平吉←山久




飲みに行きませんか、幾度目かわからない誘いはいつものように、用事があるからと一蹴された。

さっさと帰り支度をする広い背中をパソコン越しに眺める。首に巻いたマフラーを几帳面に整える仕草が彼らしくておもしろい。封筒がきちんと折られていないと気になるとか、コーヒーに入れる砂糖はきっちり半分だとか、普段妙なところは細かいくせに、急いでいるとなりふり構わないてきとうさなんかも持っていて、そのギャップがけっこう、好きだった。革の鞄の中身をたしかめる彼に、おつかれ、お疲れさまです、原稿を抱えた同僚が声をかける。それに会釈してから鞄を持ち上げると、振り向いた吉田さんはおつかれ、と声に出して言った。あ、と一拍おいて、じぶんに言われているのだと気づいたときにはもう吉田さんは出口に向かって歩き出しているところだった。

お疲れさまです、遅れた挨拶はなんだかまぬけだった。


真面目だが人付き合いもわるくない彼が編集部をいち早く帰る理由は、よく知っていた。そそくさと帰る前に携帯をチェックする横顔でとうに、気づいていた。受信ボックスを開いていくらかやわらぐ目元、それからおそらく本文を見て皺のよる眉根。その表情を見るとああ今日も平丸先生のところにいくのだなと僕は察した。僕がなにを言おうとそんな渋い顔は見せないのを思うと、苦笑してしまう。それなりに、先輩のやさしさみたいなものが先行してしまうのだろう、吉田さんは厳しいときはまあ強面をつくってみせたがそれは、やはり指導する立場のそれでしかなかった。苦虫を噛み潰したような苛々とした口元は、電話のむこうを叱っているときしか見ることはなかった。嫉妬は、それほど大きくない。むしろ羨望の方がつよかった。(だって、特別ってことでしょ)

減らない仕事の山に囲まれながらカタカタとキーボードを打つ。乾燥気味な編集部、右手の横に置いた柑橘ののど飴をガリガリと奥歯で噛みながら、柱の編集をしていた。山久、食いにいくか、うしろから相田さんの声がする。しばし逡巡、すみませんキリがわるいのであとでとことわった。そうかとうなずいて数人の足音とともに、編集部を出て行った。途端にさっきまで飛び交っていた電話の声が消え、紙をめくる音が消え、四、五人だけの残った広い部屋はがらんと空いた。


ことわったのはキリがわるいからというのもあったが、うっかり愚痴でもすべらしてしまったらと、おもったからだ。

途中から数えるのもばからしくなったほどに、何度も声をかけているのにいつだって僕より先生をとる吉田さんに、すくなからず、苛立っていた。日ごろは後輩の面倒見もいいくせに、プライベートでは別だといわんばかりの態度は、正直、おもしろくなかった。そんなことを考えているのがばれないように、顔には、出さないようにしていたけど、もしかしたら目敏い瓶子さんあたりは気づいているのかもしれない。そういえばこの前たまには付き合ってやれよと横から口を挟んでいた。(吉田さんは、苦笑しただけだったけど)僕もまあ、余裕のない。しかしそんな僕を知りながら毎回首を横に振るのだから、吉田さんもけっこう、ひどい男だとおもう。

明日会ったら、昼ごはんでもおごらせてやろう、そんなことを考えながら上書き保存。

背を丸め両手をぐぐと、伸ばしてペキパキと指を鳴らす。凝り固まった肩、今度の休みはマッサージに行こう、ああ僕もすっかり社会人になったもんだと思いながら右手で自分の首を解していると、ふと、耳元でガサと音がする。しずかな風圧に顔を上げておどろいた。

「あれ、帰ったはずじゃ、」
「下で夕飯組とすれちがったら、お前の姿がなかったからさ」

差し入れ、と目の前につきつけられていたのはコンビニの袋だった。薄いビニルの中には僕の愛用のパッケージがみえる。(のこり二つしかないの、知っていたとでもいうんですか)のろのろと受け取ると、それじゃといって、吉田さんはくるりと背を向けすたすたとまた行ってしまう。僕はあわてて立ち上がった。

「吉田さん! これ、どうも、」
「寒いし今日雨降るらしいから、気をつけろよ」

さえぎったあと一度言葉を止めて、コートは振り返った。

「山久、あんまり付き合ってやれなくて、ごめんな」

パタンという音で、彼が帰ったのだと気がついた。へなへなと、イスに座りこんだつもりがキャスターが動いたのか、したたかに床で尻を打ってしまう。しかしじんじんと走る痛みも大して気にはならなかった。ぼんやりしながらも、真新しい袋を破ってひとつ、口にふくんだ。おどろくほどに、あまかった。

本当に、ひどい男だとおもう。やさしくして、突き放して、苛々させて、そうして絶妙なタイミングであまいあまい見返りをくれる。ずうっと我慢していたところに与えられた甘味は骨さえ溶かすようで、これだから、諦めきれなくなる。たちがわるい。

決してうなずかない吉田さんに、僕はたしかに苛立っていたはずだった。しかしその何倍も、たぶん、彼のことが好きだった。(ほんとうに、ちょっと、みっともないくらいには)残されたビニール袋を握る手に力をこめる。

大丈夫かと、残っていた同僚のひとりが見かねて手を差し出した。つかみながら、唇をつよく、噛み締めた。

嫉妬は一グラム、重くなった。


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山吉習作。ジェバってみた
山久よくわかんね勉強します
わし81さんのためにがんばる

(2009.1130)