歩道橋回の日の話/平蒼前提の平丸+吉田




たかをくくっていたのだ。まさか上手くいくとは思っていなかった。しかし奴はいつだって吉田の想像のななめうえをいく。そういうところが好きで、今はただひたすらに腹立たしかった。

ふらつく手でメニューをとり、一番に目についた日本酒をカウンタのむこうにたのむ。となりの山久は吉田さんもうやめときましょうよおと情けない声をだしたがうるさい上司の悪酔いに付き合うのもサラリーマンの宿命だ。目の前で大切な作家の恋路むすばれて今夜は、どうしようもなく酒に飲まれたい気分だった。

そも吉田が平丸におなじ漫画家の蒼樹紅との交流をすすめたのは初め、単なる次週の原稿のためのえさにすぎなかった。「絶対に働きたくない」を信条とする平丸はしかし見目良い蒼樹嬢を気に入っていたから、彼女のささいななにかしらを対価に差し出せばすぐに釣られてホイホイ原稿を描くので楽だった。あんまりかんたんに一本釣りされるので途中おかしくなって、昨日なにを食べたとかそういうどうでもいい情報まで持ち出しそれによろこぶ平丸をかわいいやつめと笑ったこともある。そんなことで平丸の漫画が読めるなら安いものだとおもった。

しかし雲行きはいつごろからかあやしくなってきた。絶対にふりかえりはしないだろうと思っていた蒼樹紅が平丸を気にかけるようになった。電話のさき初めて彼女が態度をやわらげたと聞いたとき胸をかすめた予感はそれからすぐさま不安にかわり、じわじわと焦燥をともなってとうとう今日はちきれた。蒼樹紅は平丸の稚拙な告白にうなずいたのだ。打ちのめされたような気分だった。

どうしてこんな気持ちになるのか山久を無理やり連れてやってきた居酒屋で数時間かんがえたが未だ答えはでない。まさか平丸のことを好きだった? ――ありえない。吉田はゲイではないし結婚だってしているのだ。相手が蒼樹嬢だから?――これ以上ないくらいいいお嬢さんではないか、なにが問題なのだ。なんの問題もない。それなのにああくそ、どうしてこんなにかき乱されたような心持になるのか。

新しくつがれた酒をぐいと煽る。酒は強いほうではないから本当はもうぐだぐだだ。しかし懲りずに飲む。ぼくちょっとトイレ行ってきますけど吉田さん吐いたりしないでくださいよ。…保証はない。またそういうこと言って! ため息つきながら山久が去る。ひとりのこされちびちび飲みながらやはり平丸のことを考えた。

不思議な作家だった。使い方がわからないからとトーンなども用いず送ってきた最初の原稿からしてそうだし、そのあと初めての顔合わせで幸せにしてくださいなどと必死の形相で詰め寄られたときはどうしようかと思った。一緒にはたらき始めてみればネガティブはますます拍車をかけたし、線を一本ひいては働きたくない、休みたいをくりかえす。そのくせ奴の描く漫画はひたすらにおもしろい。大勢の漫画家を担当してきたがこれ以上にたちのわるい作家に当たったためしはない。本当に手のかかる、子どものような男だった。

――ああ、そうだ。平丸はまるで子どものようだった。適度に遊んでやらないと駄々をこねるし、すぐサボるのを叱るとしかしほんのすこしだけ嬉しそうな顔をするし、そして吉田も気が付けば今日は平丸くんがねと我が子の話をするよう毎日妻に奴の話をしては笑われている。俺はもしかしてだからこんな気分になっているのだろうか、思っているととなりに山久がもどってくる気配がする。そういえばやけにトイレの長い男だ、遅いぞとふりかえり吉田は動きをとめた。

平丸が所在なさげに立っている。飲みつぶれた顔の吉田をみるとその顔色はますます青ざめた。おい山久どういうことだ、平丸のうしろにいつのまにかいた部下にきけばお勘定はやっておくんでおとなしく引き取られてくださいねと飄々返される。ついでにお代は明日お願いしますと付け加える抜け目のなさだ。くそ、こんなにしっかりしたサラリーマンに育てたのは誰だ。俺か。ますますちくしょう。

そうこうしているうちに吉田氏立てますかと脇の下に手を入れられている。うるさいと払いのけ立ち上がると思いきりよろめいてあわや店の真ん中で転びそうになった。平丸の手がなんとか支えてしかたなくそのまま世話になる。亀のような歩みで店を出ると平丸は歩けます? タクシーのほうがいいですかと聞いた。どこかで聞いたことある台詞だなと思いながら歩くと答え、それからそれはいつも酔いつぶれた平丸に吉田がいう言葉だと気づいて苦笑した。知らないうちこんなところまで移っているのか子どもめ。

駅に向かう最中平丸はめずらしく無言だった。あるいは潰れた吉田を見るのが初めてで戸惑っているのかもしれなかった。なんとなくささくれだった気分で、なんで来たんだよと吉田からたずねれば呼ばれたからと平丸はいった。

「ふうん、それだけ」
「…吉田氏こそ、なんでこんなになるまで飲んだんですか」

僕と飲むときはこんな風にならないくせに、と拗ねた口ぶりはすこしかわいくて吉田が笑うと、僕のせいですか、平丸が問う。平丸にしては鋭かった。肯定も否定もせず細い肩に回した腕を直す。そうすると平丸がもごもご口ごもるのでなんだとケツをたたく。や、やめてくださいよォと裏返る声がきもちわるい。なんだ平丸、さっさと言え。うながすと平丸はしばらくもじついたあとぽつりと言った。

「吉田氏、ぼくが好きな人と付き合ったらきっと、よろこんでくれるとおもったんですけど」

おもわず足をとめた。つられて肩を貸している平丸もふりかえる。

「吉田氏?」
「…なんでもない」
「なんでもない顏、してないですけど」
「うるさいお前に俺のなにがわかる」

平丸は数度まばたいて、それからふと笑った。見透かされているとその笑みでわかった。さっきまであんなに落ち込んでいたというのに、平丸のたった一言でちくしょう、祝ってやるなどと泣きそうになりながら心底思っている自分はきっと見透かされているにちがいない。だって、しかたがないじゃないか、それではまるで、反対に吉田がなにかよろこんだら平丸もよろこぶからと言っているようなものだ。(というか実際、そうなのだろう)

あんまり嬉しくて、嬉しくて、そうしてとびきり悔しいので、腹の中身をぶちまけてやりたかったが気分はもうだいぶよくてそれは叶わなかった。平丸の細い腕が吉田を支えてあるく。春夜の風はひどくおだやかに吹いている。いい夜だった。



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この二人がきっとずっと好きだ
ふとしたとき考えるといつも泣きそうになる。平吉が好きで本当によかったと思う

(2012.1014)