しっとりとした薄暗さの中、息を潜めていた。三つ折り布団の上体育座り、頭をぶつけないよう気をつけながら、押入下段に、隠れていた。うっすらと蟻の通れる程度、開けたふすまの向こうは無人の作業部屋、ただ蛍光灯だけが煌々としている。

狭苦しい押入なんかに、隠れているのには訳があった。灯台下暗し吉田氏を撒く、ついでに吉田氏の慌てるようすも見られる、楽しい一メートル逃避行。今日はたしか昼過ぎに来るといっていたはずだわくわくと、担当の来るのを待つ。吉田氏を待ちながらこれほど胸の躍ったのは、はじめてである。

(…吉田氏、まだか?)


いつの間にか僕は眠ってしまっていたらしかった。

荒々しいガタンという音に目を覚ます。開けられたのは廊下につづく、ふすまだ。二枚重ねたシャツをつかみあおぎながら、吉田氏が入ってくる。ぽつりとつぶやいた、帰ってないのか、からは一度来てから僕を捜しに行ったことがうかがえた。

さっき来たとき僕は寝ていて気づかなかったのだろう。さあどんな顔をする吉田氏、明かりに目を近づけ息を殺して、立ち尽くす男を見つめた。

むしゃくしゃして物に当たったりするのだろうかと予想をめぐらしていると吉田氏は、斜め上を、行った。

尻ポケットから取り出した携帯必死の顔で見つめ、いじり始める。僕の携帯は目の前の机に置きっぱなしにしてあるからどうやら着信やらメールやらを確認しているらしい、今まで他の作家を当たっていたのだろう。ほんのり汗をかいているように見えるのは、そのせいか。あの冷静な吉田幸司を自分が走らせたのだと思うと、なんだか優越である。笑いそうになるのをこらえた、そのとき吉田氏はぽつりと、言った。

「くそ、あいつ、心配かけさせやがって…」

その吉田氏の表情を、たぶん僕はずっと忘れない。食いしばった唇、歪んだ眉間、そうして泣くのを必死でこらえた細い、目。


吉田氏は僕を、心配していた。



そのとき僕は「なんて馬鹿なことをしたんだ」と自分責めた。

冗談半分で手ひどく傷つけた。ふすま一枚隔てた向こうでは吉田氏が拳握り堪えている。僕がいないと吉田氏が、こんな、こんなに辛そうな顔をするなんて、知らなかった。思わず乗り出した身、ぎしり、湿気帯びた板張りが軋む。ぴくり、吉田氏は俊敏に振り向いた。

(―――あ、)
かち合った視線、動けずにいればずんずんと、吉田氏があるいてくる。ガタリ、ふすまを開けてしゃがんだ吉田氏は僕の、胸倉をつかむ。一連はおどろくほどに速く、気がつけば引っ張り出されて畳の上なだれこみ、吉田氏は僕の頬両手で包みのぞきこんでいた。ゆらいだ瞳、僕はとっさにあやまった。

「よ、吉田氏、ごめんなさい」
「平丸くん、」

低い声、戦慄いた指、殴られるのかと目を瞑ったのに代わりにたたきつけられたのはひどくやさしい、吐息まじりの声だった。

「……なんだ、無事だったの、」

言った瞬間吉田氏は泣いた。ぼろぼろぼろと、とめどなく。さっきまで耐えていたくせに僕をみつけた途端、泣いたのだ。僕はしばらく呆然としていたがやがて一緒になって泣いた。ごめんなさい、ごめんなさい吉田氏、ごめんなさい。

吉田氏はしばらく泣いてからしずかに僕を怒った。こんなところで寝たら風邪を引くだろうと怒った。怒ってから、身体あっためてこいと風呂に突き飛ばされた。上がったらほかほかのごはんが待っていた。

僕はもう押し入れに隠れない。


++++
しーもの、「まざー」から一節引用しました
(その時僕は「なんて〜」)
お母さんに宛てた良曲です。おすすめです
同じ系統で、わんどらふとの「ふるさと」も



(2009.0908)