ。デコピンで起こしてやる。寝ぼけたバカは俺の手を乱暴に引き倒してきた。スプリングに思い切り沈み込んだうえに体重がのせられぐえとうめく。調子に乗るなと振り返ったところでしかし平丸は不意に横暴を止めた。

「どうしたケダモノ」
「ゴムがないです」
「そうかそんなら働けケダモノ」
「ケダモノケダモノ言わないでくださいよやってる間はむしろ吉田氏のほうが「うるせえ」」

ぶすくれた顔でケダモノが覆いかぶさってくる。首に回された手は体温が低く背筋が冷えたが縋るようにシャツを引っ張ってくるので我慢してやることにした。ついでに腰のあたりに当たっているのも、無視してやることにした。


平丸くんのいいたいことなんて、当然わかっていた。この前したときはいくつか残っていたそれがなくなっていることを俺に気づかせたい。幼稚ないじらしさだ。口で破いてくださいよ、熱心に強張られた記憶はまだ新しく、たしかあのときは二つか三つ残っていた。どうせさっきの女と使ったのだろう。

意に介さないふりをしてのしかかる背をポンとはたく。ねえほらさっさと仕事してよ、うながすが腰は色んな意味で重かった。ため息が出る。俺は言ってやった。

「あのさあ、平丸くん。きみはべつに、俺以外の人と寝たっていっこうかまわないんだよ。なにも好きこのんでこんな男相手に盛らなくたっていいじゃないか」

ピクリ。俺に縋った平丸くんの指が震える。そうしてしばらく黙っていたが、やがて、僕だって男とやる趣味はないですだとか、手近で便利だからやってるだけですとか、いかにもな反論を苦し紛れにくりだしてくるので笑いそうになる。

平丸はなにもかも支配してくれる俺に心底惚れているから俺を抱くのだ。妬いてほしいからキャバクラの女とも関係を持つのだ。それを知っていて勝手にこいつの女を捨てる。そうしてまた寝てもいいなどとそそのかす。歪んでいるだろうか。でもそうすると平丸は俺に絶対気づかれないように泣くのだ。シャツに涙が染みこんでいては気づかれないもへったくれもないが、なんとか俺に悟られまいとして俺の胸に縋りつき泣くのだ。俺はそうされるとひどく満足な気持ちになって、こいつに望まれているのだと思い込むことができた。

もしすべてを知ったら平丸は怒るだろうか。時折り考えるが、しばらくすると、どうでもよくなって、やめる。

ねえ平丸くんたまにはそのままやってもいいよ、告げると男はぐすんと鼻をすすって、スラックスを脱いだ。下半身から脱ぐのはやめろと毎回言っているがきいたためしがない。そういうまぬけなところが、俺は好きだった。

俺は一生自分の悪事を口にすることはないと思う。





+++
こういうのすごい好きなんだよ
ひど吉ってさいこうだよね

(2012.0125)