あけましておめでとうございます。ちっともおめでたくない顔で零時零分きっかり、元旦、やって来た男はいった。思わず玄関のドアを閉めようとしたがコンマ数秒遅かった。ドアのあいだ首をねじりこみ男は笑う。若干白目。ホラーだった。(おみくじ前から大凶決定じゃないか! さいあくだ!)

渋々ドアを開け玄関に入れて、正月はハロウィンとはちがうんだ、いたずらしてもお年玉もお菓子ももらえないんだからね云々、説教していると迷惑な訪問者の腹が鳴る。一瞬押し黙ると平丸くんは小首傾げた。

「雑煮ありますか?年越しそばの残りでもいいですけど」

編集者たる僕がきみの辞書に謹んで一ページ、遠慮という項目を増やしてやりたい例文以下。

一、吉田は夕飯を食べていけといったが、平丸は遠慮した。
二、…やめよう、不毛だ。

ハアア。大げさに肩落としてみせるとポンと手を置き靴を脱ぎ捨てながら、正月なんですからもっと明るい顔しましょうよ吉田氏、がっかりの原因は気楽に言った。(ああ一日早く実家に帰っておけばよかった!)


お節をつくるほど余裕はなかったが蕎麦ならあった。残った出汁で雑煮をつくる予定だった。コンロに火を点け余った麺を鍋に流し込み菜箸でほぐしながら、新年早々なにをやっているのだとむなしい気持ちになってくる。突然家に押しかけてきた男にせっせと蕎麦をゆでる。なんておめでたい正月なのだろう、天晴れ、天晴れ。

背後では勝手にテレビのチャンネル変えながら平丸くんがカーペットに寝そべり、我が家のようにくつろいでいる。テレビ対面のソファにあったはずの白いクッションはすっかり彼の私物とされ先ほどから煎餅のかけら落つる微々たる攻撃を受けていた。引っぺがしに行きたいのだが火を見るのにいそがしく、菜箸をわなわな震わせる程度が関の山。(神さま去年それほど悪行をはたらいたでしょうか、俺はそれなりに、頑張って仕事をしたとおもうんですが、それでも足りなかったのですか、とにかくさっさとあったまれ蕎麦! そしてとっとと食ってとっとと帰れ平丸!)

椀によそって割り箸と七味をとり、テレビの前のテーブルに置けば平丸くんがそわそわと起き上がった。ほわほわと立ち上がる湯気、おおとのぞきこむ。いただきます、箸を割ってかきこむように、平丸くんは食べはじめた。本当にお腹がすいていたらしい、ザクッと切った乱雑なごぼうもねぎも、がぶがぶのみこんでいく。うまいか、聞けばうんうんと大きな仕草でうなずいた。わるい気はしない。おかわりあるぞと言ってしまったのはやさしさなどではない、ほめられてちょっと気をよくしたただそれだけだ。

鍋ごと食べつくす勢いでかきこむと空の椀に箸をおき、げぷ、腹をさすりながら平丸くんは満足げに口角を持ち上げる。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさま。一息ついたらさっさと帰れよ、今日だけは食い逃げもゆるす」
「吉田氏の蕎麦はおいしいですね」
「え? まあ、ゆでるだけだからな」
「うちの母は関西の出だから、つくり方がちがうんです。母にはわるいが僕は吉田氏の方が好きだな」
「…いっておくがほめても泊めてやらないぞ」

ぐてり、話を聞いているのかいないのか、平丸くんはソファにもたれた。ぼそり、吉田氏が女性だったらよかったのに。(想像するのもおぞましいからやめてくれ)そうしたら、来年もつくってくださいねっていうんだけど。(誰がつくるかごめんだね)男相手にいっても気持ちがわるいだけだものな。(まったくだ)あ。(なんだ)来年も押しかければいいのか。(く る な !)

ねえ吉田氏来年もドア、あけてくださいね。もうほとんど夢うつつ、平丸くんがいう。のろのろと床を這う右手はなにか探しているようで、つかんでやるとそっと、やわらかな体温がにぎりかえしてきた。母の手に安心する赤子の様、ふわふわと平丸くんは微笑む。ため息。

「…平丸くん、今日だけだからな、明日は帰れよ」
「…ん…はい…」

まぶたはゆるゆると落ちた。おいここで寝るなむこうから布団をもってくるからと言おうとしたのにもう平丸くんはすっかり眠っていて、俺の左手を離すこともしない。これじゃ俺もベッドにいけないじゃないか。うらみをこめてつよく手をにぎってみてもくすぐったそうに寝顔がやすらかになるばかり、ああなんて幸福な年明けだろう! (神さま今年は賽銭けちりますけどいいですよね)

けっきょくやけになって俺もソファにもたれてぐっと、目をつむった。睡魔は心地よくやってきて、俺はあっというまに沈み込んだ。朝起きた平丸くんが、吉田氏吉田氏おせち! と騒ぐのをまだ、俺はしらない。


(来年も懲りずにドアを開けてしまうことも、まだ、しらない)


++++++
正月もとうに過ぎたけどもういいや
これくらいの距離感も好き

(2009.0116)