平吉←山久




緑茶に手を伸ばそうとして、ふと、とめた。その左下には夏ごろよく見かけた微糖のコーヒーが「あったかい」になって再登場。僕は飲んだことがなかったが、見覚えがあったのは吉田さんが頻繁に買っているのを見ていたからだ。すこし迷って、それから120円のボタンを押した。ガコン。カチャカチャ。あまった30円がもどってくる。財布を見ればちょうど細かいのを切らしていた。五千円札を取り出して入れる。もどってきた。なぜだ。(新千円札使えますとか、そういうことじゃないだろ、大事なのは五千円札じゃないか!)

ああもういいや、めんどうくさい。編集部でてきとうなお茶を入れよう、そもそもわざわざ自販機まで来たのはただ眠気覚ましのためなのだから。そう思って、缶コーヒー1本だけ持って自販機の前を去る。あちちと缶を両手で行ったり来たりさせながら、鼻を刺す夜風はつめたくて、マフラーに鼻頭までうめた。そうしないと、鼻歌でも歌ってしまいそうな気分だった。すっかり目は、覚めていた。

めずらしく足を運んだ近くの自販機で、これは拾い物だった。吉田さんはよろこぶだろうかと思いながら、エレベータを上がる。その先に期待があると、エレベータが階をのぼってゆく速度はひどく、遅くおもえた。

ようやくたどりついて、編集部のドアを開けると出て行ったときとほとんど変わらない姿勢で、吉田さんはパソコンに向かっている。そのデスクの周りだけ電光が残っていて、室内は薄暗い。他の人は先に帰ったのか、ひとりだった。僕は、きっと今日の星座占いは一位だったにちがいないと思った。ついている。社にもどってからは冷めないように、マフラーに包んでいた缶を取り出した。

「吉田さん、おつかれさまです」

これどうぞ、差し出すとゆっくりと顔を上げた吉田さんは首をかしげ、それからああ、と気がついたような表情をみせる。どうかしたのだろうかと言葉を待っていると、吉田さんは苦く、微笑した。

「…わるいな、そのコーヒーさ、」

嫌な予感がよぎった。とっさにそこで、とめればよかったのかもしれない。しかし吉田さんのいつになくやわらかい言葉はさらりと僕の胸を、貫いた。

「平丸くんが好きだから、買ってたんだよね」

立ち尽くしていると、山久? 怪訝そうに吉田さんが見上げている。はっと気がついて、ああ、すみません、慌てて向かいの自分の席につく。のろのろと、缶は机に置いた。ぼんやりとした薄暗さの中、青白い画面にはやく仕事をしろと叱られているような気分になる。星座占いはまちがいなく最下位だった。なんだか情けないことに、泣いてしまいそうで、僕はそっと、キーボードに向かって両手を伸ばした。しかし何の作業をしなければならなかったのか、一向に、頭ははたらかない。ただてきとうに、指の近くにあるキーを押している。

しばらくすると仕事が一区切りついたのか、吉田さんは立ち上がって大きく伸びをした。そうしてパーティションのむこうに消える。コポコポという音が聞こえた。そうだ、コーヒーはいつもじぶんで淹れて、一番熱いところを飲む人だったじゃないか。いつも見ていたのに、失敗だ。うつむく。今度こそ涙腺が、たいへん、まずい。

足音はしずかな部屋に一歩一歩、こっちに向かって近づいてくる。僕はただ身を縮めて、書類に目を通しているふりをした。

「山久、」
「っ、は、はい?」
「わるかったな、わざわざ買ってきてくれたのに」

よかったら飲め。ぐいと差し出されたマグを、おどろきながら、受け取る。吉田さんは手渡すと、ひょいと、僕のデスクにあった缶コーヒーを取った。

「え、吉田さん?」

カツッと爪で開けて、立ったまま男らしく吉田さんはぐびと飲んだ。一口流し込んでから、缶を目線まで持ち上げ、それからわらう。

「…ぬるい、」

でもうまいよ、サンキュ。何気ないひとことだったが僕にはどんな褒め言葉より意味があった。唇を噛み締めると吉田さんは、急に机に手をついて、身を乗り出した。

「っあ、な、なにか?」
「うわ、お前なんて顔してんだ、終わりそうにないならそう言えよ、手伝うから」

どうやら僕は相当に、みっともない顔をしていたらしい。慌てて取り繕って、今どんだけ残っているんだという質問に答えを、頭フル回転で探し出す。

徹夜にむかおうとする作業の中飲んだ、吉田さんのコーヒーは、うまかった。

++++
うごー山久むずかしいい
よしだもえ!

(2009.1205)