春も夏も秋も、冬は寂しいからすこしだけ休むけれど、かわらずあなたを思っているんだ。

誰かと寝ても起きたときには、その呆れたような表情を思ってひとり自嘲しながら、歯を磨く。きもちがわるいと詰るでしょうか、バカ言ってないではやく描いてといつものように叱るでしょうか、そんなことを考えながら固くなったコンビニのおにぎりを食べている。

そろそろ身をかためたら、親だけでなくあなたも言う。僕はそのたび、身をかためる、という言葉がふしぎになるのです。なんだか縮こまって、外からの声を塞ぐように聞こえるのに、どうして結婚して家庭持つことをさすのでしょうか。お嫁さんにがっちり羽交い絞めにされるみたいで、わらってしまいそうになる。レスラーのお嫁さんをとるくらいなら僕は、身もかためずふにゃりふにゃら生きていた方がよっぽどいい。

吉田氏はふにゃりふにゃら生きる僕がきらいですか。きらいなら、直してみたい気もするけれど、吉田氏は僕がこういうことを聞くとき、なぜかそういうときだけは、ひどく真面目な顔して、きらいじゃないよというから、たちがわるいとおもいます。いつもはそんなこと聞いてなんになるのと突っぱねるくせに、だいじなときには僕を許容してくれるというのは、ひどく、残酷なことだとおもうのです。だから僕はいまだ、ふにゃりふにゃらしているのです。

本当のことを云うと、お金とか見てくれとか僕の下心とかを目当てに、結婚したいと言い出す女の子は、何人か、居ました。でも僕はうんといわなかった。ちょっとだけやらしいことをして、それからベッドの中でいちゃいちゃしながら、ぼくのこときらい? そう聞いて、わらいながら、「そんなこと聞いてなんになるの」といってくれた子はひとりもいません。僕はもしかしたらマゾなのかもしれない。あなたにそう言われるのが僕は、ひどく心地いいのだけれど、それを女の子に求めるのは無理なことなのでしょうか。

甘やかされるのは大好きだ。だけど時にはひどく怖い顔をして叱ってほしい。両方を持っている女の子に僕は出会ったことがありません。でも、しかたないことなのだとも思います。彼女たちは本当に僕が好きなわけじゃないからです。だって僕自身、彼女たちを好きだと思ったことがないからです。人間のあいだには感情の鏡みたいなものがあって、僕がきちんと正面から彼女らの鏡に向き合わないから、むこうも本当に僕のことを好きになってはくれないのだと思います。

吉田氏、僕の鏡はくもっていますか。
くもっているから、僕がみえないのですか。

そうだとしたらそれはもしかしたら、僕の涙なのかもしれない。ここ数年泣いたことはありません。鏡がかわりに泣いているのかもしれません。拭ったらあなたの顔がうつりますか。

ぼくはあたまがわるいから、どうやって拭ったらいいのか、わかりません。

そうしてぼくは臆病者だから、吉田氏あなたが、わざと僕の鏡をみないようにしていると考えることも、そらおそろしくて、できません。

ただただふにゃりふにゃら、あなたのこと考えながらいきています。
いつか鏡の拭き方をおしえてください、僕が遣ると、醜い線がのこってしまうのです。



(2009.1228)