R-18




「ああ、わるい、寒い中待たせて」

家の最寄り駅、改札前に佇んでいた男が携帯から顔を上げる。俺を見つけるとうれしそうに、眉を釣り下げた。

「…おまえ、ほんとだらしない顔してるよな」
「ひどいなあ、後輩にしみじみ言う台詞じゃないですよ、それ」

そういう表情がだらしないんだよ、とは、まあ言わないでおいてやる。十二月も半ばだというのにおとなしく、俺の来るのを待っていたのだから。

冷えてないか、右手を軽くつかんで問うと、だいじょうぶですよと山久は首を横に振った。先輩に嘘をつくとは生意気な後輩め。手袋を貸してくれる。じぶんのつけていた灰色のそれを外すと慌てて、山久は本当に大丈夫ですからと身を引いた。先輩命令。ぐいと差し出すと困ったように、通り過ぎていく会社帰りの目を気にしながら受け取った。

港浦や他の編集相手には、新人のくせに大きな態度をとってみせる山久だったが、俺に対してはいくらか控えめだった。それは編集部にやってきたころからのことで、内心で俺はそんなに威圧的な男だろうかとも考えていたが後で聞いた話、新入りの歓迎飲み会のときから俺に惚れていたのだそうだ。今だから笑って言えること。

ついでに駅を出たところに並ぶ自販機であったかいお茶を買って押し付け、じぶんの分もわたして持てと、一方的。さむいし、吉田さん持てばいいじゃないですか。俺は疲れている箸より重いものは持たない。持てないんじゃなくて、持たない、ですか。そうだ。山久は笑いながらジャンパーのポケットに一本つっこんで、もう一本の蓋をあけた。はあと吐いたしろは街灯だけの照らす薄闇に、やわらかく消えた。


マンションまでは歩いて五分程度。会社までは電車で二十分弱。交通の便がよく、帰りがけ泊まるときはたいてい、俺の家になった。

時間はずらして帰るようにしていた。知り合いに見つかりでもしたら、面倒だったから俺がそうしようと言った。山久は俺の言うことに文句をいうことはあれど、首を振ることはなかった。惚れた弱みとかそういうやつなのだとおもう。じぶんで言うなって、かんじだけど。ちらり横目で、となり歩く後輩を見遣る。あいかわらずだらしない顔をしてこっちをみていた。(ったく、犬かよ…)


鍵を開けて廊下の電気に手を伸ばすと無機質なスイッチに触れる前に、あたたかな掌が俺の手をつかんだ。

「山久?」
「明かり、つけると吉田さんいつも恥ずかしがるでしょ」
「っば、玄関だぞ!?」
「いいマンションだから大丈夫です。…たぶん」

そういう問題じゃない! 言おうとした言葉は伸ばされた手に止められた。暗闇の中、背後に立たれ抱きすくめられてはなんとも分がわるい。背丈は俺の方がごついとはいえ、この態勢ではろくに、抵抗もできやしないじゃないか。(だいたいまず最初に口を塞ぐのは卑怯だ。俺のいうことは素直に聞く忠犬のくせに、どこでこんな知恵をつけた! これじゃ命令のひとつもできやしない!)

腰を這う手は性急に、唇を拘束したもう片方の手はやけにおちついて肌を撫ぜる。急いでいる手つきの中に、無理させまいとでもいうような気持ちが垣間見えてひじょうに、たちがわるいとおもった。(…くそ、山久のくせに、)耳朶をやわく噛まれてゆるゆると膝の力が抜け、俺は背後にもたれた。うれしそうな吐息が耳元でわらうのが聞こえたような気がした。

(けっきょくは流されてしまうだめな飼い主に、駄犬の方も、似たらしい)


「…うわ」
「っ…なん、ですか…」

僕いまいろいろたいへんなので、てみじかに。床に手をつき、ゆるやかに腰を動かしながら山久がのぞきこんでくる。

「え、いや、」
「だから、なに…」
「だらしないかお、してるなって」

一瞬、動きを止めた山久はそれからめずらしく不機嫌な顔をして、俺に言った。

「いまの吉田さんにいわれたくありませんよ」

あ、そうかも、と、ふたたび揺さぶられながらおもった。なんだか腹が立って、つづきはいわないでやった。

(その表情けっこう好きかもなんて)

++++
山久やっぱりむずかしいぞ
でもまだまだ81さんのためにがんばる


(2009.1214)