意外と片付いてるんだな、狭い室内を一瞥して吉田さんが言う。あたりまえですよ吉田さんがくると思って慌てて掃除したんですからとは言わず、お茶なにがいいですかとなんでもないように尋ねる。なんでもいいというからとりあえずやかんに火をつけて台所の棚を漁った。茶を出すような相手などめったに来ないものだから、どこにしまったかわからない。ごそごそと探していると吉田さんが障子越しに僕を呼んだ。なんですか、首だけ出して六畳間のぞけば部屋の隅、机の前に立つ吉田さんが呆れた顔で指差した。こういうの、恥ずかしいからやめろよ。なんのことだと目を凝らしてあっと短く悲鳴、しまった、コルクボードの写真を剥がし忘れていた! 編集部の新歓の写真、酔った雄二郎さんと服部さん、僕と吉田さんが並んだ一枚。メモ書きにいくらか埋もれながらも火照った吉田さんの顔はよくみえた。見慣れてしまっていたから、外した方がいいと頭がはたらかなかった! なんだか妙に、はずかしい。

気まずさに黙り込むと都合よくやかんが鳴った。僕はそそくさと身をひるがえし、コンロの火を止めて茶葉を探す。発掘した煎茶、急須にてきとうにつっこんでやかんを持ち上げる。パチリ、あづい! 慌てたものだから湯が乱暴に跳ねて指先を撃った。あちちち、コンロになんとか置き直して、水道を捻る。一月、凍るように冷たい流水に手を洗われながら、みっともなさにため息がもれた。

「山久、大丈夫か?」

バタバタする僕を心配したのか、気が付けばすぐそばに吉田さんが立っている。

「…火傷?」
「いや、ちょっと掠っただけなんで、」

大丈夫ですからてきとうに座っていてくださいと答えたのに、吉田さんは手際よくさっさとお茶を入れてしまった。こみ上げるこのむなしさはなんだろう。のろのろと水道を止めた。するとその手をつかまれ引っ張られる。のぞきこむように吉田さん、しげしげと。ぽたり、腕まくりした肘を伝って床に一滴落ちた。

「本当に、大丈夫ですよ、」

というかできれば早く離してくれませんか、せっかく水で冷やしたというのにさっきより熱いとはどういうことですか吉田さん。

「あの、吉田さん?」

ようやく右手は解放された。吉田さんは湯飲みを持つと、居間を振り返った。

「お前が大丈夫かどうかは関係ないんだよ」
「え、」
「山久が平気でも、俺が平気じゃない場合があるってこと」

文字を扱う編集者のくせに、僕はしばらく吉田さんのことばの意味がよくわからなかった。ようやっと全部を呑み込んで赤くなるころには、吉田さんはもう畳に座ってお茶をすすっていた。こういうときに感じる年の差というのはひどく歯がゆく、けれど同時に憧れて、けっきょく僕はどうしていいか、わからなくなるのだった。

突っ立っている僕を見上げ吉田さんが小さく笑う。お前の家だろ、これじゃ俺が家主みたいじゃないか、お茶、冷めるぞ。僕はうながされるままちゃぶ台挟んで向かいに座った。放っておいたお茶はすこしばかり苦味がつよくて、腹にじんと染みた。まずかったか、一口飲んで置いた僕に問う。いえと首振れば吉田さんはすこしばかり、不機嫌な眉間をつくった。

「、なにか、」
「あのさ、なんか文句とかあれば、言えよな、おまえ」
「文句?」

はああ、大きくひとつため息ついた吉田さんは、キリッと僕を見つめるとやけに確りとした口調でいう。

「はっきり言っておくが、鈍いぞ、俺は本当に鈍い男だぞ、今まで付き合った彼女とは全員それが原因で別れている」
「はあ、えー、と、」
「いわく、喧嘩してもう出て行くと言った後の、待ってくれの一言が足りない男なんだそうだ。俺は勝手に出て行けといわんばかりの男らしい。それとなくここが嫌だと匂わされてもまったく気のつかん男とも言われた。だから、つまり、なにが言いたいかといえばだ、」

言葉を一度、区切った吉田さんはいささかためらっているように見えた。うーだのあーだの、校長先生が言葉をえらんでいるときみたいなつぶやきのあいだ、僕は考える。吉田さんはなにがいいたいのだろう。さっきからずっと渋い顔をしたままだ。じっと見つめて思考する。
そうして彼が切り出すより僕が、あ、とつぶやく方が、早かった。

「吉田さん僕と、別れたくないってことですか」
「っ! な、なんで、そう、なる…!」
「僕と別れたくないから、なにか文句があれば早く言え直すから、ってことですよね、吉田さん」
「ぜっ、前半は、いらないだろ…!」

困った。吉田さんがすごく、すごくすごく可愛い。僕より背も高いのに、何歳も年上なのに、普段はよっぽど男前なのに、こういうふとしたときの彼は本当に、おどろくくらい、可愛く見える。しまった、どうしよう。

「…吉田さん」

声が掠れた。図星を差され機嫌のわるい吉田さんはじろりと僕をにらんだ。(ああもう逆効果ですってば、)

「なんだよ」
「すみません、僕いますごくキスしたいです」
「……勝手にしろ」
「はいでもそれだけじゃ終わらない気がするので、先にあやまります」
「! なっ、ば、バカやろう調子に乗るなよ、やまひ、うわ!」

暴れようとする大きな身体はたたんだ布団の上にぼふんと押し倒した。最初、吉田さんが家にくると言ったときはずいぶんあわてたものだが、いざ来てみれば勝手知ったるさすがは自宅、事に及びやすい。すばらしい。そんなくだらないこと考えながらシャツのボタンをぷちぷちと外した。吉田さんはなにやら抗議しているようだったが、僕にはよくわからなかった。

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「あ、そうだあの、」
「ん?」
「…写真、すみません。吉田さんと並んだやつ、それ一枚しかなかったんで、…うれしくて」
「剥がせよ、さっさと」
「…やっぱ、貼っておいちゃ、だめですかね」
「他の写真撮ればいいだろ、あんなのじゃなくて」
「え、」

(もういっかいされたいんですか吉田さん、積極的ですね)



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山吉山祭に寄稿。したけど恥ずかしくて下げちゃったごめん!
付き合いはじめたころくらい
いまいち山吉の原型がわかんないなあ、精進します…。